豪雨の上虞11
趙士超は狙撃の上手い兵10人を選抜すると、残りの部下の寝場所を確保するよう顧炎武に依頼した。
そして「わずかの間でも寝ておけ。じきに忙しくなるかもわからん。」と選から漏れた兵に言い含め、道案内の温州兵を先に立てて望楼に向けて出発した。
階段を登って城壁上の回廊を進んで行くと、向かう先には月光に照らされた望楼がそびえ、そこからロケット矢が城内に向けて発射されたのが見えた。
火箭は夜闇を炎の尾で一瞬切り裂き、建物に当たると火花を散らして跳ねまわった。
しかし火薬の量が少ないことから焼夷効果は限定的で、火災を起こすには至らなかった。一面が水浸しなせいであろう。
ただ命中した建物からは、中にいた兵が飛び出して、状況を掴もうと慌てている様子が見て取れた。
確かに睡眠妨害のイヤガラセには効くようだ。
更に前進すると、温州軍の鳥銃兵が回廊から西門上の望楼と、散発的な銃撃を交わしているのが分かった。
火縄銃の発射は、隊列を組んだ銃手同士が、肩を接するような密接した状態では行う事は出来ない。
火縄銃という兵器は、銃手が引き金を引いて火縄を火皿に落とすと、火皿の着火薬に火が着き周囲1mほどに火の粉が飛ぶ。そのために銃手同士は最低でも2m以上は間隔を空けて並ばないと、隣の発砲で自銃の火皿に火の粉を貰い火し暴発してしまう。
城壁に横に並んで攻めくる敵目掛けて撃ち下ろすような場合には、それぞれ2~3mの間隔を空けて横隊を組むのに問題は無いが、今のように3mほどの幅しかない回廊を前進して狭い通路の先の敵を射撃するような場合には、この『間隔を取るのが必須である』というという兵器性能の縛りが厳しいネックとなってくる。
隊列の先端部分には、銃手2名が並ぶのが精々だからだ。
射撃を終えた銃手は後ろに下がって、次の2名が進み出るという交代方式で発砲を行っても、”敵に頭を上げさせる事無く”という密な弾幕を張るのは不可能。
相手は望楼の胸壁越しに、マゴマゴと配置転換を行っている温州兵銃手に、銃や弩で反撃をかけてくる。
温州軍鳥銃隊は、望楼の清国軍守備兵よりも多数の鳥銃を擁しているのだが、数の優位性を生かせない状況にあったわけだ。
趙士超は双眼鏡で望楼をじっくりと観察した。成算も無いのに兵器の優位性に頼り切って闇雲に突入するのは避けたい。
西門上の望楼は、城壁の上に更に二階建て構造になっていて、大屋根直下の展望階には胸壁に少なくとも3丁の銃があり、一階部分の回廊に向いた煉瓦塀にはニ穴の銃眼が空いていた。
望楼の壁は城壁そのものほどの厚みは無いから、37㎜速射砲でもあれば簡単に抜けるだろうが、焼煉瓦の胸壁は38式小銃の6.5㎜弾なら防ぐだろうと見て取れた。
また回廊と望楼一階部分とを仕切っているのは、兵が一名ずつ通過できる大きさの板戸だった。この板戸であればライフル弾は貫通するだろうと読めるが、中に土嚢でも積んで塞いであれば開くのは難しいかも知れない。
温州兵は、横倒しにした卓や死体を積み上げて回廊に胸壁を築き、その胸壁に拠って射撃を行っているのだが、温州兵側が2丁の火縄銃を発射すると、望楼からはその発砲炎を目掛けて二階から3発、一階の銃眼から2発、計5発の鉛玉を返して寄こす。
彼我の距離は火縄銃の必中射程距離である50mを少し越すくらいしか離れてはいないが、両軍とも遮蔽物の陰から射撃を行っているので、互いに有効打は出せていない。
両軍の攻防の観察を終えた趙士超は、身をかがめて胸壁まで小走りに進むと、鳥銃兵を下がらせて部下のライフル兵を呼び寄せた。
短く攻撃手順の打ち合わせを済ませると、早速実行に移す。
まず胸壁に使っている資材から、厚みがあって頑丈そうな卓を選ぶ。突撃する時に弩を防ぐ楯にするためだ。
次にライフル兵5名を胸壁に配置した。その中の2名だけを先に発砲させるのだ。
温州軍側から2発の発砲があれば――観察通りの反撃を清国兵が行ってくるならば――望楼二階からは3人の銃手が顔を出してくるはずだ。屋根の下で月光が届かない闇の部分になるが、それだけに火縄の火は目立つ。それを目掛けて引き金を引けばよい。
「やれ。」
趙が短く命令を下すと、望楼目掛けて2丁の38式小銃が火を噴いた。
陽動である。端から殺傷効果は期待していない。
予想通り、望楼二階に火縄の火が光る。
その数、三つ。
こちらの再射撃には時間がかかるもの、と思い込んでいるから全く焦る感の無い悠々とした動きだ。
待ち構えていた3丁のライフルが火を噴き、更に槓桿を操作して再装填を終えた2丁も続く。
二階に灯った火縄の光が唐突に消え、望楼側からの発砲は一階銃眼からの2発のみだった。胸壁の死体に、ぶす・ぶす、と2発の鉛玉が食い込む。
「行け! 行け!」
5人を引き連れて趙が飛び出す。
自分他1名が、先に立って楯代わりの卓を前にかざしている。
望楼一階の銃眼から2丁の弩が撃ち込まれてくるもの、と決死隊の皆が腹を括っていたが、清国兵も思わぬ攻撃に焦っているのか飛んできた矢は一本だけで、その一本も斜めにかざした卓を貫通出来ず、表面を削っただけで虚空に撥ねた。
決死隊が突進している間にも、胸壁のライフル兵は望楼二階を射撃し続けた。38式小銃の装弾数は5発である。計25発の6.5㎜ライフル弾が連続して撃ち込まれたわけだ。
清国側の狙撃手に生き残りが居たとしても、望楼二階の煉瓦壁から顔を出す気にはなれなかったであろう。
趙は50mを一気に走り切り、楯にしていた卓を捨てると、腰だめで望楼一階の板戸目掛けて機関短銃を発射した。
ト式機関短銃の弾は拳銃弾に過ぎないが、至近距離からの発砲だ。板戸は弾痕だらけになって、中から敵兵の断末魔が上がる。
続く2人が、それぞれ銃眼にライフルの銃口を差し込み、引き金を引く。
残り3名は望楼二階に手榴弾を投げ込んだ。
二階から腹に響く3回の爆発音が起きた時には、一階銃眼を制圧した2人も銃を引き抜き、代わりに手榴弾を転がし込み終わっており、趙は機関短銃の弾倉を交換しながらその破裂音を耳にした。
弾倉交換を終えると、趙は板戸を軍靴の踵で蹴りつけた。
何かが閊えていて、動きはするのだが、開かない。
土嚢でも積み上げて補強をしているか、と蝶番を打ち抜いてから板戸を押し倒すと、妨げになっていたのは銃弾を浴びた敵兵の死体だった。
望楼内部の清国兵は全滅しているようだが、梯子を伝って地上から登ってこようとしている敵兵が目についた。
趙が機関短銃の引き金を絞ると、顔を出した敵兵は悲鳴を残して落下した。
落ちた敵兵の巻き添えを喰らった者がいたらしく、ドスドスと鈍い落下音が連続した。
中に飛び込んだ趙は、梯子が掛かっている穴に銃弾を撃ち込み、手榴弾を放り込んだ。
趙は着剣したライフル兵3名に梯子を、2名に一階銃眼、4名に二階を守らせると、残る1人には温州軍鳥銃隊を呼びに行かせた。
温州軍鳥銃兵が進出してくるまでの短い間に、清国兵は望楼の北側(趙が乗り込んだのとは反対側の方向)から、密集体形で城壁の回廊伝いに攻め込んで来たが、遠距離射撃の餌食となって死傷者の山を残して退却している。
彼らは突撃する際に、月光を反射してギラギラ輝く槍の穂や磨き上げた甲冑を隠そうともしていなかったし、どの道、進出経路は城壁上の回廊を走る以外に選択の余地が無かったから、無理に引き付けるリスクを採るまでも無く装備している弾薬盒の中身が尽きるまで撃ち続けることも可能だった。
(実際には、清国兵が増大する被害に耐えられずに後退を決意するまでには、ライフル兵1人当たり装弾子4~5個分――弾数20~30発――程度の発射が行われただけであった。遮蔽物無しの場所で――しかもアウトレンジで――一方的に銃弾を浴び続けていれば、士気を失うまでにそうそう時間は掛からない。なお、射撃を行ったのは主に二階に陣取っていた兵であり、射界に制限のある一階銃眼からは殆ど銃撃は行われていない。一階銃眼に配置されたライフル兵が活躍出来るほど、清国突撃隊は肉薄して来られなかったからだ。)
西門望楼の守備を温州兵に引き継ぐと、趙士超は10名の部下と共に南門へと引き返した。
顧炎武は「お見事!」と趙の手腕を賞賛すると
「それでは東門もお願い致しますぞ。」
と先に交わした約束を思い出させた。
趙は「少しだけ、休ませて欲しい。」と溜息を吐くと、城壁に背を預けて地面に腰を下ろした。
「果たしたのが、まだ半分だけというのは、重々承知しております。」
そして「一休みしたら出掛けますから……。」と言い残した直後には、既に寝息を立てていた。




