上海開城戦1 到着
陣の浜での模擬戦の後、講堂で慰労会を終えると、尚可喜一行(手勢+皇帝直属武官)はその夜の内に朝潮に乗り込んだ。
上海のハミルトン少佐から、155㎜自走砲の準備が整った、と連絡が入っていたからである。
だから朝潮は舟山に寄港することなく直接上海を目指し、上海攻囲軍の鄭芝鶴と合流する予定だ。
明朝か昼までには到着しましょう、と船上で説明を受け、尚将軍は配下に
「あー、みんな聞こえているか? 船は明日には上海に着くぞ。早過ぎて狐につままれたような心持ちだろうが、船室に寝て行けるのだから楽な軍旅だな。気が逸っているかも知れんが、今夜はゆっくりと休んでおけ。……いい気になって飲み過ぎるなよ?」
と船内放送で訓示した。
「目が覚めたら大仕事だ。」
上陸地点の沖合には既に特大発が待機しており、先頭切って尚可喜が朝潮から乗り移ると、驚いたことに鄭芝龍が甲板で勝ち構えていた。
「やあ尚将軍。軍務復帰おめでとう。陛下自らからお許しの言葉を賜ったらしいじゃないか。」
鄭芝龍は笑顔で尚可喜を迎え入れると、御蔵式の挙手の礼を採った。
「これは……車騎将軍閣下! お出迎え畏れ入ります。」
慌てて尚可喜も挙手の礼で答礼する。御蔵式の礼だと跪いたりしないで良いので動作を素早く行える。
後ろが閊えてしまってはいけないので、二人は甲板の端に寄った。
「何時こちらへ?」
「今朝だよ。」と車騎将軍は簡潔に答えた。
「ようやく常州を平定したものでね。ハミルトン少佐に頼んで飛行機を出してもらったんだ。」
――”ようやく”などと言っておられるが、常州を陥落したという事であれば、途中の要衝 無錫も既に攻略済みという事か。
もちろん御蔵勢の助力もあっての成果であろうが、水軍勢の進行速度には目を瞠るものがあった。
整地された上陸地点にはトラック群が待機していて、尚可喜の部下たちは幌付きの荷台へと居を移した。
また鄭芝龍と尚可喜にはジープが用意されていた。
上海城までは小丘陵を越えて行くようだが、馬車が3~4台並んで走れるような真新しい道が伸びているのが見えた。
「この道は、城攻めのためにわざわざ切り開いたのですか?」
尚可喜の質問に鄭芝龍は
「自走砲を城の近くにまで持って行くのには必要だったのだ。」
と頷いた。
「小山のようなデカ物だからね。重さも重くて、米を植えるような湿気た軟弱地盤では”めり込んで”しまう。硬く締まった場所を選んで道を開く必要があったんだ。もっとも御蔵勢は、排土板付き戦車とやらでアッと言う間に均してしまったがね。」
そして「河北平原のような地形なら、履帯式車輛はもっと不自由無く走り回れそうなんだがね。揚子江の南ではなかなかそうも行かないようだ。」と水田を指した。
尚可喜も舟山島の建設現場や陣の浜で重機の威力は体感していたので、車騎将軍の言葉には驚かなかった。
しかし『それを当然の事として全く動じなくなってしまっている自分』には、その変化の激しさに諧謔味を覚えずにはいられなかった。
――なんとも、慣れとは不可思議なものか! 半年前の自分であれば「人足1000人を使役して、まずは最低でも二月はかかろう」などと考えていたはずなのに。
城壁から2.5㎞ほどの位置に、塹壕と盛り土の胸壁からなる前進陣地が築かれており、今回の目玉である155㎜カノン砲搭載自走砲(零式砲戦車)が、その巨大な砲身を城壁に向けているのが見えた。
排土板付きチハや95式軽戦車が周囲を動き回っているが、零式砲戦車の巨大さと威圧感とは圧倒的であった。
尚可喜たちの車輛群は前進陣地までは進まず、50mほど後方に停車した。
『鄭』という旗印が立てられた幕舎群で、ここが本営なのであろう。電源車やタンクローリー、それに尚可喜たちには既に馴染のある97式炊飯自動車などが並んでいた。
警備に就いている将兵が、ライフル歩兵と日本刀装備の鎧武者という取り合わせが奇妙な感じだ。
ジープを降りると
――城兵の目には、あの巨砲がどう映っているのであろうか。
と尚可喜はかつて寧波城に巨弾を撃ちこんで来た怪物と、改めて対面した。
――あの時には舟山島の高地に陣取っていた、単なる巨大な火砲だったものだが。
それが今や自分の脚を持ち、自ら進むことが出来るようになっているのである。
「日進月歩の御蔵勢の技術改革には目を瞠るものがありますな。陣の浜の模擬戦ではSEEPにDuckという水陸両用車が出て参りましたし、スティルツ砲という兵一人が担いで動ける軽便砲も使われました。」
尚可喜の慨嘆に、車騎将軍は「むむっ?」と驚きを見せた。
「水陸両用荷車の噂は耳にしていたが、その軽便砲は初耳だ。是非とも詳しく教えて欲しい。」
「閣下、その話は後でにお願いします。」
天幕から出て来た人物――日本式の軍服を着て肩から機関短銃吊るし、しかし明国語を流暢に操る謎の人物――が鄭芝龍を窘めた。
「興味深いのは確かですが、先ずは城攻めの段取りを突き合わせておきませんと。」
「これはいかん! 確かにな。」と車騎将軍は笑った。
そして尚可喜に「彼は趙大人。御蔵に居る鄭隆の懐刀でな。」と紹介した。
趙士超は右手を差し出し「ウチの先生がお世話になりました。」と笑顔を見せた。
シェイクハンズか、と尚も趙の手を握り返す。
「こちらこそ雛竜先生には色々と教えを受けました。」
三人が幕舎に入ると、中には更に四人の人物が待っていた。一人は明服姿であるから、鄭芝龍の従弟の鄭芝鶴で間違いなかろうが、残る三人のうち一人が南蛮人で、二人は日本のサムライらしい。
尚可喜は将校らしい南蛮人には見覚えがあった。ハミルトンという少佐だ。
舟山に向かう道中で挨拶を交わした記憶がある。
ただし、その時には運命の激変による気持ちの動揺が激しかったため、ダム現場でジョーンズ少佐と肝胆相照らした時のようには人物の内面にまで踏み込めてはいない。
尚が「少佐閣下、舟山行きの時にはお世話になりました。」と右手を差し出すと、ハミルトンは固く握り返して
「日頃は口の悪いジョーンズが、手放しで閣下の事を褒め称えておりましたよ。『この先間違いなく、南明朝の屋台骨を支える一人だ』と。将軍復帰おめでとうございます。宜しくお願いします。」
と丁寧な挨拶。(通訳したのは趙大人だ。この無闇に頭の切れる人物は、いつの間にやら南蛮言葉も会得したらしい。)
――しかし、この二人のサムライは……?
尚可喜の戸惑いを見抜いたのか、烏帽子直垂の武士が右手を差し出した。
「小倉藤左ヱ門と申します。水軍の一翼を担っております。雛竜先生と一緒に北門島で守りを固めておりました。」
訛はあるが、正確な明国語だ。
「今回の上海城攻めでは、配下のライフル歩兵を船に乗せ、海へと逃れようとする賊徒を打ち取る手筈。」
藤左ヱ門が握手するのを見て、もう一人のサムライ――こちらは南蛮兜にマントという姿――も右手を差し出した。
「明石掃部と申します。騎馬銃隊を率いております。」
そして「閣下が城内で向かわれる折、御側にて護衛を。」と言葉少なに自己紹介した。
こちらもまた、明国語だった。




