ヤワタ7 舌先三寸・口八丁手八丁で鈴姫様を納得させる件
「そ・それは有難いハナシだけど……」
目を白黒させて思考停止中の鈴さんに代わり、珠さんが口を開く。
「この娘は板場の事なんて、なぁんにも出来ないよ。今はまだ、一から教え込んでいる最中でさ。」
そして「修さんのお墨付きだなんて言っても、すぐに襤褸が出ちゃうだろう。修さんに迷惑かけるだけだと思うんだけど……」と頭を抱えた。
「いえ、ですから」と僕は混乱しているらしい珠さんに、懇切丁寧に言い聞かせる。珠さんは、本当は頭の回転が速い女性なので、動転していなければ直ぐに理解できたはずなんだけど。
「舟艇母船にも早瀬にも、コックに怪我人は出ていません。料理長が手を怪我したというのは、あくまで口実です。そしてこの提案は、舟艇母船の奥村少佐も、早瀬の”みってる様”も御承知の上です。……というか、鈴姫様の正体がバレた時の対応策として、すでに計算に入っていたシロモノなんですよ。だから鈴姫様には、コック見習いとして乗って頂くことになるけれど、と云う提案なんです。さすがに船上で『姫様扱い』は難しいでしょうから。」
「片山殿の考えとしては、どちらの船が我に合うておると思うておいでか?」
鈴さんが恐る恐るという感じで口を開いた。
「か・覚悟は決め申しました。」
「そうですねぇ……」ここは僕も考えるトコロだ。
「女性の比率が高いのは早瀬の方なんですが、早瀬には”みってる様”が番を張ってますからねぇ。ちょっと刺激が強いかも。同じく早瀬の戦闘部隊指揮官の立花少尉も――生真面目な女性ですが――パワフルですから鈴さんが委縮してしまいそうですね。一方、舟艇母船の方は、早瀬とは違ってほぼ男社会ですが……奥村少佐は見た目が謹厳居士ですけど中身は御茶目。鈴さんならアイドル的に少佐殿以下、皆に可愛がられるんじゃないかなぁ……って思いますけどねェ。ううむ。」
鈴さんは、傍若無人なトコが有っても確かに愛嬌はあり――ここの寺でも被害担当艦の僕以外には――ウケが良いわけだから、海津丸の方が潜伏先としては適しているように思う。
そもそも鈴さんから、これまで人心が離れていってしまったのは江戸時代初期の価値観によるものからであって、大正浪漫を経た海津丸の乗組員からは、むしろ『モガ』のハシリとして受け入れられるような気がする。(まあ御蔵島では、岸峰さんが航空隊のアイドルだったりするワケだから。)
「誰かに突っかかる癖さえ幾分抑え気味にしておけば、仕事でも生活でも周りから丁寧に教えてもらえるでしょう。高島で学べる和食だけでなく、洋食に中華、デザートのケーキまで焼けるようになるんじゃないかなぁ。」
「その”ようしょく”や”ちゅうか”ってのは何だい?」と、お珠シェフが身を乗り出す。
「新しい料理が学べるっていうのなら、アタシも大乗り気なんだけど。」
「ええっとですね」思いがけない珠さんの喰い付きぶりに、僕は急いで説明内容を考える。
「洋食というのは……南蛮料理と考えてもらったら良いでしょう。長崎の料理屋で出ているような卓袱ではなく、フライやカツレツにカレーやパスタといった、たぶん珠さんが今まで食べたことのない料理ですね。それから中華というのは明国の料理。炒飯みたいな炒めメシやら、そうそう、珠さんが作り始めた麻婆豆腐みたいな料理になります。……ああ、僕がレーションの缶詰を持ってますから、洋食の分野に相当するシチューなら、明日にでも試食できますね。」
「よし決めた。」と珠さんも腹を決めた様子。「姫様、一緒に舟艇母船とやらに乗りますよ。」
だけど僕は、ここでは「珠さんまで一緒に行ってもらっては困ります。」と言わざるを得ない。
「御住職のお世話をする人が居なくなっちゃうじゃないですか。それに辛子高菜他、飯の友を作る料理人が。だから先ず鈴さんが舟艇母船に身を隠して、然る後、体制を整えてから珠さんには船に乗ってもらわなくては。でないと、佐賀藩に動きがバレバレになっちゃいます。」
「言われてみると、確かにそうだねェ……」
と珠さんが苦渋の表情。
「直ぐに一緒にとはいかないね。」
「はい。直ぐには無理です。」と僕も頷く。
「まずは辛味噌造りを教わりに来ていた港の飯屋の料理番の人たちから、ここで飯の友製造に来てもらえそうな人物を見繕って勧誘して下さい。秘伝やコツみたいなものは――これまで創意工夫を重ねてきた珠さんには申し訳ないですけど――全部伝授してもらえませんか。せっかく育って来た産業を潰してしまうのは勿体ないですから。その上で、寺に住み込みで御住職のお世話をしてくれる人を見極めて欲しいんです。」
「寺男の代理というのならさ、今でも心当たりが無いじゃないけど? ほら、半助さんだっているからさぁ。」
珠さんの提案を「半助さんは駄目です。」と文字通りにダメ出しする。
「半助さんには別の仕事をお願いしなければないませんから。御蔵の高速艇と蚊焼ストアへの注文書を手配しますから、ここと蚊焼村を行き来してもらって『鈴姫様一派』の皆さんに声をかけてもらわなかればなりません。……御蔵の里へ逃がすなら、全員一緒にです。残った者が捕縛されたりする事の無いように。」
「そんな事まで?!」と少し声が大きくなった鈴さんに、僕は口の前に人差し指を立てて『お静かに』の合図をする。
「はい。バレてしまっているんです。……鍋島の探索方にも、かなりな部分。だから繋には蒸気を使わず、御蔵の高速艇を使う段取りなのですよ。あまり時間が残ってません。」
そして「御一党には『遠く離れた無人島で、タングステン資源探索の試掘を行なうから人足を募集する』という名目で出発してもらいます。実際の行先は御蔵の里ですけどね。それまでは高島坑口の番小屋で寝泊まりしてもらう事になりますが。集合が済むまでの間、当座は炭鉱の夜間警備の者を募るという名目で。」と言い含める。
「だから明日、半助さんが来たら今の段取りを間違いの無いよう伝えて下さい。注文書などの書類は高速艇に用意してあります。船頭の小林艇長が持っていますから。」
今の処、高島坑口のお風呂場テントは、夜間は番所の佐賀藩士が警備しているわけだけど、この件に関しては既に武富さん――延いては安芸守さまと――話が付いている。
何事も無く退去してもらうのが『三方善し』なのだから、問題は起こらない。
「それと……これ。」
僕はポケットから手紙を取り出して鈴さんに渡す。実はつい先ほど、武富さんに書いてもらったものだ。
『この者、御蔵船の料理人が利き手を怪我したることにより、代わりの板前として乗り込むもの也』
と云った内容だ。
「明日、半助さんと一緒に港から出発するときに、番屋へ提出してください。半助さんが蚊焼村へ向かう前に、高速艇で海津丸か早瀬に着けてもらいます。どちらを選ぶかは、鈴姫様にお任せします。」




