邀撃計画
高坂中佐は、会議室の壁に掲示してある御蔵島の地図の前に立つと
「今夜は灯火管制など行わず、港や工場などでも積極的に明かりを点けておくようにお願いしてありますから、南岸の御蔵港と東岸の新港、それに御蔵・新港の両港に挟まれた南東側の工場地区は島の外からだと、とても賑やかに見えるでしょう。……殊に電灯の明かりを知らない人達にとっては。」
不夜城たる東京や広島の夜には、比ぶべくも無いだろうが、電灯やガス灯の無い時代の人間が見れば、確かに「この世に現出した天上界」か「闇に浮き上がる魔都」の様に思えるに違いない、と加山は思った。
昭和に入った日本でも、電気が来ていない田舎はまだまだ広いし、洋灯の夜は暗いのだ。
この時代の海賊は、洋灯の明かりすら見た事が無いだろう。
大型船多数が停泊する軍事拠点の御蔵港や、軍工場や倉庫群が犇めいている工場地区が明るいのは勿論だが、近頃では、直接御蔵港に接岸が許されなくなった、民間船用の港である新港付近の発展も著しい。
新港は、広島・呉と御蔵島、また御蔵島と松山を結ぶ、小型フェリーや連絡船の発着場であり泊地として、これまで御蔵港が担っていた役割を代替する目的で新たに建設された。
だから、当初は発着所だけの殺風景な港だったが、宿泊施設や飲食店の数が次第に増えたのだった。
通いの工員の中には、通勤時間が長いのを嫌がって、新港近辺で間借りをしている者もいる。
その為に、カフェーのような如何わしい店舗も増えていたが、軍用地の敷地外でもあるし、息抜きのための必要悪として黙認されていた。
このような状態であったから、軍施設の御蔵港に比べれば面積的には狭い地域ではあるが、新港周辺も夜は明かりに満ちている。
島の南西岸は、兵舎群と御蔵空港や修理廠等の陸軍施設が占めていて、割と夜間は明かりの少ない地域だったのだが、大勢の避難者を空き兵舎に退避させた事によって、東岸に並ぶ灯火を発する事になるだろう。
続けて中佐は、島の東岸から北岸と、南西岸から西岸の位置を指し示して
「この部分は、米軍の段列の方々が、探照灯を積んだ機動車や自動貨車を頻繁に移動させる手筈になっています。機動車や自動貨車には機銃も載せてありますが、機動力重視の非装甲部隊ですから、万一敵がこちら側からの上陸を試みる場合には、着上陸を待たずに先制攻撃も止むを得ません。しかし、外周道路の街灯も立っていますし、騒々しく車両が行き交っていれば、上陸目標に選ばれる可能性は低いと考えています。」
そういう手段で西岸から北岸の間に、海賊船団を誘い込むのか。
戦車隊の潜む北西方向は、街灯も切って暗闇にしておき、「誘いの隙」を作るわけだ。
加山には、作戦の大枠は見えたが、それでもまだ予想戦場対象地域が広すぎる、と思った。
「中佐殿、それでも……まだ、戦車中隊で全てを押さえられる広さではありません。渚で上陸部隊を捕捉殲滅するためには、もっと兵力を動員しないと。」
先に敵に撃たせるという中佐の理屈は重々承知だが、一旦上陸を許し島の奥まで入り込まれたら、山狩りをして賊を炙り出さなくてはならなくなる。
兵器の差を考えれば、こちらから打って出る方が、殲滅戦の目的を達するに、遥かに容易いのだ。
「高性能爆薬を装備した敵が、少数精鋭の挺身隊を送り込んで破壊活動を行うというのなら、君の言う通りでしょう。けれど加山さん、一度この時代の海賊に成った心算で、上陸作戦を考えてみて下さい。通信機も無く、不案内の地を、手漕ぎの船で夜間に急襲するのですよ?」
中佐の指摘は、加山の胃の腑にストンと収まった。
頓悟、というヤツだ。
『海賊は、まとまってしか動けない』のだ。
海賊の目的は略奪だ。そして装備している武器は、刀剣・槍・弓に加えて、せいぜい火縄銃でしかない。
襲撃を行う時には数に物を言わせて、一気呵成に押し込まねば、相手に受け止められてしまう。
逆に言えば、膠着状態に持ち込まれてしまったならば、来た道を戻って海に退くしか無いのだ。
だとすると……。
……切り立った崖や、荒れた磯場は駄目だ。船を係留出来ない。
また、御蔵の港は明る過ぎる。
そうすると、砂浜かゴロタ浜……いや、ゴロタ浜は難しい。暗礁が有る。20m級だけなら座礁はしないだろうが、60m級と連携が取れなくなる。
ならば正解は、20m級が15隻一度に乗り上げられる「砂浜」だ!
「お分かり頂けたようですね。条件を満たすのは砂浜です。文永の役の時にも、元軍は最初に今津の大原海岸、次に百道浜・姪浜と砂浜に兵を上陸させています。今回も強襲上陸を目指すならば、北西岸にある砂浜を狙うでしょう。……該当する地点は、2ヵ所しか有りません。それぞれ7両のM3が待っている事になります。」
「仮に……仮にですよ? 相手が島の明かりに驚いて、襲撃されなかったら、どうするのですか?」
「今夜、戦いにならなければ、それはそれで良いのです。明朝に偵察機と装甲艇で、挨拶に出向く事に成ります。そうなると、明日予定している水上遮断作戦は日延べしなくてはいけませんが。」
中佐は「それで良い」と口にしたが、腹の中では敵襲は有ると考えているようだ、と加山は思った。
現に、彼は声を潜めると
「豪州軍と米軍に、傍観者ではなく当事者なのだ、という事を、頭だけではなく腹の底まで理解してもらう為には、『来て頂いた方が』良いのかも知れない、とは思いますよ?」
と呟いてみせたのだ。
そこまで考えた上での「邀撃作戦」か! と加山は舌を巻いたが、地図の前から席に戻った中佐が次に口にしたのは、新港地区の避難状況についての質問だった。
「加山さん、新港地区はどうでしょうね? あそこの方々は、素直に避難に応じていらっしゃいますか?」
「状況が飲み込めないまま、大騒ぎになっているようで、他の地区に比べると正直言って避難は遅れています。避難に応じた者も、家財道具を避難用に差し向けた自動貨車に積み込もうとしたり、大八車で逃げようとしたりと、予想以上に時間がかかりそうです。」
「新港地区が戦場になることは無いでしょうから、時間が掛かっても大丈夫でしょう。むしろ火の不始末の方が怖いですから、避難が終わった後に消防団には見回りをお願いしておく必要が有りますね。それと……」
中佐は言葉を切ると、書類の山の中から、迷う事無く一枚を取り上げた。
一見、無秩序に見える机の上だが、彼の頭の中では完璧に仕分けが出来ているようだ。
「新港地区の方々にも、兵舎まで避難して頂いたところで、この書類を読んでもらいます。」
中佐が示した書類とは、今朝から起きている一連の事態を詳細にまとめた、隊内報の抜粋だった。
既に兵と軍属、兵舎に避難している者には配布済だが、それを新港地区の住人にも配布しようと言うのだ。
情報から隔離されると、人は疑心暗鬼になる。
一度その様な精神状態に陥ると、簡単に流言飛語に惑わされてしまうから、正確な情報を伝達する事の重要さは加山にも分かっている。
しかし抜粋とはいえ隊内報を、軍に関係の無い(あるいは薄い)人々にまで配布するのは、どうかと考えるのだ。
御蔵島は陸軍の一大要地だから、居住や通いの人間は民間人と雖も、身上調査や人物確認は厳重に行われている。
しかし、その様な場所であるからこそ、露探や無政府主義者の標的にも成り得る。
胡乱な人物が身分を隠して潜伏するとしたら、新港地区であろう。
だから、新港地区の避難民にまで、簡易版だとしても軍の情報を流すのには抵抗が有った。
加山は「新港地区の避難民にも、ですか……。」と口ごもったが、中佐は加山の疑念を別の意味に採ったらしく
「そうなのですよねぇ……。本当は、紙もインクも節約したいのですが……。」
と方向違いの感想を漏らした。
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補遺
照明器具の発達による夜の明るさの違い
石川英輔 著 「実見江戸の暮らし」 講談社 134頁には
『50張か100張の行灯を室内に置いて、やっと60ワットの電球をつけた程度の明るさになるのだ。』
との記述がある
ムカシの夜は暗かったのだ
カフェー
大正期から昭和初期の「カフェー」は風俗店だった
店内では「女給」と呼ばれる女性が同席する
現在の「キャバクラ」のような店と考えてよい
現在の「カフェ」は普通に「喫茶店」と言った
主に牛乳を出す喫茶店は「ミルクホール」と呼んだ




