上海開城戦4 夜戦の顛末
剃刀の刃のように鋭い砲弾片の暴風が、一瞬の内に約400m先の敵騎馬挺身隊を襲った。
チハの車長と零式砲戦車の観測員は、接近する松明の群れが水を浴びせられでもしたように闇に包まれていくのを確認した。
しかし明石掃部には、騎馬挺身隊壊滅を見物している暇は無い。
――もの凄まじい砲声よ。耳を塞いでおってもジンジンするわ。
そのように感じながらも、明石は素早く身を起こして
「構えェ!」
と怒鳴った。
配下の銃兵が前進陣地『両側』の胸壁から、ライフルを突き出す。
刀槍装備の尚将軍配下の兵も、武器を構えて零式砲戦車を護衛する。
陣地前方の敵騎馬挺身隊に向けて、ではない。
次の瞬間、50m後方の本営から光の柱が複数本、前進陣地の左右脇を昼より明るく照らし出した。
本来なら高射砲陣地に据えられる目的の、大型探照灯の威力である。
同時に92式歩兵砲(大隊砲)が小さな外見に似つかわしくない轟音で、複数の吊光弾を撃ち上げた。
照らし出されたのは、前進陣地を左右から挟撃するべく密かに接近を試みていた敵決死隊だった。その数、左右併せて凡そ400。
しかし彼らは、入念に設置されたコイル状の鉄条網に阻まれ、特に先頭集団は身動きが取れなくなっていた。
鉄の棘に手足を拘束された上に、眩い光に包まれて視力を奪われた敵兵は、愕然としていたのだった。
車騎将軍側は、”これ見よがしに”松明をかざして接近してくる騎兵など「陽動に過ぎぬ」と読み切っていたのである。
もちろん火薬を携行している騎馬隊は、単なる囮ではない。陣地襲撃の最終段階では、その装備が必要なのだから。
ただし、それはあくまでも秘密裏に攻撃態勢に就いた徒歩の刀槍兵が陣地に突撃して制圧を終えて後、仕上げの段階での話だ。
歩兵の突入に続く騎兵の波状攻撃で、大砲の破壊を確実なものにしようと考えるのは――彼我の火力の差を考えれば――特に奇策とは言えまい。
なればこそ、の布陣であったわけだ。
明石の満を持した「撃てェ!」の号令で、M1ライフルが一斉に火を噴いた。
銃兵は装弾数の8発を撃ち尽くすと、腰の弾薬盒から予備の挿弾子を取り出すが、再装填を終える前に95式軽戦車が50mの距離を走り抜き、車載機関銃を乱射しつつ蹂躙攻撃を開始していた。
95式軽戦車は、明石隊が零式砲戦車の両側に展開を終えると同時に、明るい内に本営まで下がって、敵決死隊迎撃の準備を整えていたのである。
しかし軽戦車隊にはあまり獲物は残されていなかった。
数十mの至近距離から速射されるライフル弾が、棒立ちの敵歩兵をほぼ全滅させていたからだ。
軽戦車隊は形ばかりに一当たりしただけで、さっと本営に引き返した。
「騒々しくて、寝ていられませんでしたか?」
個人用天幕で寝ているはずの尚可喜が、指揮所テントに顔を出したのに気付き、鄭芝龍が笑いかけた。
「零式の砲声も凄いが、大隊砲は口径が小さいのに中々。」
「無理ですな。」と尚可喜も正直に苦笑する。
「で、首尾は?」
「およそ騎兵が50から60、刀槍が300から500ばかり寄せてきましたな。帰って行ったのは多くて騎兵が10騎以下というところでしょう。おそらくは4騎程度。馬も松明も捨てて歩いている者がいたようです。」
車騎将軍の返答に、尚は「なるほど」と頷いた。
「欲を言えば、もう少し戻してやりたいところでしたな。何が有ったのかを伝えさせるために。まあ相手のあることだから、何もかもが思惑通りには行きますまいが。」
「確かに」と応じた鄭芝龍だったが、「打って出る気力を持った者は、今回全て決死隊に参加していたでありましょうから、策が水泡に帰したと告げる者は、ほんの数人で充分ではないですかな。これで城の賊徒は大人しくなりましょう。」と静かに答えた。
尚可喜は個人用天幕に戻り、簡易寝台に横になった。
――この米軍式簡易野戦寝台というヤツは、簡易と名付けられているにも関わらず、なんと寝心地が良いものだろう。寝藁を敷ければ御の字という、明や清の野営とは、兵の疲労に天と地ほどの違いがあると云うもの。
夜明けまでにはあと何度か大隊砲の砲声で起こされるかも知れぬ、と考えて眠りに落ちた尚可喜だったが、特に何事も無く朝を迎えた。




