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パラ28 軍靴には水虫がツキモノという話の件

 夜中に照明弾上げるのか。

 去り際に早良さわら中尉の残した言葉が、ちょっとばかし興味をそそる。


 パラシュートに吊るされて、ふわふわと上空で輝く光は見てみたい。

 けれど夜中に司令部棟を出て、辺りをウロウロしていたら、これは絶対に怒られるに違いない。

 まあ、大人しくしている方が無難だ。


 打ち上げ時間は不明だし、その方角も情報が無いし。

 第一、山の向こう側で発射されるのであれば、ここから見えるのかどうかも分からない。

 花火大会の出し物や、高空を飛ぶ流星群の流れ星とは違うのだから。


 「照明弾、撃つんだって。」

 やはり岸峰さんも気になるみたいだ。

 「物凄くウルサいのかな?」

 ……気になるのは、そっちの方なのか。


 「目と鼻の先で撃たれたら、それはビックリしますけど、離れた所からの発射なら、そんなに大きな音はしませんよ。」と石田さん。

 岸峰さんは「へー、そうなんだ。石田さん、打ち上げ花火とどっちが凄い?」とアバウトな質問をする。


 照明弾を撃ち上げる砲によって、発射音の大きさも違うだろうし、花火に比較するにしても、上がるのが何尺玉なのかによって開いた時の音響には差が有るわけだから、漠然と訊かれても石田さんも答えようが無いだろうに。


 「そうですね……。山向こうから、遠雷の轟きが僅かに聞こえて来る、その程度の音しかしない、と思いますね。」

 石田さんの返事は、意表を突いてかなり具体的だった。

 ……これはどうも岸峰さんに一本取られたみたいだ。


 発射位置は司令部近辺ではなく、ここから多少なりとも離れた場所で、使用する砲も迫撃砲みたいに発射音の軽い砲ではない。

 野砲か山砲。多分、仰角が大きく取れる山砲なのだろう。

 もしかしたら発射する弾種は「照明弾だけ」ではないのかも。


 石田さんは、正確な発射位置は知らないけれど、おおよその見当は付けている。――そんな処か。

 早良中尉の一瞬の目配せには、やはり意味が有ったんだ。

 多分、照明弾を上げるのには単に「警戒」というだけではなく、それ相応の理由が有るのだろう。


 ここは今、明時代の末期。

 夜間の照明弾は、強烈に目立つはず。

 その光は「敵」を恐れさせ遠ざけるかも知れないけれど、魅惑しきつける事になるのかも知れない。


 中尉や石田さんは、照明弾発射の目的が何かを知っていて、敢えて僕たちに話す必要は無いけれど、「絶対に知られてはいけない。」という程の秘匿性は感じていないのだと思う。

 今夜ノトコロハ、何カアッテモ、慌テズ騒ガズ、大人シクシテイテチョウダイネ。

 何があるのかは、訊けば教えてくれるのかも知れないけれど、僕と岸峰さんとには気が付かないフリをしておくという選択肢もある。


 岸峰さんの顔を見ると、彼女は僕の目を見てかすかにうなづいてから

「じゃあ、そんなに身構えてなくて良いんだ。安心しました。」

とコメントし

「あれこれアクシデントで中断した、段ボール箱の中身の点検の、続きを再開しましょうか?」

と、今出来る具体的な行動を提案してきた。


 騒動の発端と成ったゲートルの下に入っていたのが、カーキ色のズボンと白い厚手のボタンダウンシャツ。

 『作業衣袴』の上下だ。

 まあカーキ色と言ったけども、この名前を付けられた色は、国やら時代やらによって、差が激しい。

 要は「軍服色」とか「国防色」みたいな理解がいいのかも。

 石田さんが持って来てくれたヤツは、黄土色にウグイス色を混ぜた様な頃合いをしている。


 作業着の横に畳んである、作業衣袴より薄手の白シャツが『運動衣袴』。

 石田さんによれば、僕と岸峰さんは第何種軍装とかいうのは着ずに、作業衣袴か運動衣袴で過ごして良いとのお墨付きを頂いている、との事だ。

 でも仮に正装が必要な時には、僕は学生服、岸峰さんはセーラー服を着用するようにして下さいと勧告は受けた。


 岸峰さんにはこの他に、石田さんや古賀さんが着ているのと同じ、婦人部隊用のスーツが追加支給されている。

 しかも、人造絹糸のストッキング付きだ。

 ナイロン製品は存在し無いのだから、アタリマエと言えばアタリマエだが、ガサツな彼女は直ぐに伝染させてしまうかも。

 石田さんか、あるいは補給部隊の偉いサンが岸峰さんのそんな性格を見抜いたのか、彼女の段ボールには軽石かるいしも入っている。


 岸峰さんが、奇妙なモノでも見るかの様に、軽石をめつすがめつしているので

「軽石だよ。」と教えてあげた。

 「軽石とな?」

 「そう。火山噴出物。」

 「用途が分からない。」


 僕と岸峰さんのやり取りを聞いていた石田さんが「かかとなんかの、固くなった所を、こするのですよ。」と、岸峰さんに使い方を説明する。「お風呂に入った時に、皮膚をお湯で柔らかくしてから。」

 説明を聞いた岸峰さんの反応は「なるほどー。プリミティブな角質リムーバーなんだ。」というものだった。


 なんだかなぁ。

 「プリミティブ」と言う単語には、僕たちの時代だったら「自然派の」とか「原点回帰」みたいな肯定的なイメージを込めて使われたりもするけれど、直訳だったら「原始的な」とか「初歩的な」っていう意味だからなぁ……。

 石田さんや古賀さんが、気を悪くしないかな……。


 けれど、僕のそんな感想は杞憂きゆうだったみたいで、石田さんも古賀さんも

「未来では踵ツルツルに、どんな器具を使ってます?」

と、そっちの方が気になるみたい。

 ナルホド。女の子、とはそういう生き物なのか。


 「電池式で、微細な目のヤスリが回転して角質を削るっていう器具も有るけれど、尿素含有のクリームで、古くなった表皮を融かすって方法もあるよ。」と岸峰さん。

 古賀さんは「尿素含有クリームですか!」と感心している。


 「尿素に加えて、抗真菌剤も混ぜると水虫にも効くらしいんだよねェ。抗真菌剤無しでも、水虫部分を融かしちゃうから、ある程度の効果は有るみたいだけど。」と岸峰さんは得意気とくいげだ。

 しかし次の瞬間、彼女はキッと僕をにらみ付けると

「片山クン! 今、『この女、水虫持ちだな。』って思ったでしょう!」

因縁いんねんを付けて来た。

 滅茶苦茶な誤爆だって!


 「違うよ。準備室には乳剤は無いと思うけど、ワセリンやグリセリンは有るし、尿素も置いてあると思うから、踵ツルツルは作れない事も無いかもって、考えてたんだよ。」

 それを聞いた石田さんは「グリセリンや尿素は、軍も持ってますね。」と何やら考えている様子だが

軍靴ぐんかきっぱなしにしていると、酷い水虫になる人もいますから、治療用の塗り薬として使える様にしたいですね。」

と案を練っている様子だ。


 古賀さんは「ここの防疫給水部では、非番の時には兵は軍靴を脱いで中を乾かし、その間は藁草履わらぞうりを履く事を推奨しています。それでも水虫になる人は多いです。」とフット・ケアの心得を教えてくれる。

 しばし各自が『水虫と軍靴の厄介な親和性』について黙考した後、作業を再開。


 服の下には、木製のハンガーと竹製の洗濯バサミ、物干し綱がまとめてある。

 御蔵島は英語使っても問題無いわけだから、ハンガーはハンガーで良いのだろうけれど

衣紋掛えもんかけ?」

と石田さんに訊いてみたら、「みやびな言葉を、お使いですね。」との事。

 彼女の返答の真意はワカラナイ。


 彼女は続けて「洗濯が終わった衣類は、下の洗濯室の中か表の物干し場で乾燥していただけば良いのですが、お二方が持って来られた未来の服は、替えを入手出来ないので、壁のフックに物干し綱を張っていただいで、室内干しが無難かと。」

 石田さんの意見に岸峰さんは、ウーンとうなると「でも、お日様に当てたいよね。室内干しで生乾きにすると、ニオイ着いちゃったりするでしょ?」と、少しだけ不満そうだ。


 それを見た石田さんは

「岸峰さんのおっしゃる点は、私もそう思うのですが、今日から緊急事態の為に、基地駐屯地の中に、民間人避難者を受け入れているのです。まさか司令部棟から洗濯物を盗むような人は居ないと思いますけれど、女性モノの服がヒラヒラしていたら、つい出来心が起きてしまう人が出るかも知れません。」

と、理解を示しながらも室内干しを推してくる。

 「天気の良い日に、窓際に干せば、日光は当たりますよ。」


 石田さんの言う通りにするのが無難だろうなと思っていたら、古賀さんが「でも室内干しだと、岸峰さんの洗濯物、片山さんに見られてしまいますね。」と余計な事を言いだした。


 ……そりゃあ、そうだよねぇ。見ルナ! と言われても、目に入らないわけがない。

 ……いや、積極的に見入ってしまう可能性も、否定できない……気がする。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

補遺


 藁草履の着用

  この件に関しては、完全に筆者の創作であり事実ではない。

  日本軍が将兵に草履着用を推奨した事はない(と思う)。


  むしろ国内では1901年(明治34年)に警視庁から

  「屋外での洗足歩行禁止」の通達が出ている。

  洗足せんぞくというのは裸足はだしの事。

  理由はペストへの罹患リスクを下げるため。


  日本にペストが入って来たのは遅く、1896年が初。

  横浜で中国人船客が発病したのが始まり。

  次に台湾から帰国した会社員が発病(1899年)


  けれど、人口が激減するような大規模な流行にはならなかった。

  これはヨーロッパでの経験などから対処法が分かっていたため。


 ペストというと過去の病気の様に思われがちだが、現役の病気だ。

 近場では2014年の中国での大規模隔離例がある。

 2014年7月23日付CNNでは

 「甘粛省 玉門市 肺ペストで死者」

 を報じる記事が有る。


 抗生物質が無い時代のペスト対策については、カミュの『ペスト』に詳しい。

 堂々たるパニック・エンターテイメント小説で、ゾンビ物みたいに楽しめる。


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