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豪雨の上虞6

 『こちらキャラバン隊。ファースト・ルテナンを頼む。』

 旧寧波城跡指揮所の通信機が、ミラー中尉の声を発した。

 声は特に緊張感を含んだものではなく、任務が滞りなく進行していることを伝えているようだった。


 彼はハミルトン少佐からの要請を受けて、指揮所の備蓄品からガソリンを詰めたドラム缶をソダ(98式装甲運搬車)に積み込んで、大雨の中を寧波市まで急送していたのだ。

 トラック輸送を選ばなかったのは、突風が吹いて車両が横転するリスクを懸念したためである。またソダならばチハなどに比べて車体重量も軽いし、足回りが履帯だからトラックに比べて泥に足を取られてスタックする心配も少ない。

 ソダは最高時速なら40㎞/h出せるし、荷台には1tまでの貨物を積むことが出来る。

 最高時速で走行することはないだろうが、荒天下の悪路では使い勝手の良い車両だった。


 「轟だ。無線機の前に、ず~っと張り付いている。」

 轟中尉の返事に、ミラー中尉は『それはご苦労なことだったな!』と無線機の向こうで笑った。

『間も無く市街に入る。電波遮蔽物が増えるから、車載の無線機じゃ一時通信が途切れるかも知れんが、輸送隊は落伍車輌無し。風もだいぶ落ち着いてきた。雨も峠を越えたな。』


 「こちらでも、それは感じているよ。気圧計を見ても、低気圧は遠ざかりつつある。」と轟は送話機に語りかけた。「雨台風で、結局、風はそれほど酷くはならなかった。……トラックで行った方が楽だったか?」


 轟からの問い掛けに、スピーカーからは『それは無い。』と返事が届いた。

『六輪車両でも動けなくなっていただろうね。とにかく泥濘が酷い。』

 ミラー中尉は、次は市街地内の通信隊施設から連絡を入れる、と告げると通話を終えた。


 轟中尉は舟艇母船のハミルトン少佐に無線電話を入れると「ガソリン輸送隊は、間も無く目的地に到達。」と情報を伝えた。

「高速艇隊にスタンバイするよう、伝達願います。」


 『了解した。』

 少佐は端的に返事すると『百道中尉は準備を既に終えている。参加艇の各艇長も、甲型モーターボートなら出発に支障は無い、との意見だ。』と付け加えた。『ここから見る限りでは、桟橋付近に係留してある南明軍の木造船には、風の影響で多少の被害が出ているようではあるけれどもね。』

 南明船の被害とは、密に停泊しているせいで、風に煽られて互いがぶつかり合い、圧壊や水没が起きているという事だろう。

 台風の接近を受けて、水夫や兵士は貴重品と共に陸の建物に避難していたはずだから、不幸中の幸いで、人的被害はあまり出なかっただろうと想像は付く。船体や積み荷にいくばくかの損害が出たのは、この場合仕方があるまい。


 「それでは自分も、そろそろ”そちら”に向かいますから、小発か内火艇を一艘回して頂けますか?」

 轟の提案に、少佐は『分かった。』と即答した。

『こちらも整備班に作業を開始させるから、指揮所の引き継ぎを終えたら、もう一度連絡を頼む。』






 上虞の後背地こうはいちで、嵊州からの到着部隊受け入れ作業を続けていた顧炎武だったが、城門での騒ぎに気付いた部下からの伝令が到着した。

 報告によれば大規模な衝突が起き、一部の部隊はすでに城内に突入した模様であると云う。


 顧炎武は「始まってしまったか!」と嘆息したが、配下に「肉や饅頭、何でも手づかみで喰える物を集めて、城内に運び入れろ。それと酒だ!」と命令した。「泥濘で荷車は使えまい。馬に背負わせることが出来ない分は、皆が分担して担ぐのだ。」

 戦に参加した将兵は、それが激しい戦闘であればあるほど体力を早く使い果たすし、精力を出し切ってしまった兵は、危機的状況でもその場に座り込んで木偶でくのように動けなくなってしまうからだ。

 食い物と酒、それに多少の休息時間が取れれば、疲れと”舎利しゃりバテ”でダウンしている兵も、再び活力を取り戻す。

 食料搬入は、喫緊の課題であるといえた。


 それから顧炎武は到着部隊の主だった者に召集をかけると、配下に隊列を組ませるよう命じた。

 彼自身が率いて、援軍として城に乗り込むためだ。

 監国の本軍は未だ嵊州~上虞間の街道途上にあるが、全軍が集結するのを待ってはいられない、と判断したからである。


 戦略上では『兵力の逐次投入』は、”各個撃破を受ける危険性の高い愚策”とされるが、戦術レベルでは”前線の手薄な部分に新手の戦力を手当てし戦線の崩壊を防ぐ”ためや、逆に”増援のフレッシュな戦力によって敵の防衛線を突破する”など、有効な手段と成り得る。

 全軍が集結してから上虞を攻めるという、いわば温州軍全体としての戦略的な策が御破算になってしまった以上、次善の戦術的に有効な策を採らざるを得なくなったという恰好なので、顧炎武の行動に間違った点は無かった。


 実を言うと顧炎武には

――上虞には既に、紹興しゃおしんからの増援が駆け付けているのではあるまいか?

という懸念が有ったからだ。

 そうでなければ、空き城同然の上虞の守兵は籠城などという悪手を選ばず、素直に魯王(監国)にくだって忠誠を誓っていたであろうから。

 彼らは寧波を守っていた尚可喜から、寧波城市の陥落と呉三桂の戦死の情報を得ていたはずなのである。

 万余の兵を擁した寧波でさえ、脆くも持ちこたえられなかったのだから、千、二千程度の将兵しか籠っていない上虞など、本格的に戦闘が開始されれば一揉ひともみで陥落するだろうと考えるのが普通だ。

 それなのにえて即座の開城を渋ったのを見れば、籠城側の兵力は田雄と馬得功が出立したときよりも増えている、と勘繰かんぐらざるを得ない。


 確証は無い。しかし放っておけば大敗の危険性を捨てきれない。

 それが顧炎武を突き動かしている焦燥しょうそうだった。


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