近傍海域偵察
95式水上偵察機を操りながら、笠原少尉は後席の池永が「あれ?」とか「う~ん……。」と呟くのが気になって仕方がなかった。
池永は陸軍航空少年兵の少尉見習いで、笠原はその能力を買っているのだが、少々落ち着きが足りない。
笠原が「どうした?」と声を掛けると、池永は「地図と、実際の島の位置とが違っています。」と妙な返事をしてくる。
95式は2座の偵察機だから、笠原は後席の通信・偵察・航法要員として、実習の意味も兼ねて池永を「積んで」きたのだ。
上空警戒の必要無し、との状況報告は入っていたし、95式の後席には元から旋回機銃は搭載されていない。
陸軍航空隊の兵は、地上目標を見ながらの有視界飛行はお手の物だが、見えるものが海面ばかりの計器飛行は海軍より苦手としている。
だから、多島海域での偵察行ではあるけれど、出発前には彼に「視力だけに頼った偵察ではなく、計器飛行のコツを掴むように。」と言い渡してある。
「御蔵は、元々ここには無かった島だから、御蔵空港発の計器航法だと、変に見えるだけじゃあないのか?」
笠原の問いかけに、池永は
「それも含めての事なのです。御蔵を抜きにして、元から有った島と島の位置関係を、何度計算してもオカシイのです。」
「基点にした島が、見立てと違っているのではないか?」
池永は少し考え込んだが、
「少尉殿、一度この群島の端まで飛んで頂けませんか? 間違えようのない島を基点にして、測量を行ってみたいのです。」
少尉見習いの意見は、「付近の島の敵情を偵察する」という目的からは外れるが、笠原は確認しておく必要はある、と感じた。
「よし。司令部に打電して、意図を伝えろ。」
彼は池永が司令部に宛てて放つ報告の打鍵音を聞きながら、機首を東シナ海へと向けた。
「笠原機からの報告では、『舟山群島の島々の位置に異変あり。精査を要す。』との事です。」
加山少佐が高坂中佐の姿を求めて会議室に入った時、中佐は通信兵から偵察機の報告内容を聴かされている最中だった。
「『了解。』と返電して下さい。但し、『日没前に帰投せよ。』と加えておいてください。以上です。」
中佐は偵察機からの報告に、特段驚くような様子も無く許可を与えると、再び書類の山に向き直った。
急ぎ足で戻る通信兵を目で追いながら、加山は中佐に近付く。
「中佐殿、工場地区の軍属および民間人は、ほぼ兵舎内に収容が終わりました。各兵舎の割り振りは暫定的という事で、取りあえず室内に入ってもらっております。豪州師団を一時駐屯させる目的で拵えた兵舎が、無駄にならずに済みました。」
工場の中には、例えば製鉄関係のように、急に連続運転を止めると機械が痛んでしまう物が有る。
また、発電所など操業を止めるに止められない施設も存在する。
そこで、連続運転の必要な装置には最低限の保安要員を残し、残りの人員は基地内にまとまってもらう事にしたのだ。
表向きの口実は、「現在起こっている非常事態に対する特別警戒態勢のため」だが、それだけが目的ではない。
他の理由としては、防衛力を強化するために志願兵を募るのに、都合が良いからだ。
更に、現在御蔵島に居る人材の、知識と技能とを把握する必要が有った。
寧ろ、人材把握の必要性の方が、より大きいと言えるのかも知れない。
装甲艇と高速艇の報告から、高坂中佐は御蔵島が移動したのは「明朝末期から清朝初期である」と結論付けた。
今、世界中にはこの島を除けば、中世の文明しか存在しない。
言い換えれば、島の人材を一人でも失うという事はその分の先進技術を失う、という事になる。
だから志願してくれた者も、兵として未熟だからと言って「弾除け」などと無駄に死なせる訳にはいかない。
工場との交代勤務をさせながら、両方の技能を高めてもらわなければならなかった。
「ご苦労さま。兵科の加山さんに、事務仕事の片棒を担いでもらって、申し訳ありませんね。……やはり、船の人は陸より船を?」
中佐は書類から顔を上げて、加山を労いつつも、早速質問を飛ばしてきた。
「その様です。船にはメシも寝床も有りますから。」
「その分、宿舎と食事を用意する手間が省ける訳ですから、良しとしましょう。兵には降りて頂いていますよね?」
「船舶兵には、派遣先の船から原隊に復帰という事で、まとめてあります。……しかし、船に兵を配置しておかなくて大丈夫でしょうか? 海賊による夜襲も考えておかないと……。」
中佐は加山の言葉に頷いて見せたが
「加山さんの懸念は、おっしゃる通りです。けれど、人間は休養を取らないとミスを犯しがちです。緊張の多い一日でしたから、ここは無理にでも休んで頂かなくてはならないのです。」
と譲らなかった。
「明日、実行する水上遮断作戦に従事しなければならない者は、休ませるのが適当であるというのは、頭では理解出来るのですが……。」
加山の消極的な反論に、中佐は笑みを返した。
「北西方向を偵察した94式偵察機から、60m級 6本マストの大型船が3隻接近中との連絡が有りました。20m級 15隻を引き連れているようです。」
「それは!」加山は絶句した。
20m級というのが、先ほど装甲艇と戦闘を行ったジャンク船と同規模の海賊船だろう。
1隻に20人の海賊が乗っているとすれば、20m級だけで300の海賊がいることになる。
60m級であれば100から200人は乗せているだろうから、全部で敵は600から1000人、言い換えれば大隊規模の敵だ。
「直ちに、空爆を?」
加山の問いかけに、中佐は頭を振った。
「そうしたいのは山々ですが、先の海賊と同一所属の敵であるという確証がありません。海賊である可能性が高いのは確かですが、海賊が狙っていた本来の『獲物』であるかも知れないのです。」
……確かに。
中佐から諭されると、加山にはそれ以上の反論は、し様が無かった。
「心配には及びませんよ。」加山の表情を読んで、中佐は打った手を説明してくれるようだ。「豪州軍の段列部隊が、邀撃戦のために臨時戦車中隊を編成してくれています。」
戦車中隊は14~16両程度の戦車から成り立つ。
御蔵島に居る部隊であれば、使用車両はM3軽戦車だろうから、確かに火力は強力だ。高初速で直進性の高い37㎜砲は500m先の20m級ジャンクを容易に撃破するだろうし、5丁の機銃は波打ち際で曝露状態の海賊を圧倒するだろう。……しかし……。
「中佐殿、御蔵は狭い島ではありません。島の周囲の長い海岸線に、15両程度の戦車をバラ撒いても――流石に各個撃破される事は無いでしょうが――敵に易々と上陸を許すのは、火を見るよりも明らかです。」
「そうですね。任意の場所に上陸してもらっては、困ります。ですから、こちらの待ち構えている場所に、攻め寄せて来て頂いた上で、先方から先に発砲してもらわなければなりません。……もし、敵ならば。」
何を言っているんだ、この人は?! 敵の上陸地点を、こちらが決めるとでも?
中佐は、加山の頭の中を読んででもいるかのように、視線を固定していたが
「いわば、注文相撲です。ペテンにかけるようで、後味はあまり良くないのですけれど。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
補遺
この章で登場した航空機は
笠原機 95式水上偵察機 2座のフロート付き偵察機
94式偵察機 2座の陸上機
M3軽戦車の機銃
初期型のM3には車体左右に1丁ずつ固定機銃が有った
有効性が低いという理由で改良型の車両では廃止




