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紹興占領9

 馬得功は大将軍が率いる南明国軍本隊に所属することに成功していた。

 以前に総軍監の役職あったことが、自薦に成功した要因である。


 ただし、それ以上に――

 唐王は馬得功が弘光帝を裏切ったのを知っていたから、そばに置くには抵抗を感じないでもなかったが、彼が大軍勢を運用していた経験を無視出来なかった。

 それに魯王に降ってからは、上虞の激戦でも手堅い手腕を見せている。

 この二点は客観的にも合理性を備えた要因である上

 ――魯王が彼奴かやつを使えたというのに、我に出来ないことなどあろうか!

という自負心と、魯王に対する競争意識が馬得功を手元に置くことに決めた決定打であったのだ。


 また今まで懐刀ふところがたなとして重宝していた最側近の鄭福松を、先鋒軍主将に任命したために、それに代わる幕僚が必要となったためでもある。

 温州軍先鋒の軍師格だった顧炎武を抜擢するという選択も無かったわけではないが、野に伏していた顧炎武には大兵を運用した実績がこれまでに皆無であったことが、それを躊躇ためらわせる一因となった。


 それに監国の手元からは既に、張孟衡や関仁といった有能な人材を取り上げる形となっている。

 魯王には監国としての務めを果たしてもらわねば、内政面で南明朝の将来にさわりが出るのを危惧するところもあったし――文官としても有能であるであろう――顧炎武の引き抜きは見送ったのである。


 馬得功に換わるもう一つの選択肢としては、上虞で降伏したばかりの尚可喜を軍監に据えるという手もあった。

 尚可喜ならば武将としての手腕も行政官としての手腕も折り紙付きであるのは明白だったからだ。

 ただし彼は南明朝に降ってから日が浅い。

 ドルゴンやドドに白眼視された馬得功とは異なり、崇禎帝が順天府で自死して以降、長く清国軍内で重きを為していたのである。

 彼に大兵を持たせて近くに置けば、いつ寝首をかれることになるかと心労が絶えぬであろう。

 それゆえ

――後の憂いを除くためにも、いっそ誅戮ちゅうりくしてしまうか……

と、尚可喜に対してはその処遇を考えないでもなかったのだ。

 しかし(降ったのが自分でなく魯王にであったにせよ)降将を、それまでの罪をとがめ立てして誅殺してしまえば、今後は南明朝に寝返る清将が出てこなくなるのは疑い無く、一旦はそのまま監国の預かりに留め置いた。


 尚可喜に対する大将軍の処遇には、魯王や顧炎武も若干の危惧を覚えないでもなかった。

 普通なら精鋭を集めた先鋒軍の副将を任せるか、本軍の軍監に用いてもよいくらいの名将であるにもかかわらず……だからだ。

 ――唐王は折りをみて、尚将軍を誅するつもりなのではあるまいか?


 監国は兵権を大将軍に譲ったとはいえ、南明朝占領地域の治安を維持するため程度の警察力や武官は有したままである。

 魯王としては、その治安警察力(および伝令による情報伝達網)を経験豊かな尚可喜に任せたいと考えていたのだが、唐王が尚可喜を除こうとするならば、手元に置いていた場合には刺客や懲罰隊を差し向けて来ないとも限らない。


 魯王は顧炎武や関仁・張孟衡と鳩首凝議きゅうしゅぎょうぎした上で、相談を福松に持ち掛けた。

 福松は唐王の懐刀ではあるから、意見を大将軍に上げるのであれば魯王が自ら持ち掛けるよりも上手く事を運べるであろうという、顧炎武の読みに従ったのである。

 顧炎武は、福松が自分の指揮下に関仁や張孟衡を進んで選んだのを見て「彼は有為の人物を無駄に散らすのを好まないであろう。」と考えたわけである。


 福松は考慮の末

「舟山の普陀山には、降った清兵や官吏が蟄居していると聞き及んでおります。ほとぼりが冷めるまで、かの地に送って帰参の時宜じぎを待たせるのが荒事あらごとを避けるのに宜しいかと。」

と結論し、魯王らの同意を得て意見を上奏した。


 唐王は「ふむ。島の寺に蟄居させる、か。」と頷き、「彼ほどの将帥しょうすいならば、直ぐにでも帝の御為おんために尽力して欲しいものだが、皆がうち揃ってそう申すのであれば、しばらくは俗事と距離を置いて、御仏みほとけの道を学んでみるのも悪くはなかろう。」

と了承した。


 監国は胸を撫で下ろして尚可喜に因果を含めると、彼と彼の一党とを寧波へと向かわせた。

 魯王旗と南明朝旗を掲げて寧波に戻ってきた尚可喜を目にして、反覆常なき者と白眼視した住民は少なかった。寧波が降伏するという彼の決断によって、全市街が焼け野原にならずに済んだのを皆が知っていたからだ。

 尚可喜とその部下たちも、緊張が解けたのか、穏やかな表情で住民に迎え入れられた。

 車騎将軍の元に出頭した尚可喜だが、鄭芝龍は

「なるほど。卿には直ぐにでも我が右腕として活躍して欲しいところなのだがね。監国様の格別のはからいはらば、一時、普陀山に身を寄せるのも悪くないでしょう。」

と微笑んだ。

「舟山は今や別世の地。寺院で経を詠むばかりではなく、様々に見分を広められるのが良かろう。」







 密かに富春江を渡った林が対岸の情勢を探って戻ってきたのは、南明軍が渡河に使う川船を工面している只中ただなかだった。

 予想通り杭州には守備兵が満ちていて、城外にも着上陸阻止のための土塁や柵・乱杭が築かれているという。

 守城の総大将は手練てだれの李成棟りせいとうらしかった。


 李成棟は明朝から徐州を任されていたにも関わらず、一戦も交えずに清軍に投降した将軍である。

 これだけならば”単なる臆病者”か”機を見るにびんな小心者”のようにも思えるが、さにあらず。

 清軍の揚子江南岸侵攻作戦において、上海北西に位置する嘉定かじょうで『嘉定かじょう屠城とじょう』と呼ばれる大殺戮を実行した狡将こうしょうとして悪名高かった。


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