カヤキ6 御蔵島食料班が開発した「蛋白糧食」はちょっとね……な件
寝ずの番をしてくれている人が近くに居るというのは、なんと言うか……慣れないせいも有るんだろうけど、実に絶えず『そこはかとない』緊張感が有るもので、僕は日の出前には目が覚めてしまった。
横に転がっている江里口さんや若侍さんを起こさないようにソッと立ち上がると、宿直のお侍さんに黙礼して、雑嚢を抱えて寺の敷地内にある井戸端に向かう。
井戸の釣瓶を操って木桶に水を汲み上げると、木製の盥に水を張る。
ビニール袋に入れておいた歯ブラシで手早く歯を磨きながら作業衣袴を脱ぐと、作業衣袴の上下を物干し竿に引っ掛け、口を漱ぐ。
次いで、靴下・袴下(いわゆる「ステテコ」)・シャツ・パンツを脱ぎ、盥にブチ込む。
固形の洗濯石鹸で下着類を泡立てながら、ついでに洗濯中のシャツで自分の体も泡だらけにする。(まあ、実際にはそんなに泡立たないんだけど。)
それから一旦、盥の水を捨てて、洗濯物も硬く絞る。
もう一度井戸から水を汲み上げ、頭から水を被ってから盥の洗濯物を濯ぐ。井戸水だから年間を通して15℃くらいだ。メチャクチャに冷たくはない。
洗濯済の下着類を物干し竿に引っ掛けて、手ぬぐいで体を雑に拭き上げから、予備のパンツを履きシャツを着る。(当然、軍足や袴下も予備のものと換えるわけだ。)
竿に掛けていた作業衣袴を身に着け、靴を履く。
手ぬぐいに洗濯石鹸の水気を吸わせてから石鹸箱に入れ、歯ブラシと一緒にビニール袋にしまう。
再び水を汲み上げてから盥で手ぬぐいを洗い、硬く絞って首に掛ける。
盥は――束子代わりに置いてある――”荒縄を束ねたもの”で磨き上げ、井戸端に引っくり返しておく。
高校在学中……どころか生まれて此の方は家事は母任せで、自分では洗濯なんてしたことがなかったなぁ、なんて事をボンヤリ考えながら、木製の洗濯バサミで洗った物を竿に固定。
こっちの世界に来てから、こう云った家事系作業は――日常系ではなく軍隊式なのかもしれないけど――手早くなったのは確かだなぁ。今の僕を見たら、お母さん腰を抜かし……は、しないだろう……ね。やっぱり。
たぶん「修一は濯ぎが雑」とか「洗いが荒い」とかダメ出しのラッシュだろう。
そのあと水筒を満たして、空のトイレ用ポリ洗瓶にも水を入れる。
船上生活と違って、水を好きなだけ”ふんだん”に汲めるのは贅沢に感じる。
けれども毎度毎度、釣瓶を上げ下げするのは面倒で、蛇口を捻れば水が出る生活がヤハリ好ましいのは事実。
まあ第二陣の石炭運搬用貨物船には、空荷での航行は勿体無いと、行きがけの駄賃として各種物資を運んできており、その中には深井戸用の掘削機械や手押し式の汲み上げポンプも積んできているから、今後工事が進めば今より水汲みは楽になるはず。
高島で手漕ぎポンプの有用性が認識されれば、本土側対岸の蚊焼村や長崎にも設営が認められることは間違いない。
これは舟山島で既に進行中の事態のコピーで、だから自信を持って”そうなるよ!”と言い切れるのだ。だって僕だけでなくニンゲンという生き物は、それが修行でもない限り、便利で楽な『やり方』が好きだ。(まあ、アタリマエだね!)
板敷きポットン式の厠でトイレを済ませて手水鉢で手を洗い、本堂に戻ると個人用の御膳――銘銘膳ってヤツ――が用意されていた。お寺からの心尽くしか。ありがたや!
昨夜の内に個人携帯の乾パンもチョコも食べてしまっていたから、残りの手持ち食料は蛋白糧食しか無かったので素直に嬉しい。
蛋白糧食というのは、熱糧食みたいな正式な陸軍携帯食ではなくて、御蔵島の食料班が手に入りやすい材料で独自開発したもの。
材料は――
(1)汎用魚粉:魚油の絞り滓。出汁を採った後の煮干しみたいな味がする。養鶏や養豚用の飼料や魚肥にも用いられているが、タンパク質・ミネラルなど豊富なので人が食べるのもアリ。醤油や味噌で味付けした乾燥粉末は、フリカケや握り飯の混ぜ物として重宝されてもいる。
(2)黄粉:炒った大豆を粉砕したもの。御萩や安倍川餅にまぶすアレ。大豆粉だからタンパク質も豊富。御蔵島ではこれまでの戦役で、豆類は鹵獲品として大量入手しているから、様々に使用されている。
(3)乾燥酵母:アルコール製造で出た酵母を乾燥し、ビタミンやタンパク質の補助食品として使っているヤツ。そのまんま舐めてみると、香ばしい感じは有るが特筆すべき旨味があるわけではない。
(4)麦焦がし:いわゆる『はったい』。麦を炒って粉末にしたモノ。通常の食べ方としては、少量の砂糖を混ぜて湯で練ってオヤツにしたりする。
――以上のようなものだ。
これらを混合して焼き固めた薄焼きビスケット状(もしくはクラッカー状)の保存食・携帯食で、材料から見ても解るように、重量当たりのカロリーは熱糧食に劣るとしても、そこそこ栄養価は高いしバランスも悪くない。しかも熱糧食同様に場所を取らないし、軽い。炊飯の手間が省けるのも良いところ。
焼きをを入れているからビタミンは失われている分があるかも知れないけれど、今後は乾燥酵母の混入タイミングを工夫していくらしいから、もっと良い物になっていくだろう。(練り工程に鮫の肝油を使うとかいう案も耳にした。)
だけど! 味がなんだか薄~いのよ。うん、奈良公園の鹿煎餅みたいな、と言ったら分かって貰えるだろうか。
これは塩や麦芽糖なんかの調味料を、一切添加していないせい。
食べる時には、豆を麦芽糖で煮た餡子の缶詰めや、柑橘類の皮を同じく麦芽糖で煮詰めた代用マーマレード、山羊の乳で作るチーズスプレッドなどなどを塗布することを前提としているためだ。
味付けに何を使っても、その塗布物の味を邪魔しないように、という気遣い・心配りがあったワケなんだけど、単体で食べる状況を考えれば麦芽糖粉末くらいは塗してあって欲しかった。
こう云った事情があったから、押し麦入り玄米ご飯と菜っ葉の澄まし汁、それに青菜の漬物と梅干という献立には口福を感じて完食させていただいた。
朝食後に薩摩藩氏が寝ている座敷へ行くと、彼も食事が済んだところで
「大事ありませぬ。」と頭を下げた。
「食べるとき、痛くはありませんでしたか?」という質問に、彼は「梅粥をお持ちいただいたので、噛まずに飲み込みました。」とニッと笑った。
……やはり噛むとイタイのかも。
だけど彼は今回も鎮痛剤の服用は断わり、その代わりに、と
「昨晩の分と今朝の分。使わず済ませた痛み止めは、手前どもに頂戴することは出来ますまいか?」
と抜け目なく要求を。
――ハハ~ン。ナルホド。帰藩の折の手土産って寸法か。
僕は「この薬は痛みを止めるばかりでなく、腫れを押さえる効用もありますから、我慢しないで下さいよ。」と鎮痛剤を渡し「お戻りになる時の手土産は、ウチの上役がちゃんと用意してますから。」と付け加えた。
悪いようにはしません、と言い添えようかとも考えたのだが、その発言パターンは”悪役が良からぬ策を企んでいる時に使うセリフ”のイメージが(僕の中では)非常に強かったので、呑み込んだ。
本堂に引き返すと残っていたのは若侍さんだけで、江里口さんや他の人たちは既に今日のオリエンテーションに出発していた。若侍さんが今日日中の僕の護衛(監視)役という事か。
「おや。皆さん、もう行かれましたか。」と僕がキョロキョロしていると、若侍さんが
「恥ずかしながら、拙者、身体が虚弱なもので。」
と少し寂しそうに頭を下げた。
――確かに体力充実していなければ、連日の肉体労働(しかも全くそれまでに経験したことの無いような新規作業)はキビシイよ。
僕は御蔵島の塹壕掘りの演習で身体全体がメチャメチャ痛くなったのを思い出し
「ですよねぇ! 僕もそうでしたもの。」
と強く同意すると、若侍さんが苦笑して「ご挨拶が遅れておりました。」と自己紹介を始めた。
「拙者、藩祐筆として黒田の禄を食んでおります貝原寛斎が五男、貝原子誠と申す。未だ部屋住みの若輩ではありますが、お見知り置き下さいませ。」
――ん? んんっ?!
黒田家の貝原子誠って、後の貝原益軒大先生じゃん!!




