対空防御演習6 砲台公園にて
「ジェネラル尚、たまには新町湯でもどうだろうか?」
ジョーンズ少佐から日本語で誘いを受けて、尚可喜は
「グッド・アイデア。君からの勧誘を受諾しよう。」
と、英語と日本語のチャンポンで応えた。
”ジョーンズのダム建設部隊”では常に複数種の言語が飛び交っているから、二人の将校ともにそれに慣れようと常日頃から苦心しているのである。
グッド・アイデアと答えた尚可喜だったが
「いや、今日は酒肴を携えて、砲台公園での夜景見物という趣向でどうだろうか?」
と対案を出した。
「そろそろ寒くなってくるだろう? 電灯を眺めて酒を酌み交わすには辛くなってゆく。」
「悪くない考えだ。」とジョーンズも笑顔を見せた。
「寒くなってしまうと、夜の屋外は難儀だからな。それに、新町湯は逃げて行かないし。」
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上虞で降伏した尚可喜は”舟山島送り”となったが、それが島流しの追放刑でないことは、舟山港に到着した時にハッキリと分かった。皮膚感覚で――いや五感で――嗅ぎ取った、と言ってよいだろう。
尚可喜らが乗った船が舟山港に着いたのは、夜闇が迫る夕刻だったが、大陸有数の先進都市であると思っていた寧波より、はるかに街の活気と夜の明るさが勝っていたからだ。
後から思えば、空が暗くなるころに眩い街に到着したのは「周到に計算された演出であったのかもしれない」と尚可喜は考えることもある。
――それにしても初見の舟山港の美しかったことよ!
島の責任者であるジョーンズ少佐は
「ジェネラルとその御一行の行動の自由は、この島および普陀山に居られる限り、敵対行為以外は全て保証されます。捕虜収容施設のような場所はありません。」
と保証した。
「寺に籠られて経文三昧に過ごされるのも良し。その場合は寺に納める寄進分の米麦は支給いたします。また何か商売を始められるのであれば、元手を融通いたしましょう。今は特に何も考えられないという事であれば、ダム建設の現場で汗を流されるのも良いかと。あそこは常に、人員募集中ですからね。そのうち英語か日本語の読み書きが出来るようになれば、司令部事務職や新町湯での交易担当に応募なされても良いし、戦場で出血も見慣れておられるでしょうから、衛生兵へと進まれる道もございます。」
一連の説明を終えると、少佐は「ま、表向きはこんなところで。」と、ニヤリと笑った。
「謹慎中の閣下に、共に戦える日を楽しみにしています、と言う訳にもいきませんから。今の処は。」
舟山島の実力者の発言を
――これはもしや、反乱を起こすから我に加われと示唆されているのか?
と訝った尚可喜だが、数日を港近くの宿泊施設で過ごすうちに杞憂であるのを理解した。
島のあちこちを見物に歩いていると、時に鋭い眼差しで一挙手一投足を観察されている事がある。
それが御蔵兵や蓬莱兵、舟山兵といった軍関係者なら、”新参者”に対して警戒心を示しても何ら不思議は無いと思うのだが、彼らは逆に友好的か無関心で、鋭い目を向けてくるのは例外なく一般市民らしき非戦闘員なのだ。
その事を――ジョーンズと同じく舟山の実力者であるらしい――新町湯の主に問うてみると、その世知に長けた主は
「そりゃ、尚さん。仕方がないよ。」
と苦笑した。
「忌憚の無いところを言うと、元からの住民はしばらく清朝側の海賊に支配されていたわけだし、新住民は寧波からの避難民や降伏した元清国兵なんだからさ。泣く子も黙る尚将軍のお出ましと成れば緊張もするだろう。中にはアンタの事を憎んでいる者が居たってアタシャ驚かないね。まあ腰に剣を吊っている尚将軍に、小刀片手に襲い掛かろうなんて不穏で不見識な与太郎は居ないだろうと信じているけどね。」
それから大内源蔵警部補は、尚可喜の空いたグラスに白酒とソーダ水をなみなみと注ぐと
「最後まで明朝に降るのを良しとしなかった者は、普陀山で僧籍に入ったね。ま、仏に帰依して経文三昧の内に丸くなったのか、孤児や怪我人の世話に己が生きる道を見出した者も多いようだ。そこまで俗世の脂が抜けきっていない者も、居ないわけではなかろうけどさ。」
と告げた。
そして「明に仕える時節を待つという事であれば、ダム建設に就くのが一番だろう。あそこなら、過去をどうこう言う者はいないし、筋骨も落ちない。その上、建築や測量といった技術も学べるしね。」と乾杯を促した。
「それに何といっても舟山での信用度が上がる。上水道と発電用タービンを設置するところだから、島で恩恵を受ける家庭が増えることになるからね。」
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硬質塩ビ管を使った上水道や、小型水力発電機による電力供給の恩恵に預かれるようにようになったのは、まだダム建設隊宿舎や舟山空港など舟山島のごく一部に過ぎなかったが、ダム建設隊の評価は舟山島住民の中で大きく跳ね上がった。
電灯が灯る街など――新町湯別館と舟山病院という特定の建物を除けば――観たことも無い住民が殆どだったからだ。
舟山島民は”洋灯の灯る港街”を自慢にしていたのだが、”電灯の灯る街”の夜景はそれを凌ぐような見物となった。
人々は夕暮れが近付くと飲食物持参で砲台公園に集まり、眼下の電灯と遠く港町の洋灯とを飽かずに眺めた。
(かつて寧波砲撃を行なった155㎜カノン砲”ロング・トム”は撤去され、その砲台跡は展望台に整備されていたのだ。公式には「舟山港展望広場」なのだが、砲台公園の愛称の方が通りが良かった。)
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「ここに在った巨砲は、どこに持って行ったのかね?」
砲台公園で尚可喜が酒盃を手に、感慨深げに質問した。
「”あれ”には悩まされたものだが。」
「バラして御蔵に持って帰ったんだ。」
とジョーンズが苦笑する。
「持って来るにも、持ち帰るにも大仕事だったな。」
「少佐殿、それでは今は御蔵に置いてあるのですか?」
と質問したのは尚可喜の部下だ。彼らは敬愛する将軍に従って、全員がダム建設隊に身を投じたのである。
「いや、また持ち出したんだ。今度も色々と大変だったようだね。」
とジョーンズ。
「今頃は上海だ。ハミルトン少佐が試してみたいと言ったそうでね。」




