豪雨の上虞4
副将の救出に向かった田雄近侍の騎兵は、南門から溢れ出てくる清国兵に面食らった。
彼らとしては城壁からの投石を警戒して、弓手(左手)で楯を頭上にかざし、馬手(右手)で手綱を操っていたからだ。槍は手にしていなかったし、剣は鞘に収まったままである。
彼らが直前に命じられたのは『救助』であり、『戦闘』ではなかった。
そのため楯を捨てて剣を抜くまでに、ほんの一瞬ではあるのだが、間が空いた。
両軍を隔てる距離がもう少し広ければ、騎兵は覚悟を決めて突進力を生かし槍衾に突入するなり、踵を返して離脱するなり対処が採れただろう。
しかし、今回はその暇が与えられなかった。
馬上で”まごついて”いる内に、槍兵の第一列が次々に馬腹に突きを入れた。
馬は激痛に嘶いて棹立ちになる。騎乗していた兵は、次から次へと鞍から転がり落ちた。
清国兵にしても、倒れた騎兵に止めを刺しているような余裕は無い。
鉄砲水のように、後続が城門から噴き出し続けているからだ。
立ち止まることは出来ず、前へ前へと駆けるより他なかった。
馬前に押し出されて暴れる馬の馬蹄にかかる兵も続出したが、清国側突撃部隊全体として見れば、破城槌のように温州軍騎馬隊を粉砕し、田雄指揮下の本隊の隊列に達した。
「防げ! 隊列を崩すな。」
田雄は大声で配下の将兵に命じた。
監国からの指示は『軽挙は慎め』というものだったが、事ここに至っては何の策も施さずに後退するという選択肢は選べなかった。
敵が勢いに乗って攻めかかってきているのである。
退き鐘を鳴らせば、兵が背を向けて逃げ出し、兵団は一気に壊乱するであろう。
敵の突進を受け止めてから、戦いながらジリジリと全軍を後ろに下げるより無かった。
梯団が穂先を揃えて、殺到してくる清国兵に槍を入れた。
押し合いになった。
両軍の先鋒同士がガッチリ頭を合わせた状態で、互いに血しぶきを浴びせあう乱戦となった。
が、田雄隊は不意を突かれた状態にある。
動揺が残ったままであったから、士気が清国兵のそれを僅かではあったが下回った。
南明側、清国側とも互いに戦闘で生じた損害は同程度だったのだが、田雄隊の第一梯団は崩れて清国兵の突破を許した。
第一陣が崩れると、後ろに控えていた第二梯団が代わって清国兵の圧力を受け止めようとしたが、押される一方である。
けれども清国側の突出部隊も、そもそもが統制の採れた突撃ではなかったから、ずっと先鋒を務めていた槍兵集団に疲れが見えて勢いが落ち、水に投げ込まれた角砂糖のように溶け始めた。
田雄は第三梯団と予備の第四梯団を第二梯団の支えに投入して、戦線を維持しようと試みる。
この機を逃さず、張孟衡が動いた。
彼の白襷隊は幕営地から未だ集結途中であり、充分に兵数が整ったわけではなかったが、張孟衡は手元の兵に激を入れると田雄隊の右手へと回り、清国兵に一撃を加えた。
しかし小勢であるから深入りはせずにサッと退き、兵をまとめては猟犬が熊を襲うように幾度も籠城軍突出部隊の横腹に噛み付いた。
馬得功も動いている。
張孟衡が右手に走ったと見るや、彼は左手に兵を動かし、崩れ始めた敵先鋒を横合いから襲撃した。
張孟衡と馬得功が戦闘参加したことで、籠城軍突出部隊に動揺が走った。
今の今まで温州軍を押し捲っていたと思ったら、敵の第一陣こそ敗走させたが、正面を抜く事が出来ないままに、気が付けば三方から包囲攻撃を受ける形になっていたからだ。
しかも両側には敵の増援が長い列を成して続々と詰め寄せている。
(これは幕営地から慌てて駆け付けている張孟衡と馬得功の配下の兵に過ぎなくて、全力で走って来たために息が上がっており、即座に戦闘参加出来得る状態ではなかったのだが、そんな温州軍側の事情など、清国兵は知る由も無い。)
「罠だ!」「魯王の罠だ!」「逃げろ、皆殺しになる!」
清国兵の間で叫び声と悲鳴が上がると、突出部隊は総崩れになって、我勝ちに門へと走った。
アドレナリンに浮かされて突撃を敢行したものの、参加した員数の中に核となる将が居なかったため、敗勢に転ずると極めて脆かったのだ。
張孟衡は逃げる清国勢から距離を置くと、警戒しつつも一息入れて額の汗と雨粒とを拭った。
――なんとか押し返した。
そして「降伏勧告は、もう一度やり直しだな。やはり顧炎武殿に使者に立ってもらうか。」と呟いたが……目を見張った。
田雄隊が逆襲に転じて、逃げる清国兵を追いまくっている!
――ヤツめ、『付け入り』をする心算か!




