紹興占領5
紹興を陥落させたのは、大将軍(唐王)の腹心であり鄭芝龍の息子である鄭福松だった。
鄭福松は、この世界は鄭成功と名乗ってはいないが――いや名乗る巡り合わせには至らなかったと言った方が正しいが――知略に富んだ積極果敢な青年武将であることに変わりはない。
大将軍の率いる福州軍は、温州からオウ江を遡り、青田・麗水を下した後、永康を拠点として金華・東陽・蘭渓に宣撫使を送ったり討伐隊を派遣したりして、南明朝の支配地域を着々と拡大していった。
そして今は東陽に本隊を集結した後、再編と大休止を行いながら騎兵集団を先発させて、諸チー攻略を睨んでいるところであったのだ。
しかし御蔵軍の『凧』が
『車騎将軍(鄭芝龍)が、寧波を開放。監国(魯王)の軍勢が嵊州を占領。』
と、味方の動向を伝える通信筒を投下してきたことで大将軍に焦りが出た。
嵊州や寧波からは、上虞は指呼の間であり、また上虞を抜いてしまえば古都紹興の占領は時間の問題である。運河が縦横に巡らされ物資の集積地である紹興を占領することは、当時の河南最大の国際貿易港湾都市である寧波を占領するのと同じくらい、大きな武勲なのである。
また紹興は大河 富春江を挿んで大都市 杭州に面しており、杭州攻略の足掛かりでもある。
南明朝の戦功レースで言えば、大将軍が遅れをとる可能性が高くなってきた、という事なのだ。
もちろん『凧』が遣わされたのは、正確な戦況を共有するためだという理由からであるのを大将軍も福松も承知してはいるのだが、うがった見方をすれば「戦功争いで大将軍が遅れをとっている」と嘲笑されているようでもある。
おりから嵐の気配が近づいていた。
福松は大将軍に
「上虞危うしとなれば、紹興の兵は上虞の守りに移動させられておりましょう。また嵐が近づきつつあり、杭州の兵は富春江を渡れますまい。なれば今の紹興は空き城同然。」
と自らの読みを告げた。「急襲して威を示すだけで、易々と我が軍門に降るか、と。」
大将軍は難しい顔で考え込み
「福松将軍の策は尤もであるが」
と前置きして「しかし、大博打でもある。嵐の中を強行軍すれば、脱落する者も多く出ようし兵の疲労も激しくなる。なにより火縄が湿って鉄砲が使えまい。」
と、自軍の決戦兵器が使用不可になるのを恐れた。
福州軍は集中射撃の火力戦で先手を取ることにより、これまでの戦いを有利に進めてきたから、常套手段である”勝ちパターン”が封じられる状況を危惧したのだ。
「案ずることはありません。」と福松は自信満々な顔で大将軍に告げた。
「御蔵の手投げ弾には、火縄も火種も必要がありません。騎兵に手投げ弾を一人一個ずつ持たせたら、鳥銃は後に残し手槍と剣とで攻め寄せれば良いのです。もとより少数の留守番兵なぞ、震えあがってたちどころに門を開きましょう。」
大将軍 唐王は、この聡明な腹心の策に乗ってみようと腹をくくった。
車騎将軍(鄭芝龍)と監国(魯王)とが共同して紹興を占領してしまえば、二人の南明朝での発言力は唐王が追いつけないほど大きくなり、挽回が難しくなるのは目に見えている。
――それならば失敗しても元々。成功すれば一気に逆転を狙える大博打、有り金全てを張ってみないでどうする!
「よかろう。攻め手は将軍自らが率いる覚悟なのであろう?」
「御意。」と福松は簡潔に答えると「直ちに出立いたします。」とその場から駆け出した。
福松将軍は東陽にある手榴弾(30発ほど)を全部集めると、袋に詰めて馬に縛り、替え馬を連れた10騎ほどを率いて諸チーまでの道をひた走った。
風雨が強まる中、馬の息が上がるとバテた馬は未練無く捨て、替え馬に乗り換えた。
一行が先発隊と合流した時には、一帯に滝のような豪雨が降り注いでいる状況だった。
「明石殿! 明石掃部殿は何処!」
福松が日本語で呼ばわると、一張の天幕からイスパニア風のマントを身に着けた彼がヌウッと姿を現した。手には和刀を握っている。
この歴戦の侍大将は、天幕の中で愛刀の手入れをしていたようだ。
「これは福松将軍殿。諸チー攻めの督戦に参られましたかな。」
明石掃部は軽く頭を下げ「見ての通りの大嵐でございます。これでは鉄砲も突火槍も使えませぬ。しばし風雨が収まるまで、城攻めは猶予いただきたく。」
諸チーは寧波や紹興と比ぶべくもない小城市である。
しかも兵は他所に移動させられていたり、逃亡していたりしていて現有兵力も乏しい。
しかし栄螺が蓋を閉じるように守備隊が城内に閉じこもってしまっていれば、騎兵ばかりで500ほどの先発隊では攻め手に欠けるのである。
これが好天時なら鳥銃や突火槍の音響で絶え間なく威嚇していれば、耐えられなくなった城兵が白旗を上げるなり突出攻撃をするなりして事態を動かすことも出来ようが、今はそれも望めない。
雨中の城攻めとしては、城壁に梯子を掛けて白兵戦隊を送り込む方法も無くはないが、手塩にかけて育て上げた精強な騎馬銃兵を只の歩兵として磨り潰す心算は、掃部には無かった。
「いや。今、諸チューを攻める気は毛頭無い。囲みは解く。……攻めるのは紹興よ。」
「紹興?!」明石掃部は意表を突かれたという表情を隠さない。「この嵐の最中に、でございますか?」
「嵐の最中、で、あるからよ。」
福松は自信タップリに応じる。「紹興は兵を上虞に送って、また杭州からも補充が望めず空き城なのだ。」
経験豊富な侍大将を動かすには、ここで『~の可能性がある』などと曖昧に濁すわけにはいかなかった。言い切ってしまう度胸が要求されているのである。
「フム。」と掃部は顎髭を撫で「御蔵殿の凧が、天空より調べをつけた、という事でございますか。」と頷いた。
「ならば紹興の城、そっくりそのまま無傷で手に入れる好機であるのは間違いのない処。」
「低地は水に浸かっておろう。山越えの間道で、今から紹興を目指す。道案内には降った兵を連れて来たから、その者を先頭に立てる。鉄砲や荷駄は居残る者に任せ、二食分の飯と飼葉、手投げ弾と刀槍だけで先へと進む。」と福松は段取りを説明する。「飲み水はいくらでも天から降り注いでいるから、兜で受ければ心配はあるまい。」
福松は50騎ほどを諸チューに残し、明石隊騎兵450を率いて雨中行軍を開始した。
手榴弾の弾数は、先発隊の持ち分30発と東陽から運んできた30発を併せての計60発である。
山越えの悪路で7騎、増水した小河川や運河越えで12騎を失ったが、430騎ほどの擲弾騎兵が紹興城下に到達した。
断じて行えば鬼神もそれを避く、と言うが、その時にはさしもの豪雨も降り止んでいたという。
果たして紹興は、福松が睨んだ通りに空き城と化していた。
殺到する擲弾騎兵の前に、城兵は早々と門を開いて降伏したのであった。




