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弘光帝の南征?7

 実を言うと、弘光帝は印を刻むのにいただけではなく

――もしや南竿島に幽閉されているのは、黄尚書にたばられたのでは?

という疑念を払拭ふっしょく出来ないでいた。


 なぜなら――次々もたらされる報告を聞く限り――北上する唐王の軍勢は、正に日の出の勢い。

 救国の英雄たる人物は、自分(弘光帝)ではなくて、唐王であろうと思えたからだ。

 自分の贔屓目ひいきめにでもそう映るのだから、周囲の人物は皆「唐王こそ皇位にあるに相応しい。」と考えているのだとしか思えなかった。


 ――ならば礼部尚書も、正直にそう申せば良いのに。譲位じょういするなど今の朕にとっては容易たやすいこと。

と考えると、印刀を持つ手にも力が入らない弘光帝であった。

 ――禅譲ぜんじょう天下てんが安寧あんねいに繋がるというのなら、朕には何の不満もない。

 弘光帝がサツマイモをかじり齧り印刀を動かしながら、薄ボンヤリと掴みつつあった”何か天下の為になること”というのが『禅譲』なのである。


 弘光帝、基本的に甘い人間なのだろう。

 ”甘い”という評価が厳しすぎるというのであれば、”優しい”と言い換えてもよい。


 北京で縊死いしした先の皇帝 崇禎帝すうていていは猜疑心の強い男で、諫言を繰り返す黄道周を拷問にかけた上で死罪にしようとしたし、唐王も崇禎帝支援のために軍を起こしたのが裏目に出て、叛意ありと庶人に落とされた上で拷問にかけられ8年間獄に繋がれた。

 二人を赦免し引き上げたのは、なにを隠そう弘光帝なのである。


 仮に南竿島でサツマイモを齧っているのが弘光帝ではなく崇禎帝であったなら、彼は「応天府は本当に陥落したのか?」という部分から疑っていたのに違いない。

 なぜなら、燃え上がる応天府も押し寄せる敵の大軍も目にしたわけではないし、江南は既に清の手に落ちるも唐王の軍が反撃の狼煙を上げて福州から攻め上っている、という情報も全て伝聞でしかないからだ。

 反乱のきざしがある、と帝都から連れ出され、誰とも遭わぬよう船を乗り継ぎ、気が付けば南の果てなのである。

 報告を寄こす舟にしても、馬祖列島の他の島から『予め念入りに用意されたにせの報告』を持ってきているだけと、疑おうと思えば幾らでも疑えるのだ。

 無能で邪魔なだけの皇帝を、国家の命令系統から外すための大掛かりなコン・ゲーム――頭の回る黄道周なら、その程度の事はやってのけるに違いない。

 根が陰気でマイナス思考の崇禎帝なら、そう判断したであろう。


 一方、凡人で暢気のんきな弘光帝は、黄尚書や唐王、南安伯(鄭芝龍)が『悪意を持って皇帝を幽閉した』というクーデター説は頭にも浮かばない。彼らは信に足る、と今現在でも思っている。

 だから応天府がちた事も疑っていなかったし、妻子が既にこの世に居ないであろうというのも――まだ実感としては胸中にまで降りてはいないが――悲しく思っていた。

 『はかられた』という感情も、皇帝の指揮権・統帥権を剥奪されたというのではなくて、『戦時に在って、担当能力的に向いていない人物をラインから外して負担を軽減してやり、それなりの仕事を任せる』という”気遣きづかい”の配置転換のようなものだと感じている。

 だからこそ『今の自分に出来る最上の行為は、譲位ではないのか?』と考えたのだ。


 「礼部尚書よ。帝位を唐王に禅譲ぜんじょうせんと考えるが、如何いかん?」

と皇帝は諮問しもんした。

 穏やかな表情である。


 対する黄道周の返答は――

「なりませぬ。」

というものだった。


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