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ハシマ40 情報将校たちの”お茶会”は穏やかな見た目以上に、参加者の誰しもが「抜け目がない」と認識する件

 「アスピリンの中の痛み止め成分は、柳の木から作る方法もございます。昔は柳の皮を煮詰めて柳チンキをこしらえていたのだとか。けれども、それだけでは胃を痛めてしまうとかで、アセチルサリチル酸に胃に優しい成分を加えて薬と成しております。」

 岸峰さんは皆の顔を見回すと「私が手持ちのこの小箱は、試供品……ええと、試しにお使い頂く分として、皆様にお譲りいたしましょう。」と、ツアー参加者の代表として”言い出しっぺ”の三左衛門さまに手渡した。「ご希望の方々の間で、お分け下さいませ。仲良く、ですよ?」


 美人は得だ。いや、岸峰さんの”人たらし”ぶりが絶妙だと云うべきか。

 これ、他のヒトがやったら「無礼者!」って逆上のぼせる人物が出てもおかしくないシチュというか、言行げんこうだと思うんだけど

「はい、純子先生!」

と三左衛門さまは笑顔で受け取り「皆々様、これこの通り三左衛門が頂戴仕ちょうだいつかまつりましたぞ! 如何に宝を山分けにするのかは、長崎に戻りし後の御相談と言う事で。」と小箱を高々と掲げて見せた。


 う~ん。これは三左衛門さまも上手い。

 しかも予め岸峰さんと打ち合わせでもしていたかのように、息もピッタリではないか。

 打てば響く、というヤツである。


 将来高い利益性が見込める(ある意味、主導権争い起きてもおかしくない生臭みの強い)話を、『どんな豪傑、能吏であれ、この世に女房を恐れない男子などいない』という、ギリシャ時代・春秋戦国時代から歴々と続く『男どもにとって、外れの無い笑い話』にまで昇華することで、うまうまと協力体制・利益分配体制という――しかもそのリーダーシップを握れるような――流れに持って行ったのだから。

 実際に受け取ったのは鎮痛剤の小箱一つだけなんだけど、ツアー参加者の皆さんはこの見学会がハネた後、長崎の例えばお茶屋のお座敷なんかに集まって、鳩首凝議きゅうしゅぎょうぎを行うのに違いない。

 多分、妙薬の分配係の権利を得た三左衛門さまは、会議を進行する上での特別有利なアイテムを手に入れたも同然、というわけだ。


 和やかな無礼講のように見えて(あるいは装って)いても、この場は紛れもなく『各藩の情報将校のつどい』なのである。

 三左衛門さまは黒田五十二万石の筆頭家老だから、元から発言力は高いにせよ、参加者がそれぞれ各藩の利益代表であるのは(成り行き上、たまたまそうなってしまったからだとしても)否定しようのない処で、そこを無理なく嫌味なく主導権を握る手腕は、やっぱり見事なものだと思う。

 また、三左衛門さまの人物を見込んで、三左衛門さまがその座に座れるよう、そっと後押しした岸峰さんの掌握術や誘導術も立派なものだ。

 いや、転移する以前からスゴイ女の子だなぁとは分かっていたんだけれども、早良中尉殿とかミッチェル大尉殿とかからの薫陶くんとう(教育?)を得て、更に凄みが増したというか……成長しているんだという感じ。


 岸峰さんは「朝鮮との交易では、鉄や錫、鉛や亜鉛などの金属で支払ってもらうという手があります。これから先、どうせ必要になる物ですし、金属は溶かして再利用が利きますから。」と半島貿易での絹や人参に替わる輸入品を例示する。

「今どれほど産出量が有るのかは分かりませんが、清国との境に近い山からは、それらの金属類が採れていたはず。商いの道すじを繋いでおくのならば、人参よりも金属が狙い目でしょう。まあ値が張るようでしたら、無理に買う必要も無いでしょうけど。」


 「金気かなけの物を買い入れるという策は、存外良い考えかも知れませんな。」

 岸峰案に賛意を示したのは平戸藩氏。

「朝鮮国が清国から日本攻めの先陣を申し付けられて、対馬・壱岐に攻め込む勢いを示そうとするならば、軍船と武具馬具の準備をおこたりなくせねばなりませぬ。その折に、釜山の金気が全て我が国に買い入れられた後であったなら、船釘ふなくぎも満足に作れぬ有様でありましょう。」

 元寇の時には先頭に立って、大陸勢との死闘を繰り広げた松浦党の祖先を持つ平戸藩だから、その深謀遠慮にはリアリティがある。


 「言えますな。」唐津藩氏も頷く。「朝鮮国が売り渋りを見せるのであれば、裏でそういった動きが有るのだと疑ってかからねばなりますまい。言い換えれば、交易する物品の動きや値動きに目を配っておれば、後ろに控えし清国の目論見も読めてこようと云うもの。言の葉や書状の遣り取りだけでは見えぬものも、物の動きから明らかになる事は、世の中にママ有る事でございますから。」

 現代の中国情勢を知る時にも、アテにならない中国政府の経済指標発表を参考にするより、電力消費需給や中国国内貨物輸送量の推移を細かく追って、発表には出てこないリアルな経済状況を推測するのは、中国経済ウオッチャーには不可欠な作業であると読んだことがある。

 唐津藩氏の指摘は、それとほぼ同等というか、類似の主張だと考えてもよいだろう。


 牛込さんも、平戸藩氏や唐津藩氏の読みに理解を示す。

「そういう事と次第であれば、これは対馬藩だけの問題とは言えなくなろう。幕府……否、国を挙げての策を何ぞ考えなければならぬ。」

 そして対馬藩氏の目を見て「貴藩を後押しするための策を、という事じゃ。」と決意を見せた。

「オランダ相手の交易には、茶葉や磁器と渡来品との交換を以て相互の支払いに充てるとしても、朝鮮との――いや、朝鮮を介しての――交易には、多少の金銀の流出には目をつぶりしとも、金気かなけあがなう必要が……確かに有ると言えるな。」


 「如何にも、とは存じますが」と本所さんが問題点を指摘する。「上々は、それをがえんじえましょうや? 金銀の流出を防ぐ――もしくはその量を減らす――は、大いに頭を悩ましおる課題にございますぞ。」

 そして「金銀を払いに充てて、鉄や亜鉛を購うなど、どう考えてみても『割に合わぬ』と思召おぼしめすのではありませぬか?」と頭をかかえた。「いや何と切り出したら良いものやら……。」


 「そこはそれ。」と、場をクールダウンさせる発言をカマしてきたのはチェシャ猫狸の武富さん。

「オランダ相手をしておる長崎からの出血が止まれば、命を失うほどの傷口とはなりますまい。どうせ明国が荒れておる以上、長崎にしろ対馬にしろ、絹の道が細る状態は暫くの間は続いておりましょう。」

 僕たちの『歴史』では、南明政権は呆気なく瓦解してしまい、わずかに鄭成功の率いる抵抗勢力が抵抗運動を続けるだけという経緯を辿る。

 だから明国から清国に乗り換えた大陸沿岸の貿易商は、朝鮮半島経由で日本へどんどん絹を売り込んでくるという金流出の貿易不均衡が続くのだが、こちらの『歴史』だと、雛竜先生が弘光帝を陥落寸前の南京から脱出させた事と御蔵軍が温州戦線に介入したことで、絹布・絹糸貿易の行方は不透明化している。

(鹵獲物資として御蔵島や舟山島に移送・備蓄された”戦利品”も莫大ばくだいだからね。これは大陸「=明+清」の所持していた絹製品の総量から、純粋に”かき消えた”大陸の所有分だと考えてもよい。もっとも御蔵軍にしてみれば、戦闘参加の対価として支払いを受けた報酬なんだけど。)

 だから武富さんの推測の、「明ほどの大国が、新興勢力の清にその座を奪われるのには、直ぐには決着が付かずにそれなりの年月を要するだろう」という部分の読みには(本来ならば)誤りが”あった”んだけど、結果としては正しいものに”なった”という……。

 しかも、その攪乱要因は御蔵島の転移が絡んでいて、清国の大陸統一戦争の行方も左右する勢いという状況だ。(ただ、その事をツアー参加者の皆さんが知らないという背景はあるんだけど。)


 「ですから、多少の金銀のついえは問題になりますまい。」

 チェシャ猫狸氏は、例のニンマリとした不思議な笑みを浮かべて

「しかも、なんと申しますか、片山殿の言われるには浮遊選鉱法という、更に金銀をズリ石より生み出す技があるとの事でございましたからなぁ!」とツアー参加者全員に、芝居気タップリに両手を広げてみせる。「鉄の話、炉の話と間にハマった御説も興味深うござったが、拙者は何より『石と金気とを分ける技』に興味がありましてな。あの下りの続きを講釈していただきたいもの。金がどんどん採れるようになるなら、少々外に流れ出ても、今ほど五月蠅うるさく言われはせぬでしょう。」

 ――武富さん、ディスカッションの軌道修正をするのに不自然でないタイミングを、じっと計ってくれていたのか!


 「それそれ。」三左衛門さまが、ぱちぃんとひたいを叩く。「いや、ついウッカリ横道に逸れておったわ。もっとも意義ある横道ではござったが。」

 「ごもっとも。」と牛込さんも軽く頭を下げる。「耳にする事、驚く話ばかりで、つい佐渡金山の事が頭から抜け落ちてござった。公儀が金の産出に力を入れておるという折りに不覚、不覚。」


 「あ~、失礼いたしました。それでは浮遊選鉱法に話を戻します。」

 僕は深々と一礼。そして……

「どこまで、お話致しましたっけ?」

 いや、だって本当に忘れてしまっていたんだもの。


 「石粉には親水基がくっついておるが、金銀銅などの金気には親水基が無いというくだりまで、ですな。」と教えてくれたのは熊本藩氏。「そこで拙者が、田畑でんぱたから金銀が採れるのか、と要らん口を挿んでしもうたのが……もって回ってこの始末。いや申し訳ない。」


 「なんの。藩の境を越えての合力の協議が出来申した。無駄ではありませぬぞ。」

 孫六さまが、恐縮する熊本藩氏をねぎらう。「しかし、またここで儂が口を挿んでは進みませぬな。シューイチ君、続けて下され。」


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