ハシマ39 コークス炉の副産物は百花繚乱(だから収率が低いのは勘弁して!)な件
「いえいえ。福の神ではアリマセン。単なる記録係の書生、只の青二才です。」
僕は長崎役人氏からの賛辞を否定する。
「仮に僕自身が見出した新説を皆様に御伝えしているのであれば、その評価に値するでしょうが、私の口から出ている事実は、研究開発に邁進した大先達の受け売り。成果を借りているのに過ぎません。……ですから、逆に言い換えると『既に確認・確立されている真理』を述べているだけだ、と申し上げてよいのかも知れませんね。そういう意味では、間違いナシの話だ、と受け取っていただいても良いのかな、と。」
すると岸峰さんが、ドスッと脇腹に肘打ちをかましてきた。
彼女、徒手戦闘の教練を受けて攻撃力が上がっているから、僕は堪らず肋軟骨を抱えてしゃがみ込む。
「カタヤマは、つい言い忘れたようですが、先人からの受け売りだけでなく、武雄神社の武内宿禰様からの御神託もございましたし。」
彼女はニコヤカに説明を追加する。「理論的な裏付けに加え、神様からのお墨付きもあるのですから、心配はございません。彼の説明だけでは不安に思われる処もございましょうが。」
しゃがみ込んだ僕を「だいじょうぶですか?」と気遣ってくれたのは、手洗い(それに多分洗顔も)を済ませてきた雪ちゃん。
いろいろ思うところは有っただろうに、雪ちゃんは優しい。でも、岸峰さんも負けず劣らず優しいのだという事は承知している。
僕は雪ちゃんに、アリガトと返事して脇腹をさすりながら立ち上がり、岸峰さんには「フォロー、かたじけない。」と会釈。
「ホントだよ。」と彼女は口を尖らせてから聴衆の方に向き直って「ねえ皆さん、コヤツこの通りのお調子者なんです!」と念押し。笑いを誘って、上手にこの場を収めた。
「それでは、話をコークスに戻します。」
僕は枕を振ってから
「石炭を1000℃以上、叶いますなら1200℃で蒸し焼きにした物がコークス、もしくは骸炭と呼ばれる燃料です。蒸し焼きにはコークス炉と呼ぶ特別な窯を用います。燃料に石炭を使って、石炭を蒸し焼きにするわけですね。薪を燃やして薪を木炭にする、炭焼き窯のようなもの、と考えていただいたら結構です。別にコークス炉を用いなくとも、コークスを作るだけなら――蒸し焼きにすればよいだけなので――可能ですが、それだと副産物を捨てることになって勿体ない……否、不都合なのです。」
「そうでございましょうとも、シュウイチ様。」
長崎役人氏が恵比須顔でファイティングポーズ。「薬になる部分をドブに捨ててしまっては、余りに勿体のうございます!」
「はあ……ありがとうございます。」僕は彼の後押しに感謝の言葉を返してから
「まずは捨てるに惜しい副産物に、コークス炉ガスがあります。」と、副産物とその加工品を、指折り数えてイロイロを列挙。
〇コークス炉ガス:COすなわち一酸化炭素ガス。
・高炉内にまで導けば、鉄源である鉄酸化物への還元剤として使える。
・高炉を加熱するときの燃料にも使えるし、残余分は発電ボイラー用燃料にも。
・また集めて加圧してガス管に流し、都市ガスとしても利用可。
・注意点としては一酸化炭素中毒の原因物質であることが上げられる。(現在日本の都市ガスには天然ガスが使われているから、一酸化炭素中毒は起きない。今でも時々ガス自殺を試みて、死ねなくてタバコを一服とかしてガス爆発を起こしてしまう人間がいたりする。)
・またコークス炉ガスは、ガスとして利用する前の脱硫過程で、硫黄や硫酸を得ることが出来る。硫酸をアンモニアで中和すれば硫安(硫酸アンモニウム)が得られる。
〇石炭タール:粗軽油とピッチとの混合物。
・石炭化学の分野で、様々な物質の出発物。
・分留(分別蒸留)することによってエチレン・トルエン・ベンゼンなどの原料になる。
・トルエンからはポリウレタン・フェノール(石炭酸)・TNTの合成も可能。
・フェノールには、それ自身でも強い殺菌作用があるが、クレゾール(手洗いなどの消毒用)、チモール(歯科用殺菌薬)などに誘導も出来る。またフェノール樹脂の原料でもある。合成アセチルサリチル酸(アスピリンの原料)の出発物質であるのも重要。サロメチールにまで合成を進めることが出来れば、湿布薬の性能が大幅アップする。
・ベンゼンは有機溶媒としての用途の他にも合成ゴム生産の原料ともなる。
・化学工場では生田さんたちがナイロンを作ろうとしているけれど、その原料に用いているのも石炭タール由来成分。
・粗軽油部分は、常温でも揮発する揮発性の高い部分を飛ばしてしまえば(あるいは分留して他の用途用に分別した残りでもと言い換えてもよい)、ポンポン船用の焼玉エンジンの燃料としても流用できる。(まあ焼玉エンジンが簡素なエンジンで、焼け付きに気を使いながらであれば質の良くない油でも動かせるからで、ちゃんとディーゼルオイルを使うべきではあるのだろうけど、資源が限られている以上、贅沢は言えない。チハやテケが動かせるのかどうかまでは、僕には分からない。)
・ネバネバのピッチは木材の表面に塗布することにより、木材の腐敗劣化を防ぐことが出来る。木造船や木造家屋を長持ちさせるのが可能となる。また木造船の隙間を埋めて水漏れを防ぐのにも使用できる。
・コークス炉に溜まる煤とピッチとを併せて炭化させると、電炉(電気溶解炉)の電極棒が製造できる。
――などなど。
煤は墨汁にすることも出来るけれど、墨は既に評価の定まった既製品が国内に流通しているから、敢えて新規事業として製造に乗り出さなくても、電極棒か加炭材として使う方が良いと考えられる。(筆記具としては鉛筆を推したいという思惑もあるからね。)
そして「瀝青炭をコークスに焼きますと、石炭10に対して出来るコークスは2割ばかり。副産物のコークス炉ガスが4割で、石炭タールが4割ほど。だからコークスが重要だからといって、出来上がりのコークスのみをその産物とするには余りにも”勿体ない”と言えます。」と結論した。「それに、焼く対象の原料としてだけではなく、焼くための燃料としても石炭は使うので、収率は2割よりも更に低いというのが現実的な話でしょう。」
僕はコークス製造時に、重量当たりの出来上がり収率は予想外に低いという事を認識してもらおうと思って、副生物の用途の説明の後に収率の話を付け加えたのだけれど、聴衆の皆さんは『収率の低さ』には――予想に反して――驚かなかった。
「いやいや。炭焼きの事は、皆、存じております。」
代表――というのではないかも知れないが、大村藩氏がアタリマエデスヨという感じで教えてくれる。「大きな薪が、小さく縮んで軽~くなるのですから。水気やら何やらが抜けて重さが減るのは、物の道理。それは石炭でも同じ事でありましょう。」
そして、むしろ彼らが驚いていたのは、実は――
「良い事ずくめではないか! コークス炉から出ものには、捨てるところが無い。」と叫んだのは牛込さん。「何故に武内宿禰命は、今までそれをお教え下さらなかったのか!」
「時期尚早とお考えになっておられたのでは?」と本所さんが上司に物申す。「これまで本邦では、ずぅっと戦続きでございました故。太平の世になり、初めて命は御蔵の里の者をお使わしになられたのでございましょう。」
本所さんの意見に、孫六さまが「さもありなむ。」と頷く。「これは一度、皆でうち揃うて武雄神社に御礼参りに伺わねばなりますまいて。」
孫六さまは、自藩の神社の霊験あらたかなることに、鼻が高い様子でいらっしゃるようだ。
「そうですなぁ。供え物には石炭とコークスとを、是非ともお持ち上がりせねば。」と三左衛門さまも頷く。「その折には、我が藩で採れし、石炭と鉄とも加えたいもの。」
「我が藩の石炭も加えて下され。」「そうそう、そうですぞ。」唐津藩氏と松浦藩氏、それに大村藩氏も口を揃える。
「それでは我が藩からは石灰石と苦灰石!」小倉藩氏も負けていられないとばかりに参入。「それに加えてマンガンじゃあ!」
「なれば我が藩はタングステン!」と叫んだのは長州藩氏。「タングステンは我が方の独壇場のようでございますから。」
「我が藩だと鉄源となる鉱石か。ふむ、山奥にあるという他の種別の石も開発したいものだが、真っ先に必要なのは何というても鉄であろ。」と決意を固めたのが熊本藩氏。
「それでは我が藩が合力するには、各々の品々を必要な場所へと届けるべく、海運に尽力すれば良いのかの?」
五島藩氏はちょっと残念そう。「五島の島々にも、これと誇れる物品があれば嬉しかったのだが。」
僕は「必要な場所に、必要な時に必要な物を届ける力は重要ですよ!」と強調する。「ロジスティクスすなわち商売の場では物流管理、軍学上では兵站と言いますが、これが整わなければ物が動かせません。商売は滞るし、軍は干上がっちゃいますからね。」
そして「五島藩様、松浦藩様、対馬藩様といった、海外貿易の経験もお有りで海運力に長けた方々が御参加下さるのは、心強い限りだと考えます。」と続ける。
「それに五島藩様の御領内では、福江島にてロウ石が採れます。ロウ石は工事を行う時の印付けに欠かせませんし、今後は子供らが学び事をする時の筆記具として重宝されるでしょう。石板にロウ石で文字を書いて習字や算術の勉学を行えば、消しては書き消しては書きと繰り返し使えて紙を無駄にしません。また御領内で採れる硬玉は、紅玉(こうぎょく=ルビー)や碧玉(へきぎょく=サファイア)などの宝だけでなく、無価値とされた石も鋼やガラスを磨くのに重宝いたします。なにせ金剛石の次に硬い石ですので。」
「それと言い忘れておりましたが」と僕は対馬藩氏のほうを向くと
「御領内には今、銀と鉛、それに亜鉛を産出する鉱山がおありですが、そこ以外にも銅と亜鉛と鉛とを産する山が眠っております。鉛はこの後、ガスを導く管を作るのに重宝いたしますし、亜鉛は鋼板や鋼管を錆びから防ぐメッキ材として需要が増えますよ。また、食べ物を腐らせずに長く保管する技に缶詰めという技法があるのですが、缶詰めを作るには詰める缶が錆び腐らないよう、鉄板をメッキしてやる必要があるのです。」
「それは嬉しい話だが、銅も亜鉛も我が藩にしか無いというモノでもないからなぁ。」と対馬藩氏は浮かない顔のままだ。「朝鮮との交易も、明国と清国との戦が始まって以来、細る一方であるし。」
「それは致し方ありますまい。」と慰めだか反論だか分からないスタンスで長崎役人氏が会話に加わる。「絹や絹糸は、明国での騒動が収まるまで朝鮮からは入って参らぬでしょう。朝鮮国で産するというよりも、明国の品を朝鮮の商人が扱っておったのでございますから。」
さすがは長崎の貿易商。大陸や半島事情にも通じている様子。「あちらに産する品で明国産でない物は、まずは人参でございましょうかなぁ。人参なれば、これまで通り商売も続けられるのでは?」
――あ……。これは、ちょっと。
「え~っと折角の御提案ですが、朝鮮人参には薬効が疑問視されておりまして。」
言おうか言うまいか迷ったが、高いお金を払ってオタネニンジンを購入する人がいるのを、放って置いて良くはないだろう。(蔵にお金が唸っている大富豪なんかが買うのだったら、好きにさせておいても良いんだろうけどさ。)
「分析の結果、人参には『これといった特別な成分』が含まれていない、あるいは見つかっていない事が報告されています。敢えていうならサポニンと呼ばれる成分くらい。……ですがサポニンならば、ゴボウの皮にも充分含まれておりましてですね……。」
「ご・ごぼう?」
長崎役人氏が絶句。
「シュウイチ君が言われておる事だ。根拠も無しにってことはあるまい。」
三左衛門さんが腕を組む。そして対馬藩氏に向かって
「そうなると、難しい話になりますな。明国が再び盛り返すか、あるいは清国が全てを押さえて民を落ち着かせるかするまでは、絹は入ってこないことになり申そう。その上、頼りの人参もアテにならんとなれば、朝鮮との交易には旨味無くなる。」
「悪い事ばかりではございますまい。これまで金銀が他国に流れることこそ、悩みの種だったのでございますから。」
本所さんは幕府の役人だから、国際貿易に関しては縮小均衡でも仕方がないという考えだ。「絹は所詮贅沢品。質素を以て良しとすると、触れ出すだけのことでございましょう。幸いオランダ船からは、明国の絹は今だ入って来ておりますし、天竺の綿や更紗には障りが出ていないので、購う物が無くなったわけでもございません。」
「そうさなぁ。」と牛込さんが頷く。「オランダ船との交易でも、これまでは一方的に金銀の流れ出ずることばかりが多かったが、これより先には金銀の代わりに焼物や茶を以て代金に充てれば、金銀は国内に留め置けよう。」
しかし、と一転重い口調になると「それでは対馬藩の苦境の解決には至らぬな。朝鮮は別に有田の焼物を購いたいとは思っておるまい。茶もそれほど好んで飲まぬようであるし。」
「そこはそれ、俵物など、かの者たちの欲する品が無いではありませぬ。」
平戸藩氏が対案を出す。「昆布に鱶鰭、干し鮑に干し海鼠。それに我が国で肥やしを多く産するようになれば、余剰の干鰯を売り捌くのも無いではない。細々とでも商いの道筋が付いておれば、いつかは変わる日和も参ろうと云うもの。」
そして「いやさ御蔵殿なれば、それ以外にも様々と面白き売りモノを持っておられると勘案いたしますがな。」と意味あり気な笑い。
「痛み止めの”あすぴりん”!」と平戸藩氏に応じたのが薩摩藩氏。
「いやいや、先ほどまで苦しんでおったのが嘘のよう。効き始めるまでに小半時と伺っていたが、もう治り申した。」
薩摩藩氏は岸峰さんに向かって、厳つい顔を綻ばせると「正に神薬でござる。」と断言した。「千金、万金の値が付きましょうず。」
「アスピリンは、婦女子の『月のもの』の痛みも和らげます。」
岸峰さんも笑顔で応える。「そうですね。月のものを迎えた娘にとっては、有ると無いでは大違い。……また、婦女子と共に暮らしている殿方にとっても、アスピリンの効果は得難いものでしょう。」
そして彼女は「隣に不機嫌極まりない女子が居ると、殿御はどうにも居心地が悪いようですからね!」と断言する。
これには三左衛門さまが至極真面目な顔で
「純子くん。儂にもコソッと、その……あすぴりんなる妙薬を都合して頂けまいか。」
と拝み込む。「いや……時折、奥がなぁ……。」
この発言には、参加者一同、なんとなく曖昧な表情ではあるが、異論は無いようである。




