御蔵島沖遭遇戦 4
高速艇甲104号の小林艇長は、機関短銃を手に操舵室の窓から海賊船の生き残りを見張っていた。
今では海賊船は、沈没したもの4隻、大破1、中破1、降伏して無傷なもの1という内訳になっている。
降伏した1隻には、20人からの無傷の海賊が乗り込んでいたので、艀を下ろすのを許し、彼らを落水者や負傷者の救助にあたらせている。
106号艇の甲板員と、102号艇の通信士が片言ながら中国語を話せたので、海賊への指示は彼らが出していた。
初め、戦いの終わった水域に到着した高速艇は、直接に落水者や負傷者の救助を行おうとしていた。
停戦が成れば、敵味方を問わず人命救助を行うのは、海の男の常識であり掟である。
その時には、既に沈んでしてしまった船は3隻、中破2隻、大破1、無傷1という状況で、浮いている船は今より1隻多かった。
中破した2隻は、機銃掃射を受けた海賊船で、まだ浮いてはいるが、船体が穴だらけになって徐々に沈みつつあり、生存者が懸命に水を汲みだして船を救おうとしている状態だった。
垢汲みの手を止めれば、長くはもたないだろう。
大破した1隻は、57㎜砲が帆柱を直撃した船で、半数ほどの乗組員は生き残っているようだが、皆大なり小なり傷を負っている。
上部構造物は滅茶苦茶に破壊されているけれど、船腹に穴が開いているわけではないので、沈没は免れるかも知れない。
砲弾が船底を直撃した3隻は、余程ダメージコントロールが効かない船体なのか、簡単に竜骨を折ると、海に飛び込む事が出来た幸運な数人を残して、瞬く間に沈んでいったのだった。
小林艇も潮流に流されつつあった海賊2人を救い上げるなど、救助作業は順調に進むかと見えたが、中破した海賊船の生き残りの一人が、手投げ弾らしき物を高速艇に向かって投擲しようとする騒ぎが起きた。
反撃を試みた海賊は、小銃の集中射撃を喰らって即座に射殺されたが、死者の手から転がり落ちた手投げ弾は、慌てて距離を取ろうとした船内の仲間を巻き込んで爆発した。
一発当たりの炸薬量は、97式手榴弾のそれよりも少ないようだが、船内には他にも手投げ弾を積み込んでいたらしく、繰り返し起きる小爆発に手の付けようが無いまま、アッと言う間に沈没してしまった。
海に飛び込んで難を逃れようとする者もいたが、結局のところ生存者はいない。
この騒ぎで、110号艇の甲板員が額と右腕に軽傷を負っている。
そのため、高速艇は海賊船から距離を取り、海賊たちに「自分の尻は自分で拭かせる」よう方針が変更になった。
多数の負傷者が出ている場面でこの扱いは残酷なようだが、元々、匪賊や便衣兵には、捕虜になった時にジュネーブ条約やハーグ陸戦条約に基く戦時捕虜の身分と権利は適用されない。
テロリストや、犯行中の凶悪犯罪者と同様の扱いなのが普通で、簡易裁判による処刑が行われる事もある。
再度の反抗を警戒して、各高速艇の乗員は手を貸さずに監視役に徹していた。
104号艇が拾い上げた2人の海賊は、精根尽き果てた様子で、抵抗する素振りは見せていないが、甲板員が油断無く着剣した38式騎銃を突き付けている。
海賊の1人は、まだ少年と言ってよい若さだが、もう1人は禿頭の老人だ。
怯える少年を庇う様に振る舞っている老海賊が
「倭人よ、生き残った仲間を救うのに、手を貸して欲しい。」
と小林に嘆願してきた。
甲板員が「倭人だと?」と気色ばむ。
小林は「落ち着け!」と甲板員を制すると、海賊に向かって「日本語が話せるのか?」と問い掛けた。
「平戸に住んだ事が有る。言葉は分かる。」と、老海賊は返してきた。
「儂は倭寇として、人を殺めた事もあるから、殺されても文句は言えんが、この子は、只の漁民に過ぎぬ。他にも、漕ぎ手として駆り出された無辜の民がおるのだ。」
倭人や倭寇という時代がかった単語には、強烈な違和感がある。
この海賊たちは、満州国とは関係の無い義和団か何かの残党なのだろうか?
しかし、白蓮教徒の一派が、「扶清滅洋」を唱えて蜂起した「義和団の乱」すなわち「北清事変」と言えば、1900年の出来事で40年も前の騒乱なのだ。
それでも義和団時代の人間ならば、まだ生きていても不思議はない。
但し、老海賊の言う「倭寇」は数百年も前の出来事で……
小林が当惑していると、老海賊は自らの額を甲板に打ち付けて
「倭人の船長よ、清国の目付役は、皆死んでしまった。最早、抗う者は残っていない。」
と重ねて申し入れてきた。
小林は、老海賊の言葉に戸惑いを感じながらも、救える人命は救ってやりたい、と感じていた。
それが、軍法会議の後には、処刑されるのかも知れない命であっても。
海上で死にかかっている者を見殺しにするのは、海の男として忸怩たるものが有った。
「手を貸してやりましょうぜ。ほっておいて死なせるのは、寝覚めが悪いや。」
舵を握っている機関士が、ボソリと口を出す。
甲板員も捕虜から銃口を外して、小林の決断を待っている。
「装甲艇と102号に、意見具申する。通信機を。」
小林の言葉に、機関士が晴れ晴れとした声で
「そう、こなくっちゃ!」
と、歓声を上げた。
装甲艇の艇長や102号艇の艇長も、小林たちと同じような感情を抱いていたらしく、救助は許可された。
但し救助に当たるのは、104、106、108号艇の3艇で、指揮を執っている102号艇と負傷者を出した110号艇は、装甲艇と共に警戒を続ける事とした。
小林が熟練した操船で、艇を大破した海賊船に横付けすると、甲板員と老海賊が海賊船に移乗して、負傷者に肩を貸し104号艇に運んだ。
艇では、機関士と少年が負傷者を受け取り、甲板に横たえる。
通信士は救急箱から止血帯やサルファ剤を出して、応急処置を行っている。
6人の負傷者を104号艇に移したところで、老海賊は救出の手を止めた。
8人の死者は海賊船に残して行くにしても、虫の息の重傷者がまだ3人残っている。
「爺さん、疲れたか? 後、一息だ。」
甲板員が老海賊に声を掛けるが、老海賊は首を振った。
「倭人よ、礼を言う。可哀想だが、あれらはもう駄目だろう。」
「駄目かも知れなくても、連れて行ってやろうぜ。助けに来た、もう大丈夫だって声をかけてやりなよ。」
甲板員が怪我人を担ぎ上げると、老海賊は一つ頷いて、中国語で優しく瀕死の男に語りかけた。
生き残った海賊の内、無傷の者と軽傷の者は、降伏した無傷の海賊船に集められた。
海賊船は装甲艇10号にワイヤーで曳航されて、御蔵島に向かう事になった。
この船に集められた者は52名。
総勢150人で出撃した海賊船団だったが、2/3に当たる構成員が命を落とすなり、重傷を負う事になったのだった。
海賊船の斜め後方には、110号艇が見張りに付いている。
102号艇は、海賊の武器や装備を調べるために、破壊された海賊船で鹵獲品を探している。
104、106、108号艇は、それぞれ甲板に10人程の重傷者を乗せて、全速力で飛ばしていた。
それでも、病院に到着するまでに、かなりの数の重傷者が命を落とす事は避けられないだろう。
衛生兵が乗っていないからモルヒネは無いし、救急箱はヨードチンキの最後の一滴まで使い切ってしまった。
清潔な包帯どころか、乗組員の服を裂いて止血帯代わりに使っている有り様だった。
小林は舵を操作しながら、老海賊との不思議な会話を思い出していた。
清国の目付役だって?
いったい、何時の時代の話なんだ?
老人と少年は無傷だったから、曳航される船に乗せられているが、あの禿頭の老海賊とは、もう一度腹を割って話をしてみたい。
小林は痛切にそう思うのだった。




