豪雨の上虞12
百道中尉は接岸した高速艇から荷物を揚陸すると、小高くなった場所にある樹木にL型懐中電灯2個を平行に縛りつけた。
騎馬偵察隊への目印には、高速艇から電源を引いた小型サーチライトを使うつもりだったのだが、雨が上がった後も運河の水位が上がり続けているために、安全を考慮して高速艇は寧波まで先に帰すことにしたためだ。
輸送作戦に参加した各艇の艇長は、中尉が偵察隊との合流を終えるまでは運河上で援護すると意見具申をしたのだが、百道中尉は各人に謝意を示した上で
「運河の水量が増していることだし、流れに逆らって水上待機するのはガソリン残量を考慮した場合に得策ではない。充分量の燃料を持っている今のうちに、補給隊が居る寧波城市まで帰還すべし。」
と厳命した。
甲型高速艇隊は舟艇母船から出発した後、甬江運河を遡上して寧波市街に至り、ミラー中尉の燃料輸送隊からガソリン補給を受け予備携行缶(いわゆるジェリ缶)まで満杯にして上虞を目指したのだが、流れに逆らって進むために消費量は少なくなく、エンジンを絞っても長時間の水上待機は好ましくなかった。
また、どこまで運河の水位が増すかが分からないため、不慮の出来事を考えれば貴重な甲型艇を岸につないで待機するも躊躇われる。
しかし流れに乗って運河を下るのであれば、(夜間航行の危険性こそあるものの)余裕を持って寧波まで行ける。
これが百道中尉が高速艇を帰す決断をした理由だった。
各艇長は中尉に敬礼すると、灯したサーチライトを頼りに暗い運河を下って行った。
岸辺近くの微高地に残ったのは、機関短銃を構えた百道中尉の他5名である。
96式軽機関銃の射手と弾薬手。
89式重擲弾筒の射手である兵長と弾薬手。
それに通辞役と通信士を兼ねる蓬莱兵が一人。
偵察隊の到着が何時になるか分からないから、中尉は部下に仮眠をとるよう指示をした。
擲弾射手の兵長は
「次の見張りには自分が立ちますから、一時間ほどしたら起こして下さい。」
と言うと、地面がビチャビチャなのも気にせずヤッケに包まって直ぐに鼾をかきだした。
他の兵も修羅場を潜った経験を持つ者ばかりだったから、兵長に続いて戸惑う事なく眠りに落ちた。
人工的な明かりが全く存在しない世界でL型懐中電灯の光は非常に目立っていたが、サーチライトのそれほど圧倒的な光量ではない。
これでは騎馬偵察隊が中尉たちを気付かずに通り過ごしてしまう可能性もある。
中尉は騎馬偵察隊の接近の兆候を見落とすことが無いよう、一点を注視するのではなく、月光に照らされた眼前の風物を一枚の絵画のように眺めた。
――緊張していても仕方が無い。
中尉は観察を怠る事無く、されどリラックスして時間の経過に身をゆだねた。
小一時間ほどすると、中尉に促されるまでもなく兵長がムクリと上半身を起こし「代わりましょう。」と騎兵銃に手を伸ばした。
百道中尉は「距離から考えて、そろそろなんだが。」と雑嚢から信号銃を取り出し、上空に向けて信号弾を放った。
”しゅぼっ”という発射音が響き、青色の星弾が夜空に尾を引く。
すると、遠くで懐中電灯が灯されるのが見え、それが円を描くように振られた。
騎馬偵察隊の到着だ。
中尉が懐中電灯で合図を返す間に、信号弾の発射音で目を覚ました他の兵たちも身支度を整える。
百道中尉一行が騎馬偵察隊分遣隊と上虞城の門を潜ると、まるでその時を待ち構えていたかのように趙士超が目を開けた。
趙は強張った身体を解すために二、三度軽くジャンプをすると
「助かる。この城市の攻略は、中途半端で膠着している。弾薬補給は心強い。」
と中尉を歓迎した。「オマケに温州軍の”お偉いさん”に、門の上の望楼を潰すよう”お願い”されていてね。」
「面倒な相手かい?」
中尉の問い掛けに、趙は馬の背から降ろされた木箱の蓋を次々開けて中を調べながら「煉瓦塀なので小銃弾を弾くのさ。西門の一ヶ所は突撃して潰したが、東門のヤツが残っている。」と応じ「やあ! 銃弾だけでなく、手榴弾も持ってきてくれたか。」と喜んだ。
「擲弾筒も持ってきたから、手で投げるより遠くまで飛ばせるぞ。」
中尉は兵長が背負っている擲弾発射機を示し「それに89式榴弾も、12発ある。」
擲弾筒で発射する89式榴弾は、およそ手榴弾3~5発分の威力がある。「コイツを使えば、ちょっとは楽に東門を”やれる”んじゃないか?」
趙は少しだけ難しい顔になり「見た事はあるんだが、使ったことがない。」と告白し「手を貸してもらえるか?」と頼んできた。
「その心算で来た。」と中尉は頷いて「兵長は重擲弾筒のベテラン射手なんだ。自分より詳しい。この機会に操作法を教わると良い。自分ももう一度復習させてもらうから。」と笑った。「善は急げだ。今から潰しに行かないか?」
趙は「少しだけ待ってくれ。」と、休まず運河まで往復した分遣隊を休みに行かせて、代わりに一個分隊ほどの兵を呼び集めた。擲弾筒の操作を学ばせるためだ。
この間、顧炎武と馬得功とが温州軍先鋒隊を代表して謝意を述べに来て、百道中尉と顔合わせを終えている。(張孟衡は最前線近くで指揮を執っていたから、挨拶したのは事が終わってからだ。)
趙士超の選んだ兵が集結を終えると、百道中尉と彼の部下は再び門を抜け、城外から東門へと向かった。
重擲弾筒は89式榴弾を使う場合650m越えの射程を持っているから、城壁の回廊や城内から、敵との邂逅の危険性を冒して操作する必要は無い。敵の弾が届かない場所から攻撃が出来るわけだ。
門扉から250mほどの距離で軽機関銃が射撃姿勢をとると、兵長が皆に分かるよう丁寧に手順を説明しながら筒と槓桿部、それに駐板を併せて擲弾筒を組み立て、駐板を地面に据えて45度の射角を保持し
「これが発射姿勢です。あとは槓桿を引けば榴弾が発射されます。榴弾の二重装填にだけは、くれぐれも注意してください。」
と説明した。通辞役の蓬莱兵が、それを細かく通訳する。距離感の説明は、約400mを1里とする中国式ではなくメートル単位での説明だったが、趙の部下たちは小銃射撃でそれをすでに掴んでいたから、特に混乱は起きなかった。
「89式榴弾には、発射前に先端位置に88式小瞬発信管を捻じ込みます。ですから着弾と同時に爆発が起きます。91式手榴弾を使う場合は、ヒューズに着火してから9秒で爆発が起きるので、その違いは頭に叩き込んでおいて下さい。……ええっと、こんなモンですかね? それでは実際に撃ってみましょうか。」
兵長が、ここまで説明をした時だった。
東門下の闇で動きがあるのに気付いた清国兵が、門扉を開いて兵を繰り出して来た。
こちらが小勢であるから、『伏兵を置いての陽動→清国軍の出撃を誘っての付け入り』という戦術を疑って、小部隊での威力偵察だ。松明を手にした10人を先頭に、100人ほどが後ろに従っている。
兵長がレバーを引いて、スポッという軽い音と共に榴弾が筒先から飛び出すのと、軽機関銃が軽やかなスタッカートを刻み始めたのは、ほぼ同時だった。
遮蔽物皆無の路上に松明を持った清国兵が機銃弾を浴びて次々に倒れ、密集した後続の槍兵が戸惑っているド真ん中に榴弾が着弾した。
89式榴弾は半径10mほどの効果範囲を持ち、同時代の兵器としてはソ連軍の50㎜迫撃砲と同等の威力がある。爆炎と共に10人ほどの清国兵が飛び散った。
機関銃手が弾倉交換を終える頃には趙の部下もライフル射撃を始め、これに百道と趙の2丁のマシンピストルも加わっている。
結局、出撃した清国兵は全滅して門扉も慌てて中から閉じられた。
この小戦闘には――後から判明した事だが――清国側の参加者として、田雄を打ち取った新兵も出撃部隊の下士官の一人として抜擢されていた。彼の栄光は、半日ほどしか続かなかった訳である。
「それでは仕切り直しですね。」
兵長は何事も無かったかのように言うと、次弾を重擲弾筒に装填した。「さっきの一発目が”短”で距離修正が掴めましたから、次は望楼の屋根を狙います。」
宣言通りに、2発目は東門望楼の屋根を捉えた。
爆発と同時に、大量の屋根瓦が崩れ落ちる。
そのままの照準で3発目を打ち込むと、屋根に開いた穴から榴弾が中に飛び込んだのか、望楼二階の胸壁から爆炎が噴き出した。
「アンタ、凄い腕前だな!」趙士超が”恐れ入った”という声音で賞賛する。「しかし榴弾が勿体ない。数が少ないからな。91式手榴弾での擲弾筒射撃を見せてくれ。部下にも試させたい。」
「それでは、もう少し近寄りましょう。」
まんざらでもない、という口調で兵長は趙に頷いた。「91式を使う場合の最大射程は220mですから。」




