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ハシマ35 金を銅から取り出すのに、「灰吹き法」より進化した「浮遊選鉱法+電気精錬」を提示する件

 「最初の一口目は、なにも入れずに味と香りとを試してみて下さい。」

 何事も無かったかのように、石田さんはマグカップに注いだコーヒーを配って歩く。

 いや、彼女の物腰はいつも穏やかなんだけど、今は普段より愛想の度合いが多めか?

 「香ばしい香りと、爽やかな苦味が楽しめれば良うございますが、お口に合わなければ、ミルクティーと同様に、砂糖とミルクとを足して下さいませ。」


 石田さんの行動に、ちょっと動揺(と言うかビックリ?)していた岸峰さんと雪ちゃんも、給仕役の仕事に戻って、皆さんに平静にマグを手渡している。

 彼女たちも、石田さんのアクションの裏には、ちゃんと何かの意味があるのだと感じているのだろう。


 長崎役人氏は、岸峰さんから渡されたコーヒーを一口すすって

「や! これは薬湯やくとうのように苦うござるな。砂糖をタップリ入れて下され。」

なんて彼女に笑顔で要求している。「砂糖も上物じょうもののようですから、苦茶も旨くなりましょう。」

 やはり、このオヤジ、ズ太い。なんっつーか、肝が据わっている。

 砂糖輸入の窓口でもあった長崎は、砂糖どころの矜持きょうじが残っているのか、平成になってからでも料理にやたらと砂糖をブチ込む。だから概して味付けが甘い。

 長崎と小倉とを結ぶ長崎街道は、通称「砂糖街道」と呼ばれていたくらいだ。

 対する岸峰さんも「それでは、甘~くなりますよう、大匙三杯奢りましょう!」と満面の笑みで、親のかたきにでもするかのように、ザクザク砂糖を注いでいる。

 いくら何でも、それでは砂糖の味しか、しなくなるんじゃ……。


 図太い長崎役人氏に比べると、むしろ武士である与力氏のほうが繊細みたいで「や、や。茶の追加は、少~しでようござる。拙者、かわやが近こうございますゆえ。」なんて雪ちゃんに頭を下げていて――彼の場合、まだ手が震えているのかも知れない。





 「して、片山殿。」

 ミルクコーヒーで一息ついて驚愕から回復したのか、本所さんがタメ息を大きく吐いてから、意を決したように話し掛けてくる。「御蔵では岩を砕くのに、普段から火薬を以てするのであろうか?」


 「ケース・バイ・ケース……ええっと、場面場面によって、です。」

 僕は採掘現場の方を指差して

「あそこのように、重機によって掘り進めることも有りますし、両手で抱えられる大きさの削岩機という機械で、岩を砕くことも有ります。砕いた石が――そうですねェ、陶石や石灰石のように何かの材料になる場合――さらに細かく粉にまで仕上げるには、クラッシャーやミルと呼ぶ機械にかけます。玄翁げんのうで粗く砕いた後に水車と臼とで粉に仕上げる過程を、動力機械を使って行うようなものだと御理解下さい。火薬を使って砕くのは、岩盤のように厚く強固な大岩を壊す時ですね。それには、ニトログリセリンを珪藻土に染み込ませたダイナマイトという爆薬がよく使われます。」

 僕はここまで一息にしゃべってから

「ただし小倉君が説明いたしました通り、ハーバー・ボッシュ法でアンモニアを作るのは、なにも火薬を作るためだけではありません。肥料だって作れるわけで、肥料不足による飢饉ききんの恐れを減らすことが出来るのが大きいのです。――人間、空腹が満たされれば命の危険から遠ざかる事が出来ますし、争い事も減りますから。」


 「まあ確かにナァ。」と深く頷いたのは三左衛門さん。「火薬が作れると聞いて、そちらの方にだけ注意が向いてしまったが、太平の世になった今、火薬よりは肥やしじゃな。必要とされておるのは。」


 「しかり、然り。」と安芸守さまも同意する。「こえが安くふんだんに手に入るとなれば、百姓どもは喜びましょう。田畑からの収穫も増えましょうし、茶やその他諸々の、金に換えるにやすい作物を作る余力も生まれましょうし。」





 「あ! 言い忘れてましたけど、佐渡の金、あれの収量を増やす手があるのです。」

 僕は牛込さんや幕府関係者にも、甘い餌を提示しなければならない。今の処、いきなり敵対関係に入るわけにはいかないからだ。

 天草陶石と磁器で、一応の利益を提示はしているんだけど、それ以外にも幕府直轄領の佐渡金山にも触れておいた方が良いだろう。金山から生み出される金・銀・銅は徳川家の直接的な力の源でもあることだし。


 「坑道で火薬を使うのか? そんな手荒な真似まねをすれば、山が潰れてしまうぞ。」

 僕の”言いたいであろうこと”を推測して、牛込さんが否定的に先回りする。

 火薬と肥料とを『空気から生み出せる』御蔵勢の力を、この場に居る幕府代表として、彼は他の誰よりも警戒しているようだ。


 「いえ、違うのです。掘り捨てたズリから、金銀を絞り出す方法でして。」


 金はイオン化傾向が低いから、金属鉱脈の中で金の塊――いわゆる自然金――として存在することがある。

 (イオン化傾向については『金貸すな、まあ当てにすな。酷過ぎる借金』とかいう、シュールな語呂合わせの覚え方があるよね。K>Ca>Na>Mg>Al>Zn>Fe>Ni>Sn>Pb>(H)>Cu>Hg>Ag>Pt>Auっていうアレだ。)

 また比重が重いから、細かい粉体に近い自然金が、砂金の形で河川の流れの緩くなった部分に堆積することもある。

 けれども、その存在の大部分は熱水鉱床の中なんかに、金銀銅、鉄やら亜鉛、錫、鉛なんかと混じった形で存在する。

 だから鉱石を掘り出して砕き、金属成分っぽい部分を取り分けた後、加熱融解してインゴットに加工しても、金や銀をその中から分離する工程が必要。


 また、金を分離するのに水銀に溶かしてアマルガムを作る(その後、水銀は加熱蒸発させ金だけを残す)アマルガム法は、既に空海の時代には広く行われていたようなのだが、水銀の原料になるHgSこと硫化水銀(いわゆるもしくは辰砂しんしゃ)は、それ自体の存在がレアだから、膨大な量の低品位鉱石の大量処理には向かない。(水銀中毒も怖いしね……。無機の金属水銀は有機水銀と違って、飲み込んでも腸からは吸収されないから毒性は低いんだけど、加熱蒸発させれば水銀蒸気として肺に取り込まれてしまうからねぇ。)


 自然金や自然銀以外の微細粒子状の金や銀なんかは、日本では元は銅と一緒に銅鉱石の中に混じった状態で掘られていた。

 だから日本産の金銀混じりの粗銅は、輸出品として比較的高値で売れていたのだが、言い換えればこれは日本の金資源や銀資源が、正当な国際相場より安価に流出していたのを意味する。

 諸外国は、日本産銅地金から金銀を抽出することで、利益を出していたわけだ。

 しかし日本にも、1540年代前半に『灰吹き法』と呼ばれる銅から金銀を分離する手法が伝来する。

 更に1591年には、改良灰吹き法と言える『南蛮絞り』も伝わった。


 『灰吹き法』という手法は、金と銀とは鉛に溶けるが銅は溶けないといった元素ごとの物性と、金属それぞれの融解温度の差を利用して、粗銅を鉛に溶かして金銀を分離する方法。

 ちなみに各金属の融解温度は

〇金:1064℃

〇銀:962℃

〇銅:1085℃

〇鉛:328℃

〇鉄:1538℃

と、いったところ。

 粗銅と鉛とを混ぜて加熱すれば、金や銀は鉛に溶け込むが、銅は液状化しても鉛には溶けないで表面に浮いてくる。鉛に溶けないし融点が高い鉄は、液化せずにスラグとなる。


 イメージし難かったら、水に食塩と油と発泡スチロールとを混ぜたと考えて欲しい。水が鉛で、金銀が食塩、発泡スチロールがスラグ化した鉄だ。で、銅が油。

 まず表面に浮いた、水に溶けない発泡スチロール(鉄)を取り分ける。

 次に表面温度を徐々に下げる。

 油(銅)は水(鉛)に溶けない上に、水(鉛)より比重が軽いから、水(鉛)の表面に浮く。これで銅は単離可能だ。溶液の表面温度を少し下げてやれば、銅は1085℃以下で固体化するんだから、塊として取り出せる。

 イメージとしては、サラダ油みたいに常温でサラサラの油脂ではなく、融点の高い獣脂みたいなアブラが、食塩水の表面で固まって浮いている、と考えればよいだろう。

 銅のカタマリがプカプカ浮いてくるというと、ちょっと変な感じもするけれど、銅の比重が8.96なのに対して鉛の比重は11.35。だから比重が軽いんだから、銅は溶けた鉛の中では浮くのだ。

 参考までにいくつかの金属の比重を述べておくと

〇金:19.32

〇鉛:11.35

〇銀:10.50

〇銅:8.96

〇鉄:7.87

となる。銀は鉛に溶けるから浮かないだけで比重そのものは鉛より軽い。


 ――ここから先は、ちょっと様子が違うから、食塩水と油の例えは忘れて欲しい――

 更に温度を下げてやると、鉛に溶けるが鉛との合金は作らない金と銀とが固まってくる。

 鉛は液化しているけど、金銀は固化している温度(328℃以上 962℃以下)で、全体を骨灰こっぱいで出来た皿に移す。

 骨灰というのは、動物の骨を焼いて灰にした物。ザックリ言っちゃうとリン酸カルシウムだ。

 液状化したままの鉛は、多孔質の皿に毛管現象で吸収され、皿の上には金銀だけが残る。

 強引に食塩水の例えに戻るのならば、水を蒸発させて食塩だけが皿に残った状態だ。


 で、1591年伝来の南蛮絞りが進化した方法であるのは、鉱石から加熱して粗銅を抽出するに際して、灰吹きを行う前に加圧して粗銅の抽出量を増やす工程が付加されたから。(だと思うんだけど、ちょっと自信が無い。骨灰に鉛を吸収させる時に加圧して、処理時間を短縮させるのが南蛮絞りなのかも知れず……まあ、ネット検索も出来ない状況だから、分からない事があるのは致し方無い。)

 どの道、作業にあたる現場の鉛害が酷そうな方法なんだけど……。


 さて、これがこの当時の――というか、1640年代の――金銀の分離法である。

 確かに、それ以前に比べて金や銀の産出量(単離量)は増えちゃいるんだけど、低品位の銅鉱石(金銀を含む)は利用スルニあたワズとばかりに、佐渡の海岸線に投げ捨てられている。


 廃棄された低品位鉱石が日の目を浴びるのははるか先、1936年の事になる。

 佐渡に日本初となる金の浮遊選鉱ふゆうせんこう場の建設が始まり、1937年(昭和12年)から操業が開始されるのだ。

 浮遊選鉱自体は、銅の鉱山でそれ以前から操業が始まっていたから、日本初なのは大規模に金の採取が目的で造られたってトコロ。

 この佐渡島の北沢浮遊選鉱場は、廃棄された石から、それまでに生産された以上の莫大な黄金を生み出す事となる。


 御蔵島の建設部門の技師さんに、浮遊選鉱場の建設と運営とに携わった人材が居たのは幸いだった。

 西部太平洋全域を睨む補給基地兼修理工場として、御蔵港は日本軍と米軍・英連邦軍が共同運用するために、無理を押し通して短期間で完成にこぎ着けた。

 だからこの技師さんも優秀さを買われて、他の業務の現場から引き抜かれ、御蔵島の設備建設部門で勤務していたのだ。


 その技師さんは、ハシマ作戦開始にあたって

「あちこち鉱山の所在を調べているみたいだけど、内地で鉱山をあたるんだったら、佐渡や生野の金山・銀山は外せないよ!」

と、あちこちの工場事務所の蔵書に分散している国内原料鉱山資料を、ウロウロと取材・収集していた僕に教えてくれたのだ。

 僕は彼のサジェスチョンに対して「幕府直轄だから、うかつに手を出すのはマズイんじゃないですか?」と疑問を述べたのだけれど

「いや、室長さん。金山そのものに手を出すんじゃないんだよ。目を付けるのはズリ。捨てられている廃材さ。あれから、まだまだ金は絞れるんでね。」

と、北沢浮遊選鉱場の事を詳しく話してくれたのだった。


 技師さんの言う佐渡の北沢浮遊選鉱場跡を、僕はテレビのドキュメンタリー番組で観たことがある。

 その光景は、なんだかアニメ映画『カリオストロの城』の、最終局面で湖の底から姿を現す、古代ローマ遺跡みたいな巨大な遺構だった。


 「クラッシャーにミル、それに撹拌槽やブロワー、廃液を循環利用するためのシックナー、それにキモとなる界面活性剤やなんかは御蔵の技術が無けりゃ、幕府には作ることも出来やしない。まず、なによりも発電設備が必要だしね。」

と彼は自身が撮影した白黒写真を、大事そうに机の引き出しから取り出して見せてくれた。

 それは僕がテレビで見た遺構ではなく、まだ出来上がったばかりの現役バリバリである最新設備だ。


 彼は愛おしそうに写真を撫でると「これが最新鋭の北沢浮遊選鉱場だ。」と僕に手渡し

「一方で、コッチだって建設用のセメントやら動力源の石炭・石油は、御蔵からの持ち出しにはしたくない。建設作業員だって、御蔵島には余っているわけではないんだからね。金がまだまだ採れると幕府を利で釣って、取り引き材料か共同事業に持ち込むんだね。――ま、可能であればだが。」

と続けた。


 そして技師さんは「実現に持ち込めるかどうかは、室長さんの舌先三寸、詐欺師としての腕前次第ってトコかな? ……べつに詐欺を働くわけじゃないんだけどさ。」とニヤリと笑って人聞きの悪いことを言い

「一度は造ったことのある施設だから、もう一度やってくれと言われたら、やれるよ? 初めからフル規格で造るのは難しかろうが、コアになる部分をベンチスケールで造って、バッチ式のパイロット・プラントに移行させ、徐々に広げて行けば良い。幕府を抱き込む取り引きには、もってこいの案件だと思うけどね。」と結んだのだった。


 それから彼は作業台で引きかけの図面に向き直ると

「源さんが舟山で明国商人相手に『珍しい石』を集めさせているだろ? 宿屋の照明なんかの電気には、スタート時点では小型のディーゼル発電機を使うんだけど、常時湯がふんだんに使える大風呂の風呂釜用と称して小規模火力発電設備付きの湯屋も併設するヤツ。実を言うとあの『新町湯別館』を作るのは、アンテナショップとして必要という目的だけではなくて、あそこからちょっと離れた場所まで電気を引いて、浮遊選鉱と電気精錬向けのミニサイズの舟山ベンチプラントを造る予定なんだよ。風呂と発電設備は既に突貫工事で建設中だけど、選鉱場と精錬場の建設はこれからだから、今はスゴく忙しくてね。この図面は、その設計図さ。」

と腕を組んだ。「舟山のプラントが成功したら、設備やらなんやらの設計図一式は、そのまま佐渡に応用出来ようってモンじゃないかい?」





 「ズリから金を取り出すのには、浮遊選鉱法という方法を用いれば実現可能です。」

 僕は自信満々で牛込さんに宣言する。


 虚勢ではない。――だって、実際に”それ”をやっていた人材が、やれる、と言ってくれているんだから。

 先は長いかも知れないが、やれば、出来る。


 僕の自信に、牛込さんがたじろいだ。


 一方で本所さんは「ほほう! して、その『ふゆうせんこう』とは?」と興味を示した。「なにやら、また珍奇な手妻てづまのような名でござるなぁ。」

 「まこと、まこと。」と武富さんもニンマリと笑う。「出来ればつまんで、いかなる手管てくだを用いるか、ご教授願いたいもの。」


 僕は「喜んで!」と注文を受けた飲食店従業員のように快諾し

「まずは粉体にしたズリから、シャボンによって金属と石の成分とをり分け、次に電気の力で銅と銀と金とをり分けるのです。」

と頷いてみせた。


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