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カヤキ15 岸峰さんからのプレゼントが何だったのか、を当てられる件

 聴衆が帰ってホッと一息ついたころ、蚊焼村を視察に行っていた早良中尉殿が本堂を訪ねてきた。

 「盛況じゃないか。皆、満足そうだったし。」と評してくれるところをみると、実は早くに着いていて、今夜の夜学がねるのを待っていてくれたらしい。


 「すいません、だいぶお待たせしてしまったようで。」と頭を下げると

「いやいや、皆さん技術の進歩には興味深々だからねぇ。だからと言って、職人技みたいに『見て盗む』式の指導では話にならない。片山くんみたいに噛み砕いて説明できる初等科・中等科の先生は貴重であるんだ。他の――例えば伊能先生みたいな――専門家にも講師をお願いしたいんだが、帝大レベルの講義をいきなり聞かせられても面食らってしまうだろうから、下地作りが大事でね。」

ねぎらってくれた。「それに待ってる間は、御住職から、佐賀・長崎の噂話なんかをうかがっていたから退屈しなかったよ。」

 ――そうか。中尉殿にとっては情報収集の時間でもあったわけだ。蚊焼村でも同様の行動を行った上で、別ソースでのクロスチェックを怠らない慎重な手法ではある。


 僕が中尉殿の訪問の趣旨をはかっていたら、「そうそう、実は朗報があるんだよ。」と中尉殿は話題を換える。

「藤左ヱ門さんの船が見つかったんだ。全員、無事。」

 そして宿直のお侍に「嵐に遭った船の無事が分かりましてね。少し込み入った話になります。」と座を外すよう要請し、久兵衛くんには一杯の茶を所望しょもうする。


 おお!

「ど・どこにいらっしゃたのですか?」

三人が座を外すと同時に、僕が噛み気味に勢い込むと「馬祖列島の南竿島だった。列島最大の島だね。鄭芝鳳氏の読みがピタリさ。」とのこと。「弘光帝の仮御所がある場所だ。」

 中尉殿は続けて

「加山少佐殿は、朝潮や大津丸・時津丸から洋上に水偵を飛ばす一方、音戸や武装漁船で港や海岸に停泊した『破損した大型船』が無いかどうかを虱潰しらみつぶしに探っていたんだな。遭難した船を探すなら、手堅いやり方だ。正確な海図があるわけだしね。」

 ただし、と中尉殿は話を継ぐと

「正攻法は手間が掛かる。捜索範囲は広いし、投入できる船舶数は全力に近いといっても手持ちには限りがあるから。」と久兵衛くんが淹れてきた煎茶を啜る。「ありがとう。みる美味しさだ。……ここで耳にした事は、他言無用だよ? 君のことは片山くんが信用しているようだから、僕もそれにならおう。」

 それを聞いた久兵衛くんは「恐れ入ります。」と一礼して僕の横に座る。


 「鄭芝鳳という弟さんが鄭芝龍将軍にはいらっしゃってね。その弟さんが貨物船 翠光丸に乗っていたんだ。だから翠光丸が捜索に参加すると決まったら、鄭芝鳳氏は南竿島に進路を向けるよう船長に進言したんだ。馬祖列島の南竿島には南明朝のみかどが御動座あそばしており、藤左ヱ門さんは鄭芝龍将軍から帝への手紙を託されていたから、先ずは何をさておき、南竿島へと向かったのに違いないってね。」

 中尉殿の話を聞いて、久兵衛くんは目を白黒させた。「明国の帝に、海賊上がりの将軍……?! まるで御伽噺おとぎばないでも耳にしているかのような。」


 「これが御伽噺でも何でもない、現在のリアルな極東情勢でね。」

 中尉殿は簡単に言い切ったが、僕は久兵衛くんには語句説明が必要だろう、と注釈を入れる。

「リアルというのは、現実そのままという意味だよ。極東というのは、日本・明国・朝鮮辺りを総称した地域名。実をいうと現在、明国は清に呑み込まれつつあるから、明国と言った部分は、明国と清国とを合わせた地域と考えてくれたらよいかな。」


 中尉殿は軽く頷くと「朝鮮王は清国の冊封さくほう下に入ると決めた。つまり清国の属国になったわけだ。これで明国が完全に滅んでしまうと、次に清は本邦ほんぽうを支配せんと、外交を仕掛けてくるか兵を繰り出してくる恐れがある。……文永・弘安の時のようにね。」と再び茶を啜る。




 満州族(女真族)による騎馬民族政権であった清朝は渡洋戦争が苦手だから、実際には日本に攻め入る考えは持っていなかったし、先のモンゴル族による元寇のときも、元朝に仕えていた高麗人の趙彜ちょういというクソ野郎が元朝皇帝フビライ・ハーンを煽りに煽らなければ起きなかったはずの戦争であった。

 今回は史実通りに事態が進んだのであれば、朝鮮半島からの侵攻は考慮しなくてもOKなのだけど……半島情勢は常に未知数なのである。


 本来ならば(あるいは僕の知っている歴史通りならば)、清朝の功労者ドルゴンが1650年に病死し、皇帝順治帝が1661年に24歳の若さで天然痘で死去した後、康煕帝こうきていが即位するのだがまだ8歳という幼さだった。そこでソニン、スクサハ、エビルン、オボーイという4人の内大臣が皇帝を補佐することになる。(この4人の実力者はそれぞれ、明清戦争で功績があった旧明国人実力者――地方軍閥――と結託していた。)

 1661年には南明朝はほぼ壊滅していたが、鄭成功が魯王(監国)を担いて台湾に進出。オランダ東インド会社のゼーランディア城からオランダ人を駆逐・占領するのはこの年である。ただし、魯王・鄭成功とも、1662年には病死してしまう。魯王44歳(喘息)、鄭成功37歳(熱病)であった。


 ソニン・スクサハ・エビルン・オボーイの四頭統治となった清帝国だが、1667年にソニンが死亡。

 するとオボーイは康熙帝に迫って、スクサハと彼の一族を死刑にさせ、清国の独裁権を手に入れる。

 だが康熙帝が16歳となった1669年、彼はオボーイを投獄し、オボーイの追従者だったエビルンを追放することで政権を奪還する。

 しかしオボーイやエビルンが失脚したことで、彼らと結託していた地方軍閥が不安を募らせ『三藩さんぱんの乱』と呼ばれる反乱を起こす。(1673年)

 三藩と呼ばれた地方軍閥とは『雲南の呉三桂(平西王)』、『広東の尚可喜(平南王)』、『福建の耿精忠こうせいちゅう(靖南王)』の三人。

 内戦の鎮圧には8年を要し、反乱が終結したのは1681年、康熙帝28歳の時だった。


 三藩の乱を鎮圧した2年後、康熙帝はようやく台湾に出兵し鄭氏政権(東寧王国)を滅ぼす。(1683年)

 ただしその後も康熙帝には海洋進出する余裕は無かった。帝政ロシアとの国境紛争、モンゴルーオイラートへの介入、チベット侵略といった『大陸の戦い』に没頭したからである。

 康熙帝とピョートル一世との間に結ばれた『ネルチンスク条約』(1689年)なんかは、必ず歴史の教科書に載っているよね。

 このネルチンスク条約というのが半島情勢と因縁があって、李氏朝鮮が清の属国となったのは1636年と明国首都(順天府)が陥落(1645年)するより前なのだけど、1654年と1658年には既に、清の要請で朝鮮兵が清軍の一翼を担ってアムール河(黒竜江)へと出兵し、コサック人と戦闘している。そしてネルチンスク条約が締結される要因となったのが康熙帝の時代のアルバジンの戦い。この時も朝鮮兵は清国軍に率いられて、アムール河上流のアルバジンを襲撃したのだ。


 だから大陸志向の強い康熙帝が実権を握れば『日本はかなり安泰なのかも知れない』とも考えられるが、仮に1669年のクーデターが失敗に終わり、傀儡かいらい色の強い清国皇帝が誕生してしまった場合には、新皇帝の後ろ盾となった実力者におもねった佞臣ねいしんが、日本の金・銀・銅目当てに日本侵攻を進言しないとも限らない。

 そうなった場合を念頭に置いて、中尉殿は『第二の元寇』と比喩したのだ。




 『文永・弘安の時のようにね』という言葉を聞いて、久兵衛くんは眉をひそめた。

「うかうかしては、おられませぬな。」

 江戸や上方かみがたと違って、北部九州では元寇のときの蒙漢軍や高麗兵の暴虐ぶりは、『むくりこくり(蒙古高句麗)』の鬼として残るほど、観念ではなくリアルなのである。


 中尉殿は久兵衛くんに頷くと

「我々御蔵の民は、日ノ本が大陸からの災厄に遭わぬよう、派遣されてきたのです。」

と結んだ。「結構なお点前てまえでした。……いや、お点前っていう常套句は、煎茶の場合には使わないのかな?」


 その時――


 かすかに、障子の向こうで『ミシッ』と床鳴りがした。

 ――誰かが聞き耳を立てていた!

 僕は船内着を捲って、脇腹のホルスターからM1908を抜いたが、中尉殿に手で制された。


 中尉殿は素早く胸ポケットの手帳を開くと

『聞きたい者には聞かせてやれ』

と走り書きし、僕と久兵衛くんに示す。


 ――そうか! 御蔵の里の『目的』を、聞き耳を立てた”誰か”に教えてやる事こそが、中尉殿の狙いなんだ。面と向かって説諭するより、陰で盗み聞きした情報の方が、諜者ちょうじゃはより重要視する。


 中尉殿は手帳を仕舞い込みながらククッと笑うと

「ミニ拳銃の……コルト・ベストポケットだね。.25口径6連発の物騒な玩具おもちゃだ。岸峰くんの残して行った”お守り”がそれだね?」


 僕は「ご名答です。」と苦笑したが、ミニ拳銃の他にも、奉書紙にクッキリと押されたキスマーク2つが同封されていたことは黙っていた。

 岸峰さんも雪ちゃんも口紅は持っていないはず(岸峰さんはリップクリームくらいは持ってそうだけど)だから、たぶん刻印するときにはミッチェル大尉殿から借りたのだろう。

 岸峰さんの「絶対に開けちゃダメ」には「押すなよ! ぜ~ったい押すなよ!」と同じニオイを感じたから、その日の内に確認したのだけれども、キスマークの他に彼女のと御揃おそろいのミニ拳銃を見つけたのだった。(もしかしたらパンツ入っているのかも! という淡い願いは潰えたけれどね。)


 「藤左ヱ門さんが無事だったのなら、夕潮は補給を終えたら、コッチに戻ってくるんでしょうか?」

 僕の質問に中尉殿は「残念だがね、船の都合というものもある。」と、それを否定した。

「こっちに向かう便びんが出来たら、彼女たちは直ぐにでも飛んで来たいんだろうけどね。」


 そして中尉殿は

「アッチから取り寄せたい品が有るかな? 学校をやるに当たって。」

と訊ねてきた。

 僕は反射的に「黒板と白墨です。」と答える。「口頭だけじゃ、難しいことも有りまして。数式とか化学式とか。」

 中尉殿は「なるほど黒板ね。」と頷くと、「海津丸か貨物船に余分があるかも知れない。学校の教室に設置するような大型のモノは御蔵にしか無いだろうけれど。早速、明日にでも探してみるよ。」と約束してくれた。


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