パラ25 着替えと細々した日用品を持って来てもらった件 そして束の間の……
石田さんが戻って来たのは、来客室の中でパソコンのモニターの光が、やけに目立つようになった時分だった。
ドアの外から「石田です。ドアを開けて下さい。」と言う声が聞こえ、扉を開くと、彼女と、もう一人見知らぬ少女が立っていた。
二人とも、僕と岸峰さん用の着替えが入っているらしい大荷物を両手で抱えている。
もう一人の少女は、石田さんより頭半分くらい背が低く、オカッパで市松人形の様な印象だ。
石田さんは「あれ? 明かりも点けないで。」と、抱えた段ボール箱をパソコンの横に載せると、電灯のスイッチを入れた。
「有難うございます。荷物大変だったでしょう?」
僕のお礼に、石田さんは「衣類だから、嵩が有りますが、見た目ほど重さは無いのです。」と笑ってから、「彼女は、古賀と言います。私と同じく婦人部隊員です。」と、もう一人の少女を紹介してくれた。
紹介された古賀さんは、机の上の見慣れぬ機械を見て、手に持った荷物をどうしたら良いのか分からないらしく、段ボールを抱えたままオロオロしているので、「荷物、受け取りますね。」と箱を寄こしてもらったが、石田さんが言う程、軽くはない。
僕が簡易寝台に段ボールを運ぶ間にも、岸峰さんが「石田さん、古賀さん有難う。中を見せてもらっても良い?」と、早速箱を開けている。
石田さんが「変わった服に着替えられましたね。」と、岸峰さんのジャージを評すると、岸峰さんは「体操用の服ですよ。でも楽なので、部屋着や寝間着にも活躍します。」と色気の無い事を言っている。
岸峰さんが開けた箱の一番上にあったのが、乾パンと牛缶だ。
日本軍の代表的ミリ飯の一つだけれど、何となく僕たちには災害時用の備蓄食を思わせる。
「今夜と明朝の配給分です。」と石田さん。「お米のゴハンは、もうちょっと後になるかと。」
次に、箸・石鹸・歯ブラシ・和鋏・裁縫セット・缶切りの様な細々したものが入っている巾着袋。
歯ブラシは木製の柄で、植毛されているのは動物の毛だ。
触ってみると、かなりしっかりした毛だけれど、何の動物の毛なのかは分からない。
僕の様子を見ていた古賀さんが「あの……豚の……。」とモジモジしながら教えてくれる。
巾着袋の横には、軍手・軍足と手拭い。
軍足は、踵が無く、細長い袋状のモノ。
手にした岸峰さんが不思議そうな顔をしているので
「軍足だよ。踵が無いのは縫製を単純化するためと、米を一食分ずつ分けて入れておくのに便利だから。」と説明を入れる。
「合理的といえば合理的だけど、食べ物を靴下に入れておくのは……。」とは、岸峰さんの感想だ。
手拭いと並んで、細長い布が包帯のように巻いてある。
包帯にしては分厚いな、と思っていると、石田さんが「巻脚絆ですよ。」と正解を教えてくれた。これがゲートルか。
岸峰さんが「巻脚絆って?」と質してくるので、「ゲートルだよ。脹脛にシッカリ巻いておくと、加圧式のタイツみたいに脚の疲労を軽減させてくれるモノ。」と答えておいたけれど、実を言うと僕は巻き方を知らない。
だから「巻き方を、教えてもらえませんか?」と、二人の婦人部隊員にお願いしてみたら、古賀さんが「じゃあ、私が。」とゲートルを持って、僕の足元にしゃがみこんだ。
彼女は、まずゲートルの中央部分から、僕のズボンをゲートルに仕舞い込むように足首に巻き付けると、左右を順に回して、固く締め付けながら脹脛の方へ巻き上げてゆき、膝の下で両端を縛った。
……うーむ。編み上げ靴の靴紐を結ぶのと同じで、慣れて要領を掴むまでは苦労しそうだ。
僕は「コツが分かるまでは、なかなか難しそうですね。」と言いながら、腰を下ろして片膝を着く。
脹脛の圧迫感や膝関節の血行などを確かめていると、古賀さんもしゃがんだまま「何時まで経っても上手く巻けなくて、怒られる人もいます。」と教えてくれる。
「そうなのですか。僕たちの時代でも、ゲートルは裾の巻き込み事故防止やなんかで、大きな工場では使われているのですが、このように巻き付けるタイプではなくて、厚くて固いハンカチ大の布地をボタンかスナップで留める形に……」と説明しながら、視線を足元から前に向けると、僕と同じ様な態勢を取った古賀さんがいる。
当然、彼女はスカートを穿いているわけで……。
僕が『白!』と思った瞬間、石田さんと岸峰さんが同時に
「スカート!!」
と叫んだ。
一拍遅れて悲鳴を上げた古賀さんは、立ち上がろうとした僕を、小さな身体に見合わない強い力で突き飛ばして…………
…………
……………………
「片山クン。」
岸峰さんの声だ。
「私の顔、頬の傷は残っちゃうみたいだから、アナタが責任を持って嫁にしなさい。」
なんだ? この理不尽な要求は??
声の方を向こうとするが、全身が痛い。
自分の身体を見ると、薄水色の入院着を着ていて、あっちこっちに包帯が巻いてある。
ようやく身体をひねって横を見ると、岸峰さんが隣のベッドに座っている。
彼女は僕に比べれば余程元気そうだが、右の頬には大きなガーゼが宛がってあり、絆創膏と包帯とで留めている。
岸峰さんの表情は真剣で、彼女の顔のガーゼで隠れていない部分は、真っ赤になっていた。
横開きの扉が開くと、顧問と両親、そして両親と同年配の男女が入ってきた。
両親と同年配の人は多分、岸峰さんの御両親だろう。
全員、ひどく慌てている。
顧問の先生は「片山君、岸峰さん。大変な事に成った。」と前置きしてから「理科室の屋上に居たのが誰か分かるか?」と性急に質問を入れてきた。
「物研と無線部の合同チームでしょう? 『でかい実験やるから、その準備だ。』って鼻息を荒くしてましたから。」と岸峰さん。「こっちは貰い事故で死にかかったんですから、変な装置を動かすのなら、私たちにも退避勧告しておくのが仁義ってものでしょう?」
先生は頭を振ると「いや、そうじゃないんだ。彼らは自分達も退避していなかったんだ。」
それを聞いた岸峰さんは「それじゃ……大怪我を。……まさか死……。」と絶句してしまったが、僕にはその先の展開は読めた。
「多分、全員が消えてしまったんですね? 何故だか跡形も無く。」
…………
…………………………
感じたのは音でも振動でもなく、重力が増大するような変な感覚だった。
水に深く潜って行くに従って、身体に水圧が圧し掛かってくる様な、異様な圧迫感とでも言ったらよいのだろうか。
僕は、秤量瓶を用意している岸峰さんを押し倒すと、彼女の身体の上に覆いかぶさった。
当然、彼女はひどく抗い、爪で僕の顔を掻き毟った。
しかし次の瞬間、理科準備室のLED照明が破裂し、派手に破片が降り注ぐと、僕の下で身体を丸めて大人しくなった。
天井が撓み、ガラス器具が割れ、機械や棚が倒れる音が響く。
けれど、カタストロフは長くは続かず、異様な感覚もじきに消えた。
僕は背中の上に倒れてきたアルミ製の整理棚を押しのけると、岸峰さんの様子を調べた。
彼女は破片を受けてしまったのか、頬に大きな切り傷を負っていたが、それ以外には目立った怪我や骨折は無さそうだった。
ただ、ショックを受けたというか腰が抜けたようで、動けないでいる。
僕は無理やり彼女を抱え起こすと、足元に気を付けながら廊下に繋がるドアに向かった。
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参考
段ボールの生産
日本で本格的に段ボールの生産が始まったのは1920年




