富春江第一次渡河作戦2
張孟衡の偽装筏は突貫作業で120艘もが完成していたが、肝心の風に恵まれず関仁隊の渡河作戦を支援するのは難しいと判断された。
また明石隊は――予想されたことではあったのだが――適当な渡渉点を見いだせないでいた。
そこで関仁が採った策は、夕闇が近くなってから渡河を開始するという、常道を逆手にとった作戦だった。
通常、奇襲や強襲は夜明け前ギリギリの闇を衝いて行われることが多い。
これは払暁時には防御側の個々の兵士の判断力が鈍っていることや、闇に紛れて敵から攻撃側の全貌が判り辛いという利点があるからだ。また攻撃成功の暁には、時間が経つにつれ次第に日が高くなっていくから戦果の拡大も望みやすい。
一方、同じ薄闇でも夕暮れが攻撃開始に向かないのは、直ぐに夜を迎えるために攻撃側にとって敵地での行動が難しくなるためである。
視界を遮られてしまえば、陣に籠って眼前に迫ってくる敵に相対すればよい守備側とは違って、機動戦を行わなければならない攻撃側は同士討ちのリスクや敵の待ち伏せ攻撃を見破れないリスクが跳ね上がる。
照明弾も無線通信も無い時代である。闇の中の戦いでは地形や陣地構成を熟知している側が圧倒的に有利なのだ。
ただし今回の渡河作戦に限って考えれば、上陸した後に逐次発生する問題よりも、何よりまず第一に”敵弾を搔い潜って上陸するまで”が問題だった。
白日下の渡河では、手ぐすね引いて待ち構えている敵迎撃部隊の水際防御により、先陣の被害は無視できない人数となるだろう。対岸に達した時点で、既に攻撃力を失っている可能性も有り得る。
清国兵が銃や弓といった『確率兵器』を使った迎撃を行うのであれば、夜闇は白昼での煙幕同様、確率兵器の命中率を劇的に低下させることが期待できる。
他方、関仁の部隊が戦闘力を維持したままで上陸してしまいさえすれば、戦慣れした水軍兵が得意の倭刀を振るって河岸の敵鳥銃を圧倒することが出来よう。
河岸に陣取った清国兵を追い散らしてしまうのが叶えば攻撃はそこで止め、その後はスコップでタコツボを掘り、味方の第二陣・第三陣がピストン輸送されるのを待つ。
逃げた敵を追って敵縦深陣地を潰しつつ内陸に進行するのは、更に白襷隊や大将軍からの増援を得て、兵勢が整った後でよいのである。
海が塒の海賊衆は、杭州という大都市圏から動員された新徴募の清国兵より、夜目が利く。
緒戦の夕闇から星明りの戦いでは、関仁の先陣部隊は、敵の松明や火縄を目印に闇の中から無言で切りかかるという戦法を徹底する。
それを可能とするためには、まだ薄明りの残るうちに敵から60歩(約96m)まで距離を詰め、夜の帳が下りたタイミングで一気に岸へと舟を寄せるのがキモとなる。
――そうするしか、方法は無い。
と関仁は読んだし、鄭福松も同意した。
「漕ぎ出せ!」
次第に夕闇が深くなる中、頃合い良し、と関仁は河岸で待機している船団に大声で命令を下した。
同時に彼が座乗する艀で、銅鑼が打ち鳴らされる。
100艘の小舟は、対岸に向かって始めはゆっくりと、そして次第に速度を増しながら進み始める。
乗り組んだ兵は、えい! えい! と声を揃えて、櫂がわりのスコップで水を掻く。
対岸では薄闇の中、松明の炎が倍、更に倍と増え続け、激しく動き回っている。
――こちらが渡河準備を行っているのは敵も気付いていたであろうが、いざ迎え撃つとなると流石に慌てるか!
関仁は増える炎を見据えつつ「御蔵の探照灯とは違って、篝火では沖を照らすことは出来ん。敵は己が目を晦ましおるだけぞ!」と兵を励ました。「闇は我らが助勢である。臆するな!」
紹興側の河岸には急造の高櫓が設えられ、その上には福松が陣取っていた。
彼は関仁から預かった、御蔵渡りの双眼鏡で戦況を眺めていた。
――行ける! 行けるぞ。
軍師将軍は困難を予測された作戦の成功に手ごたえを感じ、何時になく興奮している。
「間も無く完全な闇となろう! 先陣は首尾よく敵陣に切り込むぞ。二陣は戻り舟に乗り込む用意をせよ!」
そして紹興側でも河岸に篝火を焚かせる。杭州側で兵を降ろした艀を迎え入れるためだ。
関仁は揺れる艀の上で兜の目庇を上げ、楯の陰から身を乗り出して敵陣を観察した。
散発的に発砲炎が上がり、堪え切れなくなった一部の敵兵が鳥銃の引金を引いてしまったのが分かる。
――恐れのあまり、充分に引き付けることなく撃ってしまったか。あれでは大きな的にすら当てることが出来まい。
そして杭州側で10ヶ所ほどから、ひときわ大きな発射炎が上がるのも目にした。
火薬の燃焼する眩い尾を引きながら、多数の飛翔物がこちらに向かって飛んでくる。
火箭(多連装ロケット矢)だ。
火箭には多少の焼夷効果はあるものの、鉄砲や強弩に比べれば貫通力は遥かに低い。面制圧目的の、いわばイヤガラセ兵器で命中率も酷い。
――まぐれ当たりを当て込んで、少しでも舟を焼き払えれば良しと考えたか。
関仁はニンマリと笑った。
楯は水に浸して充分に水を吸わせてあるし、艀の上では兵がスコップで絶えず水を掻いているから、舟も兵もズブ濡れである。火矢を食らった艀が出ても、燃え上がることは無いであろう。
ただし、この”水に濡れる”という点は痛し痒しで、敵の火矢攻撃からは守られる代わりに、艀の上からは南明軍が得意とする鳥銃射撃が行えないということになる。
だから第一陣の兵は鉄砲を持っておらず倭刀装備なのだ。木箱に詰めて油紙で厳重に包んだ鉄砲や火薬が届くのは、第二陣以降の到着を待たねばならない。
しかし、と関仁は第一陣に鳥銃が無い点に関しては楽観視していた。
――切り込みが叶いさえすれば、鳥銃も火薬も敵兵から奪えばよい。
――それに、敵は手榴弾の一斉投擲を食らえば、その猛威を前にして算を乱して逃げ散るであろう。




