ハシマ36 浮遊選鉱について解説する心算であるのに、なぜか横道にそれて鉄道の話になってしまう件
「シャボン? 金銀を選り分けるのに、シャボンで石を磨きでもするのか?」
僕の発言に、牛込さんが首を傾げる。
いかにも『眉に唾して』という形容が相応しい表情である。
「いえ、そうはアリマセン。……いや? 突き詰めると、牛込様の言われる通りなのかな?」
牛込さんの質問が、ビミョウな部分で浮遊選鉱のツボを突いているのに気付いて、僕は彼の発言を吟味する。
確かに粉にした鉱石を、界面活性剤と混合してブロアするのだから、突き詰めれば『シャボンで石を磨く』のだ、と言えないこともない(のかも知れない?)
「え~っとですね、言葉で説明してもお分かりいただき難いと思いますので、ちょっと実験してみましょう。」
僕は本所さんに「スミマセンが、お持ちになってた小柄を貸していただけますか?」とお願いし、本所さんが懐から小刀を取り出す間に、足元に落ちている乾いた小石を拾った。
それから腰のベルトに着けている水筒を手に取ると、皆から見えるように小石と小柄の両方に水を滴らせる。
当然ながら小石は水に濡れて表面の色が濃くなり、小柄の磨き上げられた刃には水は付着せずに流れ下る。
「このように、石は水に濡れますが、鋼は水を弾きますよね? 金物は、鋼だけでなく銅や金でも、同じく水を弾くのは皆様ご存じの通り。仮にしばらく水に浸していたとしても、軽く振るえば水気を払うことが出来ます。」
僕の実演に「それは物の道理よな。」と三左衛門さんが頷く。
安芸守さまも「川底で拾うた石は、石の中まで濡れておるが、金物は奥まで濡れることは無い。それは確かじゃが……それが何か?」と不思議そうな顔をする。
「ええ。如何にもアタリマエの事なのですが、これには石と金物には、それぞれ『水が引っ付く・水を弾く』という、異なる物性がある――という事を示しているのです。」
ガッチガチに論理的述べるのであれば、「川底の石」は金属インゴットみたいに金属結合の単一体ではなく、異なる粒子の集合体で隙間から水が浸透する余地があることにも言及しなければならないんだけど、そこまでツッコんで行ったら全然先に進まない。ここは一つ”方便”ってことで、ふわっと誤魔化しておこう。
「違うモノなのだから、それぞれに違う性を持っているのは至極自然なことであろぅ?」と、ここまでは牛込さんにも異存は無いようだ。
「ごもっともです。」と、僕は牛込さんの発言内容を肯定し
「では、何故に異なる性を持つに至ったのかを、とことん突き詰めてみましょう。それには先ず、”水とは何ぞや?”という事を知らねばなりません。」
と続けて、地面の上に木の枝で『H-OーH』と化学の授業で慣れ親しんだ水分子のカタチを大書する。
当然、直線状に記すのではなく、Oの部分で”くの字”に曲げた形状で。
「酸素原子の2本の腕に、それぞれ1個ずつの水素原子を結合させたモノ。これ、すなわち”水分子”です。目に見えぬどころが、渡来品の拡大鏡を以てしても見通せぬほど、細かな細かな粒なのです。」
「それが、水を突き詰めたモノか……。」
牛込さんが、呆けたように呟く。「その粒の寄り集まったモノが、雲となり雨になり、川を流れておると。」
その通りです、と肯定してから、僕は”くの字”部分に点を2つ刻む。
「水を突き詰めたモノがこの様な形状である以上、特性として、この曲がり部分に水分子における電子のローン・ペア――すなわち孤立電子対――と呼ばれるモノが生じます。実を言うと、電子雲の存在から言うなら、このモデルは少し古い考え方であるのは否めません。ただし、バケガク初心者にも理解しやすいモデルであることは事実でして、初等科や中等科の学問所では、今でも使われております。」
「なんとも難しい話だが、兎にも角にも、その場所には『こりつでんしつい』なるモノがある、と飲み込めば良いのでござるな。」
長州藩氏が痛快そうに笑う。「この年齢になって、初めて水がツブツブの集まりであると知りましたぞ! しかもそのツブには、各々『こりつでんしつい』なる場所が隠れておる、などとは。」
「ありがとうございます。」と、僕は長州藩氏に礼を言い「なぜそうなるのかを説明するとなると、高島に学問所でも開いて、御蔵から専門の学者を招いて長々と講義をしなければならなくなります。僕自身は単なる書生で、まだまだ学業修行中の身に過ぎないのです。また専門の学者の講義を聞いても、皆が皆、算術の奥義を必要とする、量子力学や量子化学を容易く頓悟できるとも限りません。ですから、この場では『そのような、ものなのだ』と丸呑みにして頂くより他にありません。」
「心得た。」と三左衛門さんが頷いてくれる。「何も分かっておらぬ者が、口々に疑問を呈しても、『群盲象を撫でる』で話が先に進まぬであろう。ここは一つ『子、曰く』に倣って、片山殿のコトバを鵜呑みにすると致すか。」
すると武富さんも「『孔子曰く』ならぬ、『片山子曰く』と云うわけですな!」と、こちらは半分茶化しが入ったような発言。
けれども古狸の表情は、僕を後押しするかのように好意的だ。「さあ先生、先を続けて下され。」
金銀を分離するのに『灰吹き』より良い方法があるという実利の裏打ちが無ければ、ツアー参加者の皆さんが興味を失ってしまう(だろうと思う)ようなメンドクサイ説明なのだが、とりあえず先に進もう。
「え~それでは、もったいなくも先生と呼んで頂くにはお粗末ではございますが、続けさせていただきます。」と僕は咳払いをした。
「この孤立電子対と呼ばれる部分が、モノが水に馴染みやすいか否か、を決めておるのです。」
「ほう……。その”くの字”の部分が。」と対馬藩氏が頷く。「いや、鵜呑みに致しますぞ。」
「はい。そして一方、石粉の表面には、この孤立電子対を引き寄せ易い”親水基”と云う突起があります。」
「石や岩の角が、”こりつでんしつい”を呼び込む、という理屈かな?」首を捻ったのは五島藩氏。
「孤立電子対を親水基が呼び込むというナガレは、正におっしゃる通りなのですが、石コロの角の部分が、というのはチョット違います。」
僕は五島藩氏の勘違いの部分をやんわりと否定する。「石コロも、先に『水とは何ぞや』と考えた時のように、細かく細かく思案するのです。」
先ほど、石については”ふわっと誤魔化す”と決めたのだけど、結局「石とは何ぞや」にも踏み込まなければならないみたいだ……。
「ほほう。細かく細かく、か。しかし片山殿、石は微細に砕けば砂になり申そう。さらに細かく磨り潰せば泥土じゃ。しかも石は種類が様々。水のように、一つではありませぬぞ?」
五島藩氏は理詰めで攻めてくる。しかも彼の言うのは正しい。
「おっしゃる通りです。石には安山岩、花崗岩、泥岩、接触変成岩など、数え切れぬほどの種類があります。しかも、それぞれが大きさによって、岩・石・砂・泥と仕分けすることも出来ます。」
僕は五島藩氏の理屈を肯定しつつ「しかし考えてみて下さい。鳩も烏も雀も、全て違う種類の生き物ですが、それらはまとめて鳥という枠組みの中に収めることが出来ますでしょう?」と同意を求め「羽が生えていて空を飛び、卵を産む身体が温かい生き物は、総じて鳥と呼んでも差し支えない、と言えますよね?」と、こちらも理詰めで切り返す。
「ふぅむ……。鳥とはなんぞや、などとは考えて見たことも無かったが、確かに一口に鳥と言うても色々ですな。しかし、”鳥”と言われれば確かに、そのような生き物ですなぁ。様々な石コロや泥土も……こう、何か一括りにしてしまえる組み分けがある、と云うわけですな?」
鳥の例えで、五島藩氏をなんとなく丸め込めたようではある。
「はい! ですからこの場では『ケイ酸塩質鉱物』を纏めて石と呼んでいる、とお考え下さい。ケイ酸塩と呼ばれるモノが、石の主な成分・部分と呼んでも差し支えないでしょうから。もちろん例外も在りますし、そうでない場合にも石には珪酸塩以外の微量成分も含まれています。――微量成分には分離したいと今、議論を進めている金銀銅なんかも含みます。地面や地中に石や砂などケイ酸塩が多く存在するのは、地殻――我々が踏みしめている大地のことですが――それがそもそもケイ酸塩で出来ているからなのです。」
僕は五島藩氏に頷いてから「粉にまで細かくした珪酸塩鉱物から、金銀銅、鉄や鉛に亜鉛といった金物原料を浚い出すために、浮遊選鉱という方法を用いるのです。」と、一息入れた。
「おおお!」と大声を出したのは、今まで比較的静かにしていた熊本藩氏だった。
「それでは金山に依らずとも、そうじゃな、そのあたりの畑土からも、金銀が絞れると云うことか。」
熊本も様々な鉱物資源が多い土地である。ただし熊本の場合は、阿蘇周辺を除けば九州山地の急峻な土地に埋蔵量が偏っている。
だから舗装道路や鉄道が存在しない今は、まだ手を出し難かったりする。実を言えば、埋蔵量が纏まっている阿蘇の褐鉄鉱・黄鉄鉱・硫化鉄は早めに開発を進めたいのだけど。
「理論だけで言えば、間違いではありません。ですが……」と僕は首を横に振り
「金を多く含む土地で行うのと、ほとんど金を含まないケイ酸塩土壌でそれを行うのとでは、コストパフォーマンス――費やす費用に対しての見返り――が、全然違います。金山や銅山で行えば金はたくさん採れましょうが、そもそも金が無い土地で行っても、経費に見合う金を産出するのは難しい。だから、佐渡の金鉱の廃材を使えばどうか、と話をしているわけでして。」
僕の返答を聞いて、熊本藩氏は酷くガッカリした。
だから僕は「しかし阿蘇には、鉄資源が山のように埋まっています。」と続けなければならなくなった。
「鉄でござるか。」と熊本藩氏は気乗りのしない様子で肩を落とす。
「鉄なれば、黒田様の御領地に……そう、和白でございましたかな? あそこで採れると。」
「和白の砂鉄鉱脈は、海から近いので手始めに採掘を開始するのにはモッテコイなのですが、阿蘇に埋まっている鉄とは量が違います。阿蘇周辺からは和白より桁違いに大量の鉄が採れるのです。」
和白の砂鉄鉱山より埋蔵量が多いと耳にして、黒田家大老の三左衛門さんがピクリと反応。だけど、横から口を挟むとハナシが更に横にズレると判断してくれたらしく、三左衛門さんは何も言わなかった。有難し!
そんなわけで、僕は熊本藩氏に『これから先、鉄という資源は幾ら有っても足りないんですよ』という点を指摘する余裕が出来た。
「武具に農具に工具にと、鉄は今でも使い勝手の良い金物ですが、鉄の重要性は、この先どんどん増して行く一方です。先ほど見て頂きました土を掘る機械もそうですが、御蔵では船も鉄製です。それに今後は牛馬に替わる荷運びの道具に、鉄道と呼ばれる物が使われるようになるでしょう。」
「てつどう?」
ツアー参加者の皆さんが、一斉に疑問の声を上げる。
「はい! 道に二本の鉄棒を敷き並べ、その上に鉄車を走らせるのです。鉄車は、石炭を燃して激しく湯気をたて、その湯気の力で車輪を回して動かします。」
皆さん僕の言うのを聞いて、妙な顔をしている……。
聞いても解り難い説明だろうな、と自分でももどかしく思うけど、実物か――せめて映像でも使わないと――上手くイメージしてもらうことが出来ない。スマホの動画に、御蔵の石炭置き場で稼働しているトロッコ機関車の画像を入れてくればよかった。
けれど、僕の心配は杞憂だった。
ツアーに参加してくれた皆さんは、地位には高低はあってもそれぞれ各藩の情報エリートらしく、柔かな頭と類推による洞察力に優れている『人材』ばかりだったのだ。
「鉄の棒を道として、岸辺からここに来るまでの間に遭うた”馬無し荷馬車”を走らせるという算段ですな?」と唐津藩氏。
「掘り出した石炭で”あれ”が動かせるなら、牛馬も馬喰も不要でごさろう。」と大村藩氏。
「大川はどうする? 橋を架け、橋の上に、その……鉄道とやらを引くのか?」これは熊本藩氏。多分、筑後川や白川、緑川なんかの川を念頭に置いての発言なのに違いない。「ううむ……。鉄車を走らせる橋を築くのであれば、橋は鉄か岩で築くよりあるまい。これは確かに鉄がふんだんに無うては叶うまいて。」
「人々の往来が活発になるな。物の売り買いも盛んになろう。」と小倉藩氏。「赤間ヶ関(下関)の海峡は、さすがに鉄道を通すわけには行くまいが。」
「いやいや。御蔵殿の鉄船、あの自ら動く船であれば、潮の流れの急なる時も苦にならんでしょう。」と長州藩氏が小倉藩氏に応じる。「潮待ち・風待ちで、時を無駄にすることが無うなりましょうぞ。」
「ううむ……。水運・海運に長じておる我が藩にとっては、鉄道は有利に働くのか、それとも不利に転ぶのか?」と一抹の不安を覚えているのが平戸藩氏。
平戸藩氏には、対馬藩氏と五島藩氏がそれそれ
「海陸での荷運びには、住み分けが生じましょう。そう、ご心配めされる必要は無いのでは?」
「左様。博多や平戸口、それに長崎まで、陸からの荷物が届きやすくなりましょう。我らにも利があると思いますぞ。」
と、今後の鉄道利用の利点を数え上げる。
ただしツアー参加者の皆さんの鉄道に対するイメージは、鉄道利用というよりもトラック輸送のイメージの方が”より近い”ようでもある。
南蛮貿易や半島貿易で栄えてきた土地柄だから、進取の気概で血が熱くなる感じなのかも知れない。
僕は盛り上がっている彼らを好ましく感じながらも
「え~、先ほどご覧頂きました自動貨車や履帯式運搬車は、石炭ではなく油で動いております。」
と一応は訂正というか、事実を述べなければいけなかったが
「ただし、木炭や薪、石炭で動く自動貨車を製造出来るのも事実です。けれど鉄道ならぬ街道を動く自動貨車では、一台ごとに積める荷物が限られております。」
と付け加えた。
そして「一方で鉄道が優れている点は、先頭に動力車を配置すれば、後ろに荷車を何台も繋げることが出来、一度に多くの荷物を牛馬を使うより、早く遠くまで運ぶことが出来ることなのです。」と気張らないよう、なるたけ冷静に聞こえるよう言い添えた。「実現させるためには、大量の鉄が必要になりますが。ですから金銀が文字通り銭になるのは勿論、鉄は重要でありますし、今後信じられぬほどの銭を生むように成るでしょう。」




