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弘光帝の南征?4

 南安伯館に着くと、黄道周は使用人に蔵の鍵を所望しょもうした。

 使用人頭は――言い含められてられていたのだろう――一切抗議する様子も無く、蔵の鍵ばかりではなく、全ての扉の鍵を一纏めにした鍵束を手渡し「何なりと、ご命じ下さいませ。」とうやうやしく礼をした。


 案内を頼むと、黄道周は遠慮なく金蔵を開いた。

 ――予想通り、少ないな。

というのが、彼の感想である。

 あたりまえ、であろう。鄭芝龍は手弁当で軍事遠征を行なっているのだ。軍資金を持って行く必要があったのだから金銀とぜには減っていて当然である。

 ただし礼部尚書が着服しようと考えたなら、生涯を贅沢三昧に過ごしても余りあるだけの財である。

 「むう……。この鍵はお返ししましょう。」と彼は金蔵の鍵を使用人頭に返却する。


 次に黄が案内してもらったのは交易品の蔵である。

 交易品の蔵は複数あり、それぞれ絹に生糸、香辛料・漢方薬や茶などの輸出品と、象牙や香木・紫檀したん黒檀こくたんなどの輸入材、洋酒やキナ樹皮(抗マラリア薬)などの輸入品が詰まっている。

 彼は状態の良い象牙と黒檀材を、それぞれ20㎝角ほど切り取ってもらうと、交易品庫の鍵も返却した。


 最後に向かったのは宝物庫だ。

 ここでチョイスするのはぎょくである。

 玉、すなわち翡翠ひすいには、硬玉こうぎょくと軟玉の二種類がある。

 硬玉と軟玉とは見た目にはよく似ているが、実は全然別種の鉱物である。ただし、一括りに玉と呼ばれて宝石として扱われていた。

 海岸や河原に硬玉の原石が転がっているような日本とは違い、中国では軟玉しか産しないから、黄道周が探したのは加工しやすい軟玉だ。

 へきか細工物に加工するつもりでもあったのだろうか、よさげな原石を見つけた黄道周は、それを頂戴する。

 「さて、それでは篆刻てんこくに用いる印刀いんとうはございますかな?」


 黄尚書が玉璽を刻む材料や道具を着々と調達していたころ、皇帝は早くも空腹を感じていた。

 決意表明をすると直ぐ

「それでは、酒色しゅしょく・五穀・肉を断ち、斎戒沐浴さいかいもくよくから始めていただかねば。」

と直前まで叩頭平伏こうとうへいふくしていた黄道周が、蘇生したごとく張り切り始めたからだ。

 弘光帝は『酒や女色はダメなんだろうなァ……』と漠然と考えていたのだが、”穀類一般と肉”も遠ざけると言い渡されたカタチである。しかも朝な夕なに頭から水をかぶって天地を祀るという付帯条件付きで。

 馬祖列島は沖縄本島とほぼ同等の緯度だから、水をかぶるのは苦痛ではない。しかし――

 「そ・それでは朕は、いったい何を食せばよいのだ?」


 「水を飲み、塩をなめておれば、十日二十日とおかはつかは問題ありませぬ。」

 礼部尚書は敢然と言い放った。「しん黄も、以前、二十日ほど断食を試みたことが有りますが、これこの通り。」

元気デアル、と言うのだ。


 「デ、アル、カ……」

 皇帝の返事があまりに悄然としたものであったので

「それではいもは良し、としましょう。古来、芋は五穀に含まれておりませぬゆえ。」

と黄道周は救済案を出した。「芋を食せば、命を繋ぐのに他の食物は食べずとも差し支えありませぬ。」


 鬼め! とは皇帝は思わなかった。

 何故なら塩と水だけに比べれば、芋もOKとなるなら『飢えはしないだろう』と直感的に感じられたからだ。

 むしろ『礼部尚書は、やはり機転が利く!』とすら考えた。


 そして黄道周が連れてきた者たち皆を連れて山を下ると、仮宮で弘光帝は一人きりになってしまったのである。

 宮女である杜虹隠とこういんが下山するのは当然として、宦官くらいは居残ってくれるだろうと考えていた皇帝はアテが外れて、とりあえず何から始めればよいのか室内をウロウロと彷徨さまよった。


 仮宮に定めた主建造物以外になら、山頂の敷地内にも取り合えず人は居る。

 望楼で海を監視している鄭氏の部下や警備の兵などなら。

 ただし彼らは、『皇帝陛下にじかに”御目見え”するなど、あまりにもおそれ多い』と、皇帝が姿を見せても遠くから平伏するばかりで、目も合わせようとしない。

 彼らの食事の用意なのであろうか、粥を煮る旨そうな匂いや魚を焼く香ばしい匂いが微かに窓から漂ってくる。


 しかし弘光帝は、五穀立ち・肉立ちの(決意を表明したばかりの)身である。具材ぐざいが禁止事項に引っ掛かる。

 「朕にも一口……。」と、軽々しく食べさせてもらいに行くわけにはいかないのである。

 皇帝は「や虞や、ひもじさを奈何いかんせん……」と項羽の『垓下がいかの歌』をもじると、玉座にへたり込んだ。


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