上海開城戦2 作戦計画
「噂に聞いていた大将軍直属の騎馬銃隊が護衛を買って出てくれるとは、大変心強い。」
尚可喜は明石の手を、固く握り返した。
「しかし降伏の交渉には、我が身一つで向かう所存。旗一本をかざし、一騎のみにて。」
明石掃部は厳つい顔をほころばせ「閣下は真の勇者であられる。」と頭を垂れた。
「なれどこの先、明国の柱石と成られるべき、大切な御身なれば。」
しかし尚は穏やかに首を振ると
「いえ、打算に塗れた意図からです。一騎駆けの方が隊列を組んで堂々交渉に向かうより、幾分かは安全であろうという計算ずくで。」
と笑顔を見せた。
「仮に交渉にやってきた我一騎を打ち取ったとして、城方には何の利得も生じません。より苛烈な砲爆撃を加えられる口実となるだけ。故に無闇に手出しは致しますまい。それに城壁を破られた賊徒は意気消沈しておりましょうから、命の保証をしてやるだけで、得物を捨てましょう。」
「自分も尚将軍と同意見だな。」と鄭芝龍が頷く。
「明石殿の勇が、尚将軍に勝るとも劣らない事は疑うべくも無いが、賊徒を鏖殺にしてしまおうと云うのではないのだから、より降伏しやすい状況を作ってやるべきだろう。」
そして「降伏の勧告に来たのが、名将 尚将軍ただ一騎、というのは賊徒の頭目どもにとっても良い口実となる。『大砲に怯えたのではない。尚将軍の侠気に心打たれたのだ』と。」付け加えた。
「しかし、それは飽く迄口実。賊徒どもがしてきた事を思えばな。口ほどに立派な”人物”はおるまいよ。今後の我が国にとって、惜しいと思える人材は含まれてはおらんだろう。」
それまで黙っていた鄭芝鶴が口を開いた。上海郊外で避難民に保護を与えていた将である。
目を瞑ったままで重い口調だ。
「上海から逃げ出した民たちは、為す術も無く路頭に迷うております。冬が来る前までには、家に帰してやりたいもの。……そうでなければ、来年の作付けや糸紡ぎも満足には行えず、市も潰れてしまいましょう。即ち、みだりに時を掛ければ『上海という街が死ぬ』という事になりますな。」
「では、武器を捨てた賊徒は……折を見て鏖殺に?」
なるだけ平板な口調を保とうと務めたが、尚は自分がそれを上手く行えたのかどうかに確信が持てなかった。これから『命ばかりは助けてやる』と説得しに行くのだ。無慈悲な悪党どもとはいえ、約定を違えて成敗してしまうのは気が重かったのである。
「口約束とはいえ、簡単に破るのは面白くないな。」
鄭芝龍は尚可喜の心中を察したように、快活な口調で捕虜の成敗を否定した。
「無事に北岸まで送り届けてやらねば、な? ただし、ただ平穏無事な街に送り届けてやるわけにもいかん。そこで”悪さ”をされたら、こちらとしても寝覚めが悪い。」
尚可喜は、捕虜を長江の中州にある崇明島にでも放逐するのか、と考えていたが、鄭芝龍は明確に”北岸まで”と言い切っている。
――車騎将軍閣下は、何か『策』をお持ちのようだ!
「そういう事なので、後始末についても案を示しておくとしよう。実はハミルトン閣下や趙大人とは、打ち合わせ済みなのだがね。」
鄭芝龍は愉快そうに、その場の全員の顔を見回した。
「まあ、まだ上海を陥落したわけでもないから、絵に描いた餅だと言われれば、正にその通りなのだがね!」
上海城の上空を舞う複葉機を見ながら
「城攻めは明日の朝だ。」
と尚可喜は配下に告げた。
「もっとも乗り込むのは儂一人だから、お前たちは見ているだけでよい。ただし『御蔵勢の城攻め』というヤツを、目ン玉カッポじって頭に叩き込んでおくように。」
配下や武官たちから不安や不満の声が上がったが
「この方法が、一番安全なのだよ。」
と尚可喜は異議を認めなかった。
「今、上海の上を飛んでいる凧が見えよう。あの凧からは『明朝、城壁を破る。降るなら、刀槍を城外に全て投げ捨て、城璧に白旗を掲げよ』という文を撒いておるのだ。城壁が脆くも砕けるのを目にすれば、得物を握る手からも力が抜けるというものだ。」
と自信満々に言い聞かせた。
そして「問題は今夜だな。」と言い添える。
「明朝の城攻めを前にして、今夜は『城から逃げ出そうとする者』や『巨砲を破壊せんと企む者』が動き出すであろうから。だからお前たちは明石殿の指揮下に入り、今夜は死に物狂いで砲を守り抜くのだ。大砲の傍から離れてはならぬ。」
続けて、揚子江にはハミルトン殿と小倉殿の水軍が網を張り、避難所は鄭芝各鶴殿が守りを固める、と付け加えた。
「だから、悪いが儂だけは今夜は御役御免でユックリさせてもらうというという役回りだ。役得と云うことで、悪く思うなよ?」




