ハシマ37 転炉か電気炉が無ければ、高炉や反射炉を造っても鋼鉄の大量生産は叶いません、な件
「よう解り申した。」
熊本藩氏が頷く。「片山殿が、金銀の新しい絞り方より先に、石炭と鉄、それに石灰について触れられた訳が。」
「どうもその様でありますな。」長州藩氏も納得のようだ。「金を掘り出すにも絞るにも、また焼物やら各地の産物を運ぶにも、まず何より先に、それを容易にするための手立てが肝要。そう云う事でござろう。」
「石灰にて”せめんと”なる三和土の極上品を作るのも、街道や鉄道を整えるに不可欠というわけですな?」と指摘したのが小倉藩氏。「燃えぬ家を造るだけでは、のうて。」
「それだけではあるまい。”せめんと”にて坑道の壁を固めれば、金山・銀山の崩れも減り、人足も今より心易く坑に潜れよう。」とまで推論を進めたのは牛込さん。「また坑道の中、坑の奥にまで鉄道を伸ばせば、モッコに担いで石を運び出すより、遥か容易に仕事が進むは明白。……いやはや、何もかもが変わりますぞ。」
「皆様、ご理解が早くて助かります。」
僕は素直に脱帽する。(文字通りに「ヘルメットを脱いだ」ってワケじゃいよ。)
「鉄と石灰石、そして石炭は、今後の産業を育てていく上で、基礎中の基礎となるでしょう。」
ここは『ついでに』というより、『絶好の機会』だから、耐火煉瓦と耐火モルタルの必要性と重要性についても強調しておくべきだろう。――と、いうより、チャンスは今しかない!
「石炭・石灰石・鉄、これと並んで、これから先に皆様に不可欠であるのは”特別な炉”でアリマス!」
「炉? 如何なる炉で、何に使うのじゃ?」
一瞬、頭を捻った牛込さんだったが、直ぐに「読めた!」と叫んだ。「鉄だな。鉄を蕩かす炉であろう!」
「炉で鉄を? 鉄なら古来より、多々良で溶かすものと決まっておりましょう?」
本所さんが彼の上司に対して――何を言っているのだ、この人は?――という表情で反論する。
それに対する牛込さんの対応は……
『タワケ者!』
という叱責だった。
タワケという言葉は主に中部地方で使用される罵倒語で、財産分与をする際に有権利者全員に田畑を均等に分配することで、有権利者全員がビンボウになり家が立ち行かなくなったことに由来するという。
もしかすると平成になっても中部地方では一般的に使われている罵りなのかもしれないけど、僕は時代劇でしか他人を「たわけ」呼ばわりするシーンを見たことがなかったから、これにはちょっとビビった。
なんとなく関西弁の”アホぅ”より、強めの感じがしたからだ。
しかし牛込さんは叱りっぱなしではなく
「考えてもみよ。刀鍛冶や野鍛冶が、刀剣や鋤鍬を一本一本作るのとはワケが違うのだぞ。村から村へと、街道を整えるがごとく鉄路を引くのだ。……それに加えて、鉄船一艘を造るのに、どれだけ鉄が必要だと思うのだ? 片山殿が言うておられる炉とは、それだけの湯を溶かせるだけの炉の事よ。とても多々良では間に合わぬ。かつて信長公も鉄張りの船を戦に用いた故事があるが、あの鉄船は木造の船の外張りに鉄の薄板を張っただけのモノよ。高島からここまで乗って参った御蔵船は、中のカラクリに至るまで総鉄造りであったであろうが。」
とキッチリ『1バッチ当たり、多々良製鉄時とは違って、多量の銑鉄量が処理出来る炉が必要』なのだという論理的解説付きの説教。
牛込さんの使った”湯”とは、この場合沸騰水のことではなく、溶銑(鉄原料が高温で溶けた鉄)のこと。不純物を多く含む湯の温度は、純鉄の融点1538℃よりは低い。
溶銑が冷えて固まった物が銑鉄で、炭素を多く含む硬いが脆い性質の鉄だ。有効利用するためには、成分を調整して鋼材用の鋼鉄や鋳物用の鋳鉄にまで処理してやらねばならない。(でないと、簡単に折れるか割れる。)
ちなみに鋼鉄の炭素含有量は2%ほどで、銑鉄の4%の半分くらい。
これは言い換えれば、転炉や電気炉で2%分の炭素を銑鉄から取り除いてやらねばならない、ということでもある。また炭素分を0.02%くらいまで減らしてやると、針金や鉄くぎ向きの柔らかな錬鉄(軟鉄)となる。
高炉で鉄鉱石を溶かすには、炉中に吹込む微粉炭やコークス炉由来の一酸化炭素ガス(CO)が鉄酸化物の還元剤として作用するわけだが、炭素をつかうのだから使われた炭素は銑鉄中に溶け込む(浸炭する)。
これが多々良や高炉(それに反射炉)で作られた銑鉄の、炭素を多く含んでいる理由だ。
粘土をくり抜いて作る高炉の原始的なモデルは、既に紀元前の古代中国で実用化されていたとされるのだが、それによって生産されていたのは多々良製鉄で得られるものと同じく、鋼鉄ではなく銑鉄なのである。
高炉や反射炉が出来たからといって、一足飛びに鋼鉄の生産が可能になるわけではない。
銑鉄から炭素分を除くには、銑鉄を溶けた状態のまま転炉に移し、溶銑の中に酸素を吹き込む必要がある。転炉という名前の由来は『銑鉄を鋼鉄に転換する転換炉』から来ている。
同時に石灰石を焼いて作った生石灰(CaO)も添加する。
強制的に酸素(もしくは空気)を吹き込まれることで、転炉中の銑鉄に浸潤した炭素は燃えて二酸化炭素(CO2)となり取り除かれる。同時にリンやケイ素も燃え、生石灰と反応してスラグとなり、湯の表面に浮かぶ。この作用により、銑鉄から炭素・リン・ケイ素を除去することが出来るのだ。
ザックリ言うなら転炉とは、酸素を吹き込むことで炭素・リン・ケイ素を燃やして取り除く炉であるという事。だから転炉の中では燃焼反応は勝手に進むので、酸素を吹き込むのは必要だけど、追加で加熱する必要は無い。(炉内温度は1600~1800℃が維持される。)
――ただ、ここで重要なのは、高炉と転炉とでは結果として出てくる鉄の成分に違いがあるから、炉に使用する耐火材(耐火煉瓦や耐火モルタル)に、異なる成分の耐火物を使用しなければならないという相違点があることだ。
高炉や反射炉に使う耐火煉瓦には、ケイ酸塩を主成分とする酸性~中性耐火物が使用される。この用途向けにはケイ酸アルミニウムから出来ている有田(泉山)の白磁鉱や天草陶石を使えば、立派な耐火煉瓦になるだろう。欲を言えば、一度耐火煉瓦として使用した後の劣化して交換した磁石を、粉砕して新規生産分に混和してやると、一度は熱変性にさらされている分、更に耐火性は高くなる。(極端な事を言うなら、適切ではなく適当なモノで良ければ陶器用の粘土だって使えなくはない。ただ白磁鉱に比べれば高温に弱いから、煉瓦の損耗は激しくなるはず。)
一方、転炉に適しているのは塩基性の耐火煉瓦なのである。
なぜかというと、生石灰を転炉に投入してリンやケイ素をスラグ化させる時に、炉壁の耐火材が酸性だと、CaOリッチなアルカリ性のスラグが酸性耐火材に張り付いて、溶銑の表面に浮かんでこなくなる分が出てくるため分離ロスが出てきてしまうからだ。結果、スラグと耐火材の間で酸―アルカリの反応が起き、炉自体も急速に痛んでしまう。
この事態を回避するために、転炉用塩基性耐火物には、高純度酸化マグネシウムを1450℃以上で焼き固めたマグネサイトを使うことが多い。
けれども高純度酸化マグネシウムを、江戸時代初期に大量に用意するのには困難が考えられるので、ここではドロマイトを使った塩基性耐火物を使う方法を採用したいところ。
ドロマイトというのは『苦灰石』の事。苦灰石はCaMg(CO3)2という成分の石で、石灰石の産地近くから採れる。メチャクチャ大雑把に言えば、石灰岩の山の麓付近に分布している。
見た目は石灰石とよく似ているのだけれど、希塩酸を垂らしてやると、石灰石はCO2を出しながら簡単に溶けるけれども、苦灰石は石灰石より化学反応が鈍い。この事によって石灰石と苦灰石とは(見た目が似ていても)区別することが可能。
どうせコンクリート原料(や転炉への添加物)として、石灰石の採掘は行う必要があるのだから、事のついでに苦灰石も福岡藩・小倉藩・長州藩から集めてもらえば良いのである。
これで反射炉もしくは高炉用の酸性耐火材向け白磁鉱と、転炉用塩基性耐火材向け苦灰石とは入手ルートが揃う事となり、単なる”鉄材”ではない”鋼材”の生産が日本本土でも可能となるのだ。――先は長いけど……。
ちなみに刀鍛冶が得意とする刀剣などの鍛鉄は、銑鉄を打撃によって物理的に処理(鍛造処理)して鍛えて作る。物理的圧迫を加えることで、銑鉄中の細かな隙間(いわゆる気泡などの『ス』と呼ばれる物)を無くし、金属結合の方向性を整える作業を制作過程に含めるわけ。
だから、銑鉄から炭素を除去するのに転炉や反射炉を使う近代製鉄の作業工程を「化学的工程」とするなら、鍛造はそれとは意味合いの異なる「物理的工程」と言っても良いだろう。
だから日本軍は一貫製鉄所が出来た後の第二次世界大戦の時にも、「昭和刀」と呼ばれる軍刀を使用していたのだけれど、昭和刀は鍛造過程を機械化した”機械打ち(機械鍛造)”の刀だったりする。
御蔵島にも実は昭和刀の修理や再加工用目的の小型プレス機があるのだけど、今では破損した日本刀を再生するヒマも意思も無いから、鹵獲刀剣なんかを原料に焼玉エンジンのポンポン船用クランクシャフトやスクリュー部分製造に流用されている。
(初めにそれを手掛けたのは、同じ立花小隊のメシを食った仲間である新町造船の鴻池さん。抜群に器用な鴻池さんは、その仕事を弟子に引き継いだ後、内水面用小型艇向けに蒸気エンジンを造っている。蒸気エンジンが軌道に乗ったら、佐賀藩や福岡藩向けの陸上据え置き型小型石炭蒸気発電機に流用してもらえるよう頼んでみないといけない。……まあ、これは余談だ。)
それと、化学的加工と物理的加工とは、工程としてどちらが優れているかという比較するものではなく、互いに補完し合うものだと理解しておかないといけない。
鍛冶打ちというと古臭い技法のように思えるかも知れないけれど、現代の金属加工でも、それは使用されている。例えばレールは鋳造によって作られるが、鍛造によって仕上げられると云うように。一貫製鉄所でも高炉や転炉と並んで、圧延機や冷延機は製鉄所の花形設備である。
鍛造設備だけを取っても、御蔵港の乾ドックにも中大型船のクランクシャフト交換・修理用に、中型と大型の鍛造機(プレス機)が存在しているし、石炭置き場や各種資材置き場と発電所や工場とを結ぶ島内簡便鉄道線路向け中型プレス機など、製造品が大きければ大きな物ほど鍛造設備は必須の設備なんだ。
”鉄”と一口に言うけれど、その金属は鉄鉱石や砂鉄を集めて溶かして固めただけでは、十分な使用には堪えないモノだと理解しておかなければならないのである!
僕は早口で『”ただの砂鉄や鉄分を含んだ石”が”鋼鉄や鋳鉄”として使えるようになるまで』を説明し
「当座は、有田や天草の磁石を用いてケイ石煉瓦を作り、それを使った反射炉を制作し、銑鉄までを作ってから御蔵の里に運び、鋼板や鋼棒にまで加工して長崎なり博多なり、あるいは三角や三池に運び入れるしかないでしょう。しかし将来、この地で大量の機械製造用の鋼を生産するためには、何としても転炉を作らなければなりません。」
と結論した。「まあ野鍛冶さんが使う、鍋釜や小さな細工物を作る分の湯は、従来の多々良でも良いですけど。」
「転炉に反射炉か……。ううむ、これは御蔵の里の助力を仰がねばならぬようじゃな。」
安芸守さまは元から腹を括っていたようで、結論が早い。
三左衛門さんや牛込さんも、安芸守さまの言葉にウンウンと頷いて、異論は無い模様。
ただここで、僕が触れ忘れていた事に気付いていた岸峰さんが
「ホラ、片山クン! コークス、コークス!」
と、脇に立つと横から小声でさり気なく囁く。
彼女、給仕役をマメにこなしていながら、ちゃんと耳はそばだてていたみたい。持つべきものは、頭の切れる友人だ!(元から彼女は美形だと思っていたけど、今は更に二割増しで綺麗に見える。)
僕は彼女にギコチなくウインクを返してから
「あ! 忘れていました。転炉か反射炉と並んで、石炭をコークスに焼くためのコークス炉も必要なんです。」
と付け加えた。こんな時のウインク、いつになったら上手くなれるんだろうか。
「こおくす?」
熊本藩氏が、また変なモノが出てきたワイ、といった表情をするが
「素焼きの磁器に良き絵付けを施すには、釉薬をかけて本焼きを行う前に、まず本焼きに使うための炭を焼く必要がござろう? あれと同じく、薪を炭に焼くがごとく、石炭も石炭炭に焼く必要があるのでありましょうよ。”こおくす炉”というのは、言ってみれば石炭炭向けの炭焼き窯。違いますかな?」
と、地元名産が波佐見焼である大村藩氏が磁器に強いところを見せる。
中国では古い時代からコークスが使用されていた歴史があるが、日本ではそもそも石炭の使用と生産自体が珍物扱いの激レア地域限定品と思われていたので、コークスという概念自身が(一部の好事家を除けば)普及していなかったのだ。だから、コークスが”石炭を更に炭焼きした物”ではないか、という大村藩氏の推理力は有難かった。
加えて大老三左衛門さんも
「鉄を鍛えるにも溶かすにも、薪の火ではのうて炭でなければならぬからのぅ。薪の炎と炭の炎とでは、そもそも熾った炎の熱さが違うそうじゃ。」
と鉄の加工に一家言あることを示す。三左衛門さんが鉄の加工をしているところなど想像もつかないが、商業都市である博多を支配下に置いているのだから、案外と特注品の武具を誂えるために鍛冶場の視察なんかをしたことあるのかも知れない。もしくは糸島の多々良を見たことがある、とか。
「正に、その通りです。」と、僕は二人の卓見に敬意を示してから
「掘り出したままの石炭は、例えて言うなら『生木を乾かした薪』。薪のように使う事は出来ますが、薪より強い炎を得ようと思えば、薪と同じく炭焼きを施してやらねばなりません。石炭を炭焼きしたモノが骸炭、別名コークスと呼ばれる石炭の炭なのです。コークスを燃やせば、石炭を燃やした時よりも高い熱が得られて、はじめて鉄や鉄の原料を溶かすことが出来るようになるのです。」
ふぃ~……。ようやく転換炉と塩基性耐火材の重要性の部分にまで、ハナシを持っていくことが出来ました。
本当なら、転炉にはスラグ用の生石灰だけでなく、出来上がり鋼材の仕様に合わせて成分調整のためのフェロシリコン、フェロマンガン、シリコマンガンなども加えるのですが……そこのトコまでは割愛させていただきます。
と言いますか、「製鉄のハナシなんかクドクド書いとらんで、ストーリーを先に進めぃ!」というお叱りもあるかと存じます。
ただまあ、過去に転移するストーリー(平行世界ではありますが)で技術的な話全くを割愛してしまうと「だったら全部、魔法で良いジャン!」て事になってしまうような気がするので、見逃してつかぁさい。
このへんのメンドクサイ話は、もうちょっと続きます。合掌平伏。




