上海開城戦10 一石二鳥作戦(敵補給品奪取)
陸戦部隊が順調に掃討区域を広げて行くのを確認すると、汐は装甲艇群を引き連れて大運河に進入した。
片や居残った朝潮と潮は位置を揚州側河岸にまで移し、カッターで通信班を上陸させた。
汐と装甲艇群に追従したのは、月之進隊が乗船している大発(各30名×5隻)だ。
汐を旗艦とする分遣船団は、河岸防衛にあたっていた清国兵の逃亡を確認したあと、置き捨てられた敵軍船(輸送船)を接収する予定なのである。
揚州の清国軍には、南京防衛のために補給品が搔き集められているのが予想できたし、荷揚げの手間をかけずに船に積まれたままの物品は少なくないはずであったからだ。
ただし月之進たちに与えられた命令の最重要点は
『死ぬな 怪我するな 無理するな』
という物であった。
要は揚州に集積された軍事物資が南京籠城中のドドに届かなくすれば最低限の目標は達せられるので、船体や鹵獲品の入手は余得なのである。
最悪、全敵軍船を撃沈してしまっても何の問題も無かった。
汐が盛大に汽笛を鳴らしながら運河を遡上すると、係留された敵軍船からは居残りしていた船員が蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
短刀くらいは身に着けているのかも知れないが、分遣船団にとって脅威とは成り得ない。船から逃げ散る者たちは撃たれることなく見逃された。
しかし陸上の銃座や砲座と思しき陸上構造物、抵抗拠点と成り得そうな建物には、各装甲艇が前後2門の砲塔から57㎜砲弾をリズミカルに撃ち込んでいたから、逃げる方向を誤って運悪く巻き添えになる敵船員も少なくなからず出た。
敵軍船(とその乗組員)が応戦を試みようとしなかったのは、既に揚子江上での水上撃滅戦で火力戦における優劣の差を嫌になるほど見せ付けられていたからであろう。
月之進隊は大発を次々に敵大型軍船(宝船級)に横付けすると、鉤付きロープを投げ上げで1隻につき15名の兵が慣れた動作で攀じ登った。
月之進隊の兵は元々水軍の水夫だから、接収した帆船の操船はお手の物なのである。
船内の安全を確認すると、係留綱を切って各々が鎮江に向けて帆を上げた。
月之進隊の目論見に気付いた港湾守備の清国部隊は、輸送船奪取を阻止するべく反撃を試みようとしたが、既に装甲艇の搭載砲による制圧下にあったから、士気も最低で組織立った行動は不可能に近かった。
それでも勇敢な将が帆船に向けて火矢を放ち、曲刀を手にした手勢を率いて逆襲に転じた。
但し清国兵の突進は一瞬で破砕された。
装甲艇の7.7㎜機銃塔、汐の50口径12.7㎜に加えて、汐の舷側からは96式軽機関銃とBARの射撃が加わったからだ。
自動火器多数による濃密な弾幕は、突出した清国兵に躊躇や後退するひまさえ与えなかったのだった。
また放たれた火矢のうちの何本かは月之進隊が接収した帆船の帆や舷側に突き立ったが、水気を含んだ木造船では火は簡単には燃え広がることができず、熟練の乗り手たちによって程なく消し止められた。
月之進隊を送り出し終えた大発は、今度はバートル級ジャンクに横付けし、牽引綱を手にした船舶兵が飛び乗った。
牽引綱を舳先近くに結び付けてから係留綱を切れば、このまま曳いて行けるという寸法である。
結果的に月之進隊(移送の大発含む)は、宝船級10隻とバートル級5隻の敵輸送船を鹵獲することに成功した。
月之進隊が運河から揚子江本流に出たのを確認すると、河岸に陣取っていた潮は趙隊・明石隊を揚陸し終えた特大発群を率いて、入れ替わるように運河へと進出した。
『よう! シューメイカー。大物の宝船級は、俺が曳いていく分で終わりだ。後はバートル級しか残ってねえぞ。』
汐のレイノルズGUNSOから無線が入った。
シューメイカー軍曹が潮の上甲板から身を乗り出すと、宝船級輸送船を曳航する汐の上でレイノルズが手を振るのが見えた。
「欲張り野郎め! じゃあ此方は残ったバートルを根こそぎだ。」
シューメイカーは笑いながら無線機に怒鳴り返した。
趙士超隊と合流した朝潮の通信隊は、斥候の偵察情報と航空写真とを基に15迫の砲撃を要請した。
旧政庁は揚州十日の戦闘で瓦礫となっていたから、敵の新しい指揮所と官庫とを見つけ出して叩くには、陸戦隊が場所を特定する必要があったというわけだ。
「1時方向。増せ 400!」
「照準そのまま。 効力射!」
朝潮から発射された150㎜迫撃砲弾が立て続けに着弾し、目標(清国軍HQ)周辺は爆煙に包まれた。
「閣下。今から上陸地点の敵負傷兵に対し、止血および消毒術の施術を行なって参りたく、意見具申いたします。」
揚州の清国軍が早くも全面潰走に移り、プッシュ型弾薬補給が一段落したのを見越して、皇帝の直臣武官たちは敵負傷兵への手当て(とトリアージ)を尚可喜に申し出た。
彼らは一時的ながら御蔵病院の燕看護師を師と仰ぎ、最新式の消毒術と包帯術とを習得するよう礼部尚書から命じられていたので「実践するなら今」と思い立ったのである。
尚可喜は「助かりそうな者は助けてやって欲しい。」と頷いた。
「じきに施琅殿の船団が捕虜を運んで来よう。捕虜はここで解放するわけだから、戻り船には席が空く。望む者が居れば寧波か舟山の病院へ送ってやることも出来るしな。」
「それでは今から約束通り、無事に揚州まで送り届けてやろう。向こうに着けば、直ぐに残りの穀物5合も渡してやる。」
船酔いに悩まされつつも、対岸(揚州側)に激しく黒煙が上るのを不安そうに眺めていた上海籠城軍捕虜は、南明水軍の将から新たな『提案』を告げられた。
「ただし見れば分かる通り、清国軍は揚州から蹴散らされたばかりだ。逃げたい者は到着後直ぐに逃げても構わんが、下手に総崩れの清国軍に合流しようとすれば南明軍の新手と見誤られて切られるばかりだ。」
そこでだ、と将は続けた。
「あちらに着いたら死者を葬り、落ちている武具を集めるのを手伝え。二三日もすれば、清国軍は天長か泰州に落ち着くであろうよ。それまでは下手に動かぬが身を保つ術ぞ。応じる者には更に二升の穀物を渡す。」
不安に駆られていた捕虜たちの顔に、安堵と諦めの表情とが戻った。
その表情を目にして南明軍の将(鄭芝龍)は、もはやこの火力戦で叩かれ続けた捕虜集団は、御蔵の連発銃と火砲とに反旗を翻すことはあるまいと確信した。




