上海開城戦5 開城交渉
払暁である。
尚可喜が将軍に相応しい煌びやかな軍装を整え終え、用意の馬に乗ったところに騎馬偵察隊の趙子超が駆け寄って来た。
趙は軽い身のこなしで馬から飛び降りると
「尚将軍。開門しましたぞ。」
と告げた。
「武具や得物も城壁から外に投げ捨てられている由。間も無く白旗が上がりましょう。」
「おお! 賊徒も観念しましたか!」
尚の部下が将軍に旗を手渡しつつ、喜びの声を上げる。
「あとは上海城内の俘虜を他所に連れ出し、民を家に戻してやれば一件落着ですな。」
前進陣地では明石掃部がチハの砲塔に登り、今度は車長から双眼鏡を借りて城を眺めていた。
夜が白んでからは、明石は部下に「交代で寝ておけ。昨夜の働きは皆見事。御苦労だった。」と休息を与えている。
ただし尚可喜の手勢と皇帝の武官たちには、昨夜の敵襲を撃退すると直ぐに「本陣に戻って良し。明朝に備えよ。」と指示を出していたから、多くの兵がケット(毛布・ブランケット)を敷いて横になっても塹壕内は空いていた。
また零式砲戦車の乗員や観測班も仮眠の最中である。
彼らは上海城が降伏の呼び掛けに応えなければ、距離500m以下にまで接近し、直接照準で城壁破壊射撃を行う予定であったから頭(と身体と)を休ませておく必要があったのだ。
「見ろ。」
明石が双眼鏡を返し、車長に促した。
「白旗が上がった。旗を掲げたヤツをよく。」
肉眼でもそれは確認出来ていたから、車長は本営に無線を入れようとしていたところだった。
ただ明石の『旗を掲げたヤツ』という言葉にただならぬ物を感じ、双眼鏡を手にして目を凝らした。
レンズ越しでも城壁の敵兵は芥子粒にしか見えないが、ときおりキラッと光を反射するのが分かる。
「う!」と唸りを発した車長に、明石は頷いた。
「兜を被っているか、あるいは槍を手にしているな。」
横合いから射す朝日に、磨き上げられた金属が反射して輝いてしまったのだった。
「将軍、出陣は少しお待ち頂きたい。」
ハミルトンと共に幕舎から出て来た鄭芝龍が、準備を整えた尚可喜に呼び掛けた。
尚可喜は
「車騎将軍閣下、何か問題が?」
と問いを発した。
「前衛より報告が入りましたぞ。白旗は上がったが、城壁の将は武器を捨ててはおらぬ様子。」
周囲の兵、特に尚の部下から強く怒りの声が上がった。
しかし尚可喜自身は「そういう事もありましょう。」と笑って頷いた。
「敵に降るは、己が思っていたよりも胆力を要するもの。特に将たる者にとっては。並みの将領では丸裸で我が身に縄を打って、とは行きますまい。私には出来なかったが。」
「そのようなものですか。」と問う鄭芝龍に、「経験しておりますから。」と尚可喜は返答した。
「むしろ身一つで両の手を挙げて歩いて来れる漢の方が、肝が太いと考えて良いのではなかろうか、と。」
「見どころが有る?」と車騎将軍が再び問うと、尚可喜は「死なすには惜しいとも言えましょうし、逆に危険と考えても良いかも知れませぬ。」と応じた。
「また蛮勇のみしか持ち合わせておらねば、あのように屍を晒すのみ。」
尚が指差したのは前進陣地の左右で、昨夜の戦闘で戦死した多数の籠城兵が転がっていた。
「それではハ号(95式軽戦車)を護衛に付けます。」
通辞を通してハミルトンが提案した。ハミルトン少佐は明国語が堪能でないし、尚可喜は英語を――ジョーンズ少佐と会話練習をしたといっても――自由に操れるというわけではないから、間にワンクッション通訳を必要とするのだ。
「敵が鳥銃か弓矢を持ち出してくれば、戦車の陰に難を避けて下さい。直ぐに救出部隊を差し向けますから。」
通訳の言葉に耳を傾けていた尚可喜だが、聞き終えるとハミルトンに謝意を示した上で
「されど、こ度は不要にございます。」
と護衛を固辞した。
「敵の心の中は降参でほぼ固まっておりましょうが、しかし一片の迷いは残っているはず。それを突き崩すには、こちらも胆力を示さねばなりませぬ。」
「明石殿! 尚将軍が出ました。一騎駆けです!」
車長が慌てた調子で呼びかけたとき、明石掃部はチハの転輪に背を預けて静かに佩刀の手入れをしていた。
「チハで追従します!」
「お待ちあれ。」と明石は返した。
「将軍は危険を承知で向かわれたのだ。かくなる上は……今は動かぬ方がよかろう。」
城門から賊徒がぞろぞろと歩み出てきたのは、30分ほど経ってからのことだった。




