弘光帝inマニラ8
「マニラで栽培でき、利を生む植物は他にもあるとのことですぞ。今はまだ香辛料ほど利が乗ってはおりませぬが、販路さえ切り開けば香辛料に勝るとも劣らぬ富となる作物が。」
司教が慈愛に満ちた笑みで、総督と長官に猛然と追い込みを掛ける。「小倉家の当主殿が秘策を教えてくれました。」
「何なのでございますか! その作物とやらは!」
問いかける長官の声は、まるで悲鳴のようだった。
「我が帝国が、憎きネーデルランドに一泡吹かせる天の声ではありませんか!」
「神の声なる言葉は、軽々しく使ってよいものではありませぬぞ。」
キノ神父が、長官や総督の興奮に水を差すような冷え冷えとした声で応える。
そして「まあしかし、驚かれるのも無理はございますまい。」と懐から銀紙に包まれた物を取り出す。「ショコラトル(チョコレート)を練り固めたものでございましてね。どうかお試し下さい。」
「ショコラトルはカカオから作る”飲み物”であろう? それを固めた?」
総督は板チョコを受け取り、アルミ箔を剥がす。
「錫の箔で包むとは、なんとも勿体ぶった趣向だが……ベタベタするな……。」
「おお! 少しお待ちを」と藤左ヱ門が別の木箱を開けさせる。
「神父さまが懐に入れておられたため、少し溶けてしまったようです。板に加工したショコラトルは熱を持つと軟くなってしまいますので。」
兵の開けた箱にはビッシリと大鋸屑が詰まっており、大鋸屑の中に氷塊とビニール袋に包まれた板チョコが鎮座していた。
藤左ヱ門は、どうぞ、と冷えた板チョコを総督と長官とに手渡す。「ショコラトルを包んでいる銀色の紙は錫箔ではございません。アルミニウムというモノでございます。今なら差し詰め金箔より価値のある金属箔でありましょうな。……手に入れようにも叶わぬ金属でありますから。」
金より高価と告げられて、アルミ箔をビリビリ破いていた総督の手が止まった。
また藤左ヱ門は銀紙の正体は司教にも告げていなかったから、司教から「おいおい小倉家の当主よ、それで先ほどショコラトルを食した後に、箔だけは取り戻したのか?」と驚きの声が上がった。
藤左ヱ門は「御意。」と畏まると、「鋳なおせば、何度でも使える金属であります故、無駄には出来申さず。」と返答した。
司教は更に、アルミという金属について問い質したい様子だったのだが、遮ったのは総督だった。
「それにしても小倉家の当主殿よ、箱の中の氷はどこから持って来たのだ? 今の季節、福州中を探しても氷を手にすることなど出来ようがないはずだ。百歩譲って、福州の山奥に秘密の氷室があったとしても、マニラに来るまでの間には溶けてしまうはず。」
この疑問についてはキノ神父も考えを巡らせていたらしく
「御蔵人が操る”ダ・ヴィンチの飛行機械”で運んだのではないのかな? 鳥よりも速く天翔ける船ならば、氷塊を積んでからの短時間で、福州の山岳からマニラにまで、氷が溶ける前に到着出来よう!」
と好奇心剥き出しで質問。
藤左ヱ門は会心の笑みを漏らすと「山奥の氷室で保存していた氷ではございません。」と二人に告げた。
「作ったのでございますよ。沖に泊まっている船の中で。御蔵人は水を冷やす冷凍庫なる道具を用いて、自在に氷を作る術を心得ているのでございます。」
「魔法を使ったのではないのか?!」 「異端の魔術の類ではあるまいな!」
異口同音に総督と長官とが詰問の声をあげる。
反キリストの術を用いたのなら――巨利を以て誘惑されても――看過できない、と『彼らの中の理性』が悲鳴を上げたからだ。
17世紀半ばといえば、16世紀中よりも衰えたとはいえ、未だ魔女裁判が行われていた時代である。
(もっともスペインでは魔女裁判は”個人的な精神異常”として扱われ罪に問われることは少なかったし、17世紀には宗教者の異端審問そのものも激減している。世界帝国だったからキリスト教以外の宗教に帰依している住民も多かったためだろう。魔女裁判が猖獗を極めたのは、中部ヨーロッパだった。)
それに対してキノ神父は「異端の魔法・魔術と決めつけたものではありますまい。魔女の箒を使わずとも、現に船が空を飛んでおります。」と反論した。「真冬の気温ほどまでに水を冷やせば、氷になるのは理の当然。冷やす術に工夫が凝らしてあるのでしょう。」
「神父様の仰る通りでございます。」
と藤左ヱ門が頷く。
「液体の物が気体へと姿を変える時――それを気化と称しますが――周りから気化熱という『熱を奪う』作用が生じます。ホレ、濡れた布地を軒下干しにして風を当てれば、ヒヤリと致しましょう? あの原理を使うのでございますよ。それにまた、水より気化しやすい液体を使うならば、効率よく物を冷やすことが叶いまして、氷さえ作ることが出来るのでございます。」
「小倉家当主が語ったことは、よくよく考えてみれば、我らも既に持っている知識の範囲と矛盾しない現象ですな。」と司教も藤左ヱ門に加勢する。
「熱病の患者を看病するとき、額に濡れた布を宛がいましょう? すると濡れた布はじきに乾いてしまいますな。濡れた布が乾くことによって、患者の額の熱を取り去っておるわけです。そう考えれば熱を取り去るカラクリを極めることによって、ついには氷を作るに至る工夫に辿り着いた名工が居たとしても、なんら不思議はありませんな。」
上位の宗教者は一般信者よりも遥かに”神の奇跡”を認定するのには慎重だ。安易に奇跡認定して、それが単なる自然現象に起因する間違いであったとしたら、直ちに”神への冒涜”だからである。
同様に――対偶として――悪魔や悪霊およびその信者である”反キリスト者”の引き起こす”罠”や”冒涜”行為に関しても、「それは本当に悪魔/悪霊の仕業なのか?」と冷徹な目で観察するように訓練されていた。
過去に『政敵攻撃』や『資産没収』のために、どう視ても理に反した宗教裁判や異端審問が濫発された経緯があったればこその揺り戻し(もしくは進化/深化)と評してもよいのかも知れない。
「な・なるほど……」
指摘を受けて長官は魔法説を一旦引っ込め、慎重に板チョコを齧り、そして――
「うーん……甘美だ!」
と美味しさを認めた。「嚙みしめるほどに、口の中でカタマリが解けて、しかも甘く蕩けてゆく。」
「カカオを挽いて湯に溶いただけのショコラトルより、旨さが際立っておるな!」
と総督も同感を示した。「冷やっこい口当たりも、南海の土地では心地よいし。」
「美味なだけではありません。」と藤左ヱ門が微笑む。
「この板状に加工したショコラトルは、3枚で一日、兵や水夫が全力を振るうに足るだけの滋養を有しております。それにまた肉体のみならず、心が疲労困憊した者に活力を与える力もございます。この先カカオとショコラトルは、世界中で売上が増えるのは間違いありませぬ。マニラで栽培しない手はありませんぞ。」
「カカオが今より売れる、という提言に異を唱えるつもりは無い。」
と総督が名残惜しそうに指を舐め舐め頷く。
「が、カカオならば新スペイン領で栽培している地が他にもある。わざわざマニラ近郊で育てずとも、ガレオン船で運んで来れば良いだけでは?」
「年に一度の往来程度では、とても明国や日ノ本の需要を賄いきれませんでしょう。マニラは中米新スペイン領からは遠ございます。なれど、福州ならば目と鼻の先。」
藤左ヱ門の反論は明快だ。
「砂糖と共に練り、板状に加工したショコラトルならば、明国で飛ぶように売れまする。また明国商人を間に挿むことで、日ノ本に売り込むことも叶いましょうな。試しに少しばかり長崎に持ち込んだところ、評判は上々。明国でも長崎でも、滋養食として評判になっております。ここは一つ、マニラでカカオと砂糖黍を栽培することにより、マニラの財政を強くするのをお考えになられては?」
言われてみれば、と長官も藤左ヱ門の言い分に理解を示す。
「絹や茶葉、胡椒に陶磁器など、我が帝国が喉から手が出るほど欲している品々を明国は数多有しておりますが、我が帝国が対価として提供できる物は銀に限られる。言い換えれば、常に銀が明国へと流出しておるという事になる。カカオを売って絹を買うという商売が成り立つならば、銀の流出を抑えることが叶いますな。」
スペイン領フィリピンを統括するのは総督府だが、アウディエンシアは割と総督府から独立した権限と所領・領民を持っている。
だからアウディエンシア長官が「やろう!」と決めれば、総督もアウディエンシア勢力圏には圧力を行使し辛い。
この時長官は、総督に逆らってでも、と強い意志を持っていたのではないのだけれど、独立性の高い組織の長が藤左ヱ門のアイデアに『理解を示した』ことの意味は小さくなかった。
総督が『明国の特産品とカカオとの交換貿易をアウディエンシアに独占されてしまうかも知れない』と危機感を覚えたからだ。
だから総督の口から
「なるほど、試してみて損は無さそうだな。いや、上手く運べば(スペイン)皇帝もお喜びになるだろう。」
というセリフが――その場の勢いであったとはいえ――漏れてしまったのは不思議でも何でもない。
ただし総督のその「皇帝がお喜び」発言は、今度は長官を刺激するのに繋がった。
カカオと砂糖という”地場産業”で、本国で珍重される交易品を手に入れることが出来るのであれば、新スペイン領の中でフィリピンの『重要性が増す=発言力/地位が上がる』のに改めて気が付いたからだ。
重鎮二人の思惑の相乗効果で、フィリピンでのカカオ栽培・砂糖黍栽培は、一気に実現性が増した。
フィリピンでは、それまで米栽培や椰子栽培以外には、香辛料生産のような特筆すべき換金性か高い産業が無く、東洋貿易の中継地程度にしか認識されていなかった。だからこそモルッカ諸島をオランダに奪われて以降、スペイン人の居留者・入植者も増えなかったのである。
「試してみるに値する作物は、そればかりではございません。」
藤左ヱ門が畳みかける。「例えばゴムの木。」
「ゴム?」とキノ神父が不思議そうな顔をした。
「あれならばどこでも生えるが、幹に傷を入れで樹液を集めても、毬のような玩具に使えるだけであろう? 珍奇な玩具には違いないが、量が売れるという代物ではないと思うが?」
神父の疑問に、藤左ヱ門は「さに非ず。」と返答し、懐から小さく薄い奇妙な袋を取り出した。「コンドームと呼ぶ品でございます。御蔵人は『突撃一番』とも称しているようで。」
「何に使うのですかな? その袋は。」
と司教が興味津々でコンドームを手に取る。
「ふむ。旅先に胡椒や塩を小分けして持ち運ぶのには重宝しそうだが。しかし……あのゴワゴワ、ブヨブヨしたゴムを、ここまで薄く細工するには、生半可な手間では出来そうにないとも思えるがな……」
そして「手間が手間賃に合わぬでしょう。」と返して寄こす。
「斯様に使うのでございますよ。」
と藤左ヱ門は、ト式機関短銃を吊った月之進を呼びつけるとサブマシンガンを受け取り、銃口にゴム製品を被せた。
「銃口に被せておけば、海に出ようと沼地を歩こうと、筒先から潮や泥が入るのを防げます。そして必要あらば――」
と窓際まで歩き、虚空に向かって
ガ・ガ・ガ・ガ・ガ・ガ・ガ
と拳銃弾を一連射。
そして腰を抜かしそうになっている一同に
「剥がす手間無く、鉄砲が撃てまする。」
と会釈した。




