カヤキ17 オキモト少尉殿から拳銃を撃つときの気構えを伝授される件
なんだか会話が妙な具合に進んでいるので
「少尉殿、どんなご用件で、こちらに?」
と訊いてみる。まさかオキモト少尉殿が、ゴンドウ曹長殿の仕事ぶりを監督しに来たとは考えられないから。
だって今まで見てきた限り、少尉殿は凄腕の情報将校ではあるけれど、工学関係の技術将校としては……あんまりその片鱗を見せているようには思えなかったもので。(まあ、能ある鷹が爪を隠しているだけなのかも、という可能性は捨てきれないけどね。)
少尉殿は自然な様子でオニギリを一つ摘むと
「そうそう。黒板が調達できたよって、キミに報告にきたんだよ。」
とニィっと笑う。「海津丸の士官会議室の小黒板を、ね。」
たいへん有難いことなんだけど、『調達』という単語が、なにやら『大脱走』に出てくる調達屋を思い起こさせて不安になったので
「まさか、黙って持ってきたんじゃないでしょうね?」
と問い質したら「いやいや奥村少佐殿の指示に基づいて、さ。パクってきたわけじゃあないよ。」とのこと。
しかし――
「パクろうとしたのは海津丸会議室に備え付けのスライド投影機と、上陸部隊向けポータブル発電機なんだが見つかっちゃってね。少佐殿が言うには『その投影機は片山くんの、パソコンで描いた内容を即時に映し出せるプロジェクターとは違って、キャメラの35㎜フィルムに青焼きしないといけないヤツだから彼の負担が増えるばかりだろう。』ってさ。それで『小黒板の方なら持って行って宜しい。』と太鼓判を貰ったんだ。運搬にはリヤカーも”借りる”つもりだったのだけど、小黒板だけなら自転車で充分だって荷台に括り付けたら思いの外の大仕事になって、けっこう大汗をかいた。感謝して欲しいね。」
なんて事をぬけぬけと言ってのける……。(どこまでがホントウなのか、ちょっと判断に苦しむ内容だ。)
そして「純子ちゃんからM1908を受け取ったんだって? ちょっと見せてよ。」との御要望。
僕がホルスターから抜いたミニ拳銃を手渡すと、少尉殿は弾倉と薬室を調べて
「思った通りだ。一発目が装填されていない。この手の銃は遊底を引いて一発目を薬室に装填してから弾倉を抜き、マガジンに弾を込め直してやるものなんだよ。そうすれば、薬室の一発プラス弾倉の六発で、計7発を発射できる。たかが一発と侮るなかれ。それが生死を分けることも有るんだから。それに薬室に弾が装填してあれば、安全装置を解除して撃鉄を起こせば直ぐに発砲可能だ。両手を使って遊底を引く必要が無くなる。数秒の差だと思うかも知れないけれど、緊急時には勝負を左右する数秒だ。」
と教育的指導。
僕が「以後、気を付けます。」と頭を下げると、少尉殿は尊大に頷き「素直で宜しい。」とバスボイスで奥村少佐殿のモノマネ。
ちょっと癪に障ったので
「しかし少尉殿。薬室に弾が込めてあったら、暴発の危険性があるのではないでしょうか?」
と訊ねてみたら、「安全装置が有るだろ? そのための機構じゃないか。それにM1908はシングルアクションだから、撃鉄を起こさなきゃ引金を引いても撃針が叩かれることはない。……ちゃんと勉強したまえ。」と怒られてしまった。
ハアすいません、と頭を掻いていたら少尉殿が噴き出して
「14年式拳銃なんかで暴発事故が多発した過去事例を、片山くんは知っていたんだよね? だから慎重な扱いをすることに決めたんだろぅ。コイツは大丈夫さ。」
と笑いながらM1908を返してくれた。
そして「試射はしてみた?」と訊ねてくる。
僕が「いえ、弾が六発……弾倉に込めてある分しか無いですから。」と答えると
「ああ、そうか! ……大尉は予備弾も渡してないのか。ホントいい加減だな。」
とブツクサ。「と、なると、純子ちゃんも弾は余分を持ってないんだな。」
……どうもこの護身用装備は、岸峰さん経由で米軍情報部(ミッチェル大尉殿)からの支給という流れになっているらしい。いいけど。
そういえば、口紅は大尉殿からの借り物だという推測は、当たっていたという事になる。(嬉しいけど不思議だとも思っていたんだよ。あのキスマークには。)
そして少尉殿は「試射は是非ともやっておくべきだ。キミが慣れ親しんでいる94式拳銃とは、だいぶ味が違っているからね。94式の8㎜弾と違って、M1908の6.35㎜弾の装薬量は少ないから反動ははるかに小さい。だから扱い易くはあるんだけれども、反面、マン・ストッピング・パワーは小さいんだ。それだけでなくM1908には照門も照星も無いだろ。遠距離狙撃には向かない銃だと言える。日本刀か手槍の延長線くらいの気持ちで使ったら良いかな。弾は僕が用意してあげよう。その時には分解・掃除の手順も教えてあげるよ。」とのご提案。
有難いことだけど、槍や刀を手にした『敵』と、至近距離で対峙するハメになるのは御免蒙りたいものである。
そういえば、と僕は昨晩の事を思い出した。襖の向こうで、ミシっと音がした時のハナシだ。
あの時、早良中尉殿に止められなければ、僕は拳銃を手にして『敵』と鉢合わせしていた……かも知れない。その時、刀を抜いた『敵』が潜んでいたとしたら、僕は威嚇ではなく相手の体に向けて引金を引くことが出来ていたのかどうか。
言うまでもないことだが、僕は”ヘタレ”である。
命の遣り取りどころか、殴り合いすら(御蔵島での徒手戦闘訓練以外には)やったことが無い。
拳銃を手にしていたとして、アワアワしている内に脇差でバッサリ切られて――たぶんリアルには相手は切るより突きを入れてくるんだろうけど――伊能先生の厄介になるか、最悪、死んでいたのかも知れないわけで……。
「ん? 考えこんじゃったね。」と少尉殿はクスクス笑う。
「だからこそ、手と指とが自然に、しかも勝手に動くようになるまで、反覆練習を嫌になるほど繰り返すのが必要なのさ。緊急時には考えているヒマなんて無い。抜いたら撃つ。そして中てる。算数で九九を覚えないといけないのと一緒だ。7×8は56と覚えておく。急いでいる最中に7を8回足す暗算なんてナンセンスだろ?」
それに、と少尉殿は真顔になって
「抜いて、撃つ、が考えなくても出来るようになって初めて、脳を別の用途に使えるようになるんだ。『引金を引いてよいのか』『中ててよいのか』『腕を撃つ? 足を撃つ? それとも脳みそか心臓を狙う?』この”選択”だね。ここまで出来て、ようやっと『殺さないでもよい相手は殺さずにすむ』ってわけだよ。撃てばオワリ、ではなくて、戦いをどう終わらせるかの選択が出来るようになる。」




