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豪雨の上虞8

 政庁社殿にまで”あと一息”という地点にまで中央大路を押し捲った田雄隊であったが、南門を巡る戦いからずっと奮闘続きであったため、将兵に疲労の色が濃くなってきた。

 一時は進路を遮っていたのが背を向けて逃げる敵兵ばかりであったのだが、ここに至って、立ち向かってくる籠城側の兵数も次第に増えてくるように思える。


 田雄隊の将兵にしてみれば、豪雨の中で力戦していたのにも関わらず水を飲む暇さえ無かったわけだから、得物えものを振り回す腕が思うように上がらなくなってきただけでなく、喉の渇きも耐え難いものになっていた。

 兵の中には路上の水溜まりに顔を突っ込んで渇きを癒そうとした者もいたが、たちまちその態勢のままで敵の槍の餌食えじきになった。

 また、兜の目庇まびさしね上げて落ちてくる雨粒を受けようと口を開き、至近距離から顔面に矢を受けてしまった者も出た。


 「ええい! 馬得功は何をしておるのだ?!」

 田雄は打ち合わせもせずに付け入りを決めた自分の無理筋むりすじを棚に上げ、後詰の役割を果たすべく追従して来ない動きの鈍い――と彼が決めつけている――同僚をなじったが、この窮地を招いたのは彼自身の決断であるわけで、味方を中傷しても何の解決にもならない。

 むしろ『我々は、敵中で孤軍になってしまったのではあるまいか?』と配下の将兵を動揺させただけの悪手であった。

 今少し持ち堪えれば援軍が来るぞ、と兵を鼓舞するか、いっそ兵を纏めて戦いながらジリジリと南門に向けて一時後退すべきであったのだ。


 この時、大路に繋がる横手の路地複数から籠城軍側の兵が湧き出し、横合いから田雄隊に槍を突けたのが攻城側に一層の混乱を起こした。

 籠城側の兵は装備こそ正規軍のそれであったが、突き出す槍には勢いも無ければ統制もとれておらず、おっかなビックリのり腰で、戦闘訓練が充分に行き届いていない集団だと――田雄に冷静さが残っていたのなら――容易に判別出来たであろう。


 実はこの集団、紹興付近で新たに徴募され、武器の扱いも集団戦闘の心得もロクに教育を受けないままに、急ぎ上虞に送り込まれた新設軍団であったから、常の状態であったなら古参兵から成っている田雄隊の敵ではなかったはずなのであった。

 清朝側も台州戦線や寧波戦線など度重たびかさなる敗北で大量の熟練兵を失っていた――その中の少なくない数が実は南明側に寝返っているわけだが――から、繰り出せる兵力のリソースも減少していたし、なにより戦闘集団としての質の低下が甚だしくなってきていたのだ。


 しかし皮肉な事に、じゅくの古参から成り立っている田雄隊は、戦慣れしているが故に自軍の旗色が悪くなっているのに気付いていたし、かしらいだく田将軍に焦りの色が濃くなっているのも感じていた。

 だからこの時、新手の敵兵が出現したのは――それが兵士としては青二才あおにさいひよっこだったとしても――最悪のタイミングだった。

 伏兵に気を取られて、最も警戒しなければならない正面の敵への対応がおろそかになってしまったのだ。


 遁走とんそうを重ねて田雄隊の兵士よりも疲弊していた正面の清国兵だったが、潮目が変わったのを見逃さず、窮鼠きゅうそ猫を嚙む逆襲に出た。

 「今ぞ! この機を逃すな!」

 兵を叱咤しったし号令を下す守将の叫びは、自信に満ちたものではなく悲鳴のようであった。

 この反撃を指揮した中級武官は、自らが先頭に立って田雄隊に切り込んだから、たちまち複数の剣を受けて膾切なますぎりにされてしまったが、少なくない兵が後に続き田雄隊の進路の頭を押さえる形となった。


 「押し返せ! 押せ、押せ!」

 田雄も声をらして叫んだが、ここ一番という場面で投入するべき近侍の精鋭騎兵を城門前の緒戦ちょせんで損耗させていたから、思うようには事が上手く運ばなかった。既に組織的戦闘が維持できる段階ではなくなっていたのだ。

 二方向からの圧力に翻弄されて、田雄隊の損害は急激に増加した。


 このおよんで遂に田雄も付け入りの失敗を認め「退け! 門まで下がって態勢を立て直すのだ。」と命令を下したが、遅きに失した。

 退却命令を受けて兵団が南門動き始めたが、斬りかかってくる敵をあしらいながら後ろに下がるのは、気力・体力がみなぎっている状態でも難しい。

 それだからこそ撤退戦には、震天雷のような退却を支援する兵器を用いたい所なのだが、生憎の雨では点火することも出来ない。(撃発式の92式手榴弾は、温州軍全体で100発以下の装備数しかない事もあって田雄隊は所持していなかった。)

 既に気力も体力も使い果たしていた田雄隊の将兵は、初めこそ何とか統制を保った後退をしようと努力はしていたが、胸突き八丁の我慢比べに敗れて、次第に算を乱した敗走へと変わってしまった。


 限界まで力を振り絞ったのは清国兵も同様で、温州軍が崩れたのを見るや、新設軍団の未熟兵以外はその場に倒れ込むかうずくまるかして、背を向けて逃げる田雄隊を追撃する余力を持っていた者はいなかった。


 そのような状況だったから、敗走する温州兵に追い打ちをかけたのは新設軍団のじゃくばかりであったし、田雄を打ち取ったのも紹興から来た新兵だった。

 新兵は、あしが折れた馬の脇で泥濘から体を起こそうとしていた武将のももを槍で刺すと、組み付いてから腰の短剣で止めをさそうとした。

 けれども初めての経験であったから、焦るばかりで上手く鎧の隙間から刃先を突き入れることが出来す、もみ合った挙句あげくに馬乗りになって鎧武者の首を絞めた。

 新兵は、動かなくなった鎧武者を

――えらく立派な鎧を付けているではないか。

――これは朋輩に自慢できる手柄を立てたな!

と荒い息を吐きながら見下ろしたが、自分が討った武将が元明朝の総軍官であるとは思いもよらなかった。


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