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ヤワタ6 鈴さんに御蔵の里への亡命を持ち掛ける件

 本堂では丁度ちょうど講義に続く質疑応答がハネたところで、ぞろぞろと帰る塾生さんたちから

「センセー御苦労さん。これから辛子高菜の仕込みかい?」

とか

「おやおや熊さんは出来上がっているじゃないか。いいのかね、センセー一人に車引きを押し付けて。」

なんて軽口がかかった。


 クマさんは殊更ことさら千鳥足ちどりあしを装って

「へへっ、こっちから取りに向かう手間が省けた、一杯いっぺえやって行きな、なんて御酒を頂戴いたしまして。」

なんて頭を掻く。

「台所へ行っても足手まといになっちめェやすんで、アッシは今夜はこのまま寝かさせて頂きやす。」


 本堂で講師役の井戸建設班の技師さんと久兵衛くんにお礼を言ってから、今夜の宿直さんたちに土産みやげ徳利とっくりとイワシの丸干しを渡して帰宅を告げ、高菜漬けの樽を引いて庫裏に向かう。

 庫裏では珠さんと鈴さんとが、大蒜の醤油漬けの仕込み中だった。

 シェフは職人的厳格さでもって鈴姫に対し、姫様も――意外も至極しごく真面目に――テクニックを習得しようとしている様子だ。

 案外、鈴さんはシェフから「今日みたような態度なら、これ以上は面倒を見切れない」とかカミナリを落とされたのかも知れない。わかんないけど。


 僕は「戻りましたぁ!」と大声で告げる。「三池村の高菜漬け、一樽入荷です。」


 珠さんが「おや修さん、お帰んなさい。」とこちらを向き、「クマさんは、どうしちゃったかね?」とキョロキョロする。「修さん一人に車を引かせてさ!」

 すると鈴さんが上から目線で

「片山殿はヒョロヒョロだから、いっぱしの男に鍛えてやろうとの親心おやごころでしょう。」

敢然かんぜんと言い放つ。

「熊さんはアレでも、見た目以上の偉丈夫いじょうぶですからねェ。親心というより小太刀の師匠としての使命感?」


 「これッ!」と珠さんから叱責しっせきが飛ぶ。

「なんてだよ。全く……」


 僕はマアマアとその場をなだめてから「変なお願いでちょっと申し訳ありませんけど、お二人とも、少しの間だけてのひらで口元を強く押さえててもらえます?」と依頼する。

「クシャミを我慢するときみたいな感じで、外に声が漏れないように。」


 「なんだろうね。こんな感じかい?」

 珠さんが不思議そうな顔をして両手でギュッと口を塞ぎ、鈴さんも――不満そうな表情ながら――それにならった。


 僕は「ええ、それで結構です。」と頷いて

「鈴姫様が龍造寺主膳様の御種おんたねであることがバレました。」

と出来るだけ”さりげない”口調で穏やかに告げる。


 二人の口からグフッという音が漏れた。

 押さえてなかったら、けっこうな悲鳴が上がっていたに違いない。


 「まだ疑惑の段階みたいですけどね。番屋で『鈴という娘、寺ではどんな調子だ?』って探りを入れられてしまいましたよ。僕は『板前としては珠さんの足元にも及ばないし、正直板場でも足手まとい以外の何物でもない。まあ愛嬌があって皆に面白がられているのが救いですかね。』って答えておきましたけど。」

 僕はそんな風に二人をミスリードしてから「口、楽にしていただいて結構です。」と指示をする。

「もう悲鳴要素はありませんから。」


 「でも……でもそれじゃあ、鈴の素性に探りを入れられたってだけだろぅ。」

 珠さんが小声で、しかし息せき切る様な調子で訊いてくる。

「お預けになった主膳さんの種なんて噂は……どこで? それに修さん、なんで全然驚いてないんだい?」

 鈴さんはまだ口を押えたまま、珠さんの言葉にウンウン頷いている。


 「お二人の疑問はもっともなんですけど」

 僕は一旦言葉を切り、二人の目をジッと見つめてから続ける。

「クマさんは、実は公儀隠密でしてね。本当の御名前を角隈喜十郎さんと言います。幕府大目付 中根壱岐守様の手の者なんです。ホンモノの腕利き探偵ってワケです。僕はあらかじめ、クマさんから『あの者らには、気を付けておかれよ。』って教えてもらってましたもので。」


 鈴さんの口からもう一度グフっと息が漏れ、珠さんも慌てて口元を押さえた。


 「ただしクマさんの使命は、お二人の身元をただすことではありません。端島の石炭採掘について調べることが目的です。……もっともクマさんへの元々の命令は、長崎奉行所で不正蓄財や抜け荷の有無を監査することだったみたいですけどね。」

 僕がそんな風に、更にミスリードを続けると、二人の目に得心とくしんがいったという表情が生まれた。公儀隠密の腕利きならば「さも有りなむ」という事なんだろう。

 二人にとっては、割とよく”知っているツモリ”の佐賀藩探索方の仕事と言われるよりは、謎のベールに包まれた公儀隠密の調査結果と知らされる方が、より容易たやく納得し易いという効果もあったのは間違いない。


 「ですから今後、幕府の金蔵かねぐらに小判を積み上げる事業に成るであろう端島や高島の炭田開発や、日田鯛生の金山開発のさわりにでも繋がりそうな、佐賀藩内の些細ささいなゴタゴタは芽の内に摘んでおきたいというお考えで。」


 僕の『芽の内に摘んでおきたい』という発言に、当事者の鈴さんは大きく目を見開いただけだったが、珠さんは僕をキッと睨み付けると包丁をつかみ、鈴さんを背後にかばうと

「姫様を亡き者にしようと云うのなら、修さんだって容赦しないよ。」

と押し殺した声を絞り出した。


 「ま、落ち着いて下さい。」と、僕は平坦な口調で珠さんに語り掛ける。

「鈴姫さまをどうにかしようとするのなら、何も言わずに――あるいは『この無礼者!』とか叫んで――腰の短筒たんづつで撃ってますって。バレましたよってお伝えするってことは『窮鳥きゅうちょうふところに入れば猟師も殺さず』って言葉通りに、身を隠すお手伝いをしましょうと云う提案をするためなんです。」


 鈴さんと珠さんとが驚いて顔を見合わせたのを確認してから、僕は

「ほとぼりが冷めるまで、鈴姫様は御蔵の里に身を寄せておくってのは、どうでしょう?」

と持ち掛ける。

「直ぐに替わりの石炭輸送船が出るわけではないですが、それまでの間は端島沖の舟艇母船か、長崎との間を行ったり来たりしている早瀬かに乗っていれば良いのです。……船の料理長が手を怪我したので、至急腕利きの板前を探しているという事にしておきますから。」

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