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豪雨の上虞3

 戦闘が開始されたのは、城壁からの投石が発端だった、とされている。

 その時、馬得功に替わって降伏勧告の使者に立っていたのは、田雄であった。


 偶発的とされる戦闘が開始されるまでには、先遣隊の幕営の支度したくも滞りなく進み、特に雨に弱い鳥銃隊は城外の建物に分宿している。風雨が強いと、天幕の中にも水が漏ってくるからである。火薬を濡らすわけにはいかなかった。

 籠城戦では攻城側に不便さをいるために、守城側は籠城する前に城外の建造物は破壊しておくのが一般的セオリーなのだが、城外に建物が残っていた理由は、このたびは温州軍の進出が早かったために焦土作戦を採るひまが無かったためである。


 先鋒隊が城外に陣を構え終わった後にも、嵊州からの増援は小集団ごとに分かれて小刻みに到着し、攻城側の員数は増加しつつあったが、道が悪くなっているために”増加率”を論じるならばそれほど高くはなかった。

 実を言えば、馬得功と田雄指揮下の兵団が予想を上回る突進を続けたせいもあって、温州軍の上虞進出が想定を超えた速度で達成されたため、仮に悪天候の影響が無かったとしても、総軍が城を囲む計画日時までには、まだ間が有ったのだ。


 事務仕事をこなす文官の数が圧倒的に足りないために、先鋒軍の軍師格である顧炎武は、後から後から陸続と到着する温州軍部隊の部署割・宿割に奔走させられていた。

 また彼の門人は、周辺の村落からの食料や薪炭の徴発任務から手が離せないでいた。

 監国を長とする温州軍は、台州~臨海~天台などの戦闘で大量の資金や物資・食料品を手に入れていたが、上虞での幕営・宿営には輸送が間に合わないために、上虞城外での徴発という手段に頼らざるを得なかったのだ。

 ただし徴発と言っても名目上は「買い上げ」であり、力任せの収奪ではない。

 理由は為政者側の人道的観点からというよりはむしろ、収奪を行えば民心が離れて、清国に取って替わる南明朝への民の帰属意識が低くなるから、という功利的な面を重視するからだ。

 革命の時に収奪を禁止するのは、新政権の採用する常套手段であり、中国の歴史上では反乱や易姓革命に際して”反体制側”からは、『土地・財産の再分配の主張』と並んで頻出する手法である。

 とは云うものの顧炎武やその指揮下の郷党が、金銀を担いで上虞にまでやってきた訳ではないから、念書を書いての「借金による買い上げ」にならざるを得ない。支払いは本隊の到着後とされた。

 徴発される側の周辺住民には不安や不満も有っただろうが、顧炎武という人物の持つ弁舌の才や”カリスマ”が、何とかそれを抑え込んでいたのだった。


 だから軍師格で、更には監国から軍監の役割も期待されていた顧炎武ではあったのだが、最前線で『突発事態』が生じた時に、結果的にはその場には居合わせなかった。


 張孟衡と馬得功は指揮下の兵の大部分を休息に充てていて、城の近くではそれぞれが200ほどの槍兵を率いて田雄の後詰を務めていたのだが、城門付近で騒動が起きたらしい動きを見て銅鑼どらを打ち鳴らし、休息中の兵に急を知らせた。

 天幕で休息していた兵も防具を身に着け、槍や剣、あるいは弓矢を手にして飛び出したが隊列を組むのに手間取った。

 鳥銃兵は事前の打ち合わせ通りに、建屋の中から銃を構えて火縄に点火した。ただし敵味方の区別がつく至近距離に敵兵が迫るまで、決して弾は放つなと厳命されている。どの道、風雨のせいで鳥銃隊は屋外に出ても役には立たない。

 後詰の部隊が戦闘準備を整えるまでの間に、最前線での騒動は拡大の一歩を辿っていた。


 実を言うと上虞の清国側守将の考えは、騒動が起きるまでは魯王への降伏に傾いていたのである。

 折からの嵐に城内では、『敵は風雨で難渋しているのだから、籠城で持ちこたえられる』と主張する主戦派と、『嵐によって応天府や他の城市からの増援は期待出来ず、温州軍の攻撃を一度は跳ね返せても、直ぐにジリ貧になる』と危惧する慎重派が対立していたのだが、一度は弘光帝を裏切った馬得功や田雄が魯王に処断されずに重く用いられているのを目にし、慎重派の勢いが強くなっていたからだ。


 だから”何事も起こっていなければ”上虞は無血開城して、上虞市街戦は回避されていたのかも知れない。


 田雄は城門から50mほどの距離に配下の兵団を整列させて、副将を降伏勧告の使者に向かわせた。

 風雨が酷くなければ鳥銃や弓矢で狙い撃ちされてしまう距離ではあるが、銃は互いに使えない天候であるし、弓の狙いも定まらぬであろうという判断からだ。

 それに温州軍先鋒隊の中では「上虞の戦意は低い。開城を選ぶであろう。」という手応えを感じ取っていたから、城の清国軍が降伏すれば早く城内に入って雨を避けて休息したい、という気分が広がっていたことも否定できない。


 降伏勧告使は城の南門で、城門を開いて姿を現した清国側の使者と対面した。

 交渉はスムーズに進むかと思われたのだが、城壁から「裏切者!」という叫び声が上がり、拳大こぶしだいの石が投げつけられてきた。


 運が悪い事に、石は使者に立っていた田雄の副将の顔面を捉え、堪らず彼は落馬した。

 清国側の使者は狼狽して、倒れた副将を助け起こすよりも先に、城内に向かって「止めんか、馬鹿者!」と怒声を発した。

 城壁の上から、狼藉者ろうぜきものとそれを取り押さえようとする兵が争う気配が伝わってきたが、狼藉者とその協力者の方に軍配が上がったらしく、更に追加して石や煉瓦片が降り注いだ。

 副将を助け起こそうと下馬した彼の部下も、投石の餌食となって次々に倒れた。


 勧告使一行の危機を目にした田雄は、左右に控えていた近侍きんじの者に副将の救出を命じた。

 この場合あくまで無血開城を最優先するならば、田雄は冷静に構えて兵を動かさず、勧告使の一行が何とか自力で帰還するのを忍耐強く待った方が良かったのかも知れない。

 けれども副将は長く苦楽を共にしていた人物であったから、田雄はその苦境を放ってはいられなかったのだ。


 50騎ほどが泥濘を跳ね散らしながら城門へ突進すると、守城側の交渉者は慌てて城内に退避した。

 この時もまだ、守城側の兵が中から門扉を閉じて両者の間を物理的に遮蔽し、戦闘が起きるのを回避していれば、次の交渉の機会は得られていたであろう。――何故なら攻撃側・防御側の全員が、共に高い戦意と相手に対する敵対心とを持っていたわけではないのだから。


 だが門扉の内側で交渉の成り行きを見守っていた清国側籠城兵にしてみれば、地響きを立てて殺到してくる温州軍騎兵は恐怖の対象以外の何物でもない。

 しかも「開城の交渉を打ち切っての騙し討ち」を――図らずも――実行してしまった成り行きになってしまっている。

 ――魯王の配下は、怒りに煮えたぎっているであろう。

 恐怖が籠城軍将兵を支配した。

 ――生き残るためには、敵の攻撃を撃退しなければならない!

 清国側は槍衾やりぶすまを作って、城門から外へと押し出した。

 先頭に立たされた兵は怯えて、槍を持つ手に力が入らないような状態ではあったのだが、後ろからグイグイと体を押してくる圧力に抗しきれず……


 門外に倒れている勧告使一行を踏み潰すと、騎兵集団と激突した。


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