御蔵島沖遭遇戦 2
装甲艇10号の大井艇長は、微速前進で艇の位置を保ちながら、応援の到着を待ちつつ、双眼鏡で接近してくる帆船群の様子を窺っていた。
ジャンク船独特の、折り畳み式の大きな帆は高く広げられているが、無風に近い状態なので帆船は這う様な速度でしか進んで来ない。
推進力は、ほとんど船尾の櫓による人力であろうと大井は考えていた。
この状況ならば、むしろ帆を下ろしてしまった方が、抵抗が少なくなって速度は増すのではないだろうか。
帆船上に搭載火砲は見えない。これは一つ安心材料だと言える。
装甲艇は文字通り鋼板で覆われている。
小銃での遠距離射撃程度なら、帆船から先制攻撃を受けても弾き返す事ができる。
しかし、帆船上には一艘当たり20から30人ほどの水夫が、忙しそうに動き回っている。
水夫の中には、槍か矛の様な得物を持っている者が混じっているようで、時折キラリと金属的な反射光が見える。
無防備に接舷を許し、接舷戦闘にでもなったら、相手方の人数が多いだけに厄介な事になってしまうだろう。
また、ジャンク船が、あまり役に立っていない帆を上げたままなのは、帆の後ろに何らかの火器を隠している可能性もある。
油断は禁物、艇長は10号艇の乗組員に、そう通達を出した。
大井艇長は、通信士に命じて、周波数を変えながら無線で呼びかけを行うが、何の反応も無い。
また、信号手に命じて、発光信号を送ってみたが返信は無い。ただ帆船上の動きが慌ただしくなったばかりだ。
装甲艇の火力を以て先制攻撃を行えば、低速の木造帆船の制圧は容易いが、まだ敵対勢力であると判断するには、材料に決め手が欠ける。
肉眼で視て、帆船の水夫の手や頭の動きが見える距離(およそ400m)まで帆船群が近付いた時点で、今度は手旗信号を試みて相手の反応を窺った。
双眼鏡越しには、ジャンク船の水夫が刀剣類で武装しているのはハッキリと確認出来るし、中には火縄銃らしい武器を構えている者もいる。
しかし、手旗信号による停船要請を了承したのか、各船ともスルスルと帆を下ろし始めた。
「接近して、臨検を行いますか?」
操舵手が指示を求める。
「いや、待て。このまま、微速前進で様子を見る。」
何と言っても、今のままでは彼我の頭数が違い過ぎる。
『出来得る限り戦闘を避けよ』という司令部からの命令は、現地勢力の状態が全く分からない現状では理に適っていると思う。
不必要に敵対勢力を作り出す愚は避けたい。
それだけに、援軍の高速艇隊が到着し、数的劣勢を回復して、交渉に当たれる環境を作り出すまでは、時間稼ぎに徹する事が戦術的に重要であると言えた。
だが、相手側にはその猶予を与える心算が無い事が判明した。
ジャンク船は帆を収容すると、片舷に4本づつ計8本の櫂を突き出し、漕走し始めたのだ。
動き始めこそ鈍重であったが、一旦速度が乗ると、ジャンク船は急速に距離を詰めてきた。
「戦闘配置! 但し、発砲は敵からの攻撃が有るまで待て!」
自分の攻撃命令を待たずして、こちら側から先制の発砲を行う事は無いだろうと、大井艇長は思った。
部下には全幅の信頼を持っている。
砲手や機銃手はノモンハンの生き残りで、肝が据わっているのだ。
独立混成船舶工兵連隊が編成され、連隊の兵科に、ノモンハンの負け戦の経験者が多く集められた時には、「体のよい島流し」と揶揄する意見もあった。
しかし、ノモンハンの厳しい戦いを生き抜いた兵には、身に染みた経験からくる落ち着きという、他に代え難い凄みが有った。
7艘のジャンク船群は、右に2艘、左に2艘と船団を分離し、装甲艇を包囲する心算のようだ。
中央にいる最も大きな船の船上で、ジャンク船群の指揮官らしい大男が、大きな身振りで盛んに指示を下している。
それに対応して、銅鑼が打ち鳴らされ、旗による合図と共に、船団に統制の取れた動きがをもたらしている。
船団は、昨日今日に編成されたものではないのだろう。
襲撃手順には、手慣れたものが感じられた。
上海や寧波近くの海上で、海賊が跳梁跋扈しているという注意情報は、聞いた記憶が無い。
しかし敵船団が海賊であることは、疑う余地が無いように思われる。
大井艇長は、操舵手に「面舵いっぱい。」を命じた。
10号艇がジャンク船群に、右腹を晒した所で舵を戻し、逆進をかける。
これで、迫り来るジャンク船群に対して、前部砲塔、後部砲塔に中央部の機銃塔と全ての武装を使用する事が出来る。
逆進をかけたのは、艇の行き足を殺して、砲の照準を着け易くするためだ。
砲がチハの57㎜砲で、低初速の榴弾のため、移動目標を狙うのには自艇が静止している方が都合が良い。
ジャンク船の水夫の服装が、肉眼でも分かる距離だから、彼我の距離は300mを切り、200mに近付いている。
この距離で、艇の横腹を晒して静止するのは大層危険な事に思えるが、大井艇長には「海賊はロクな火器を持っていないのだろう。」という確信があった。
国民党から流れたチェッコ機銃でも装備しているのであれば、400m付近の距離からこちらに向けて射撃を開始してもおかしくはない。
大井艇長は接近して来るジャンク船に、それぞれ左側から順に1番、2番と番号を付けた。
戦闘が開始されれば、前部砲塔は1番船・2番船を、後部砲塔は6番船・7番船を攻撃するよう目標を割り振った。
機銃塔は3・4・5番船を掃射するのだが、攻撃始めの合図と共に、先ずは指揮官船である4番船に火線を集中するよう指示を下した。
部下に命令を下しながら、彼は続けて敵の観察を行っていた。
ジャンク船の水夫は、指揮官も含めて、頭髪を中央部だけ残して剃り上げた髪型、所謂「弁髪」にしているのが見える。
これは異様な事で、清朝が倒れて以来、国民党政府は満州族が漢族に強いていた弁髪を禁止している。
共産軍も同じく弁髪を憎んでいるから、満州国から遠く離れた舟山群島付近で、弁髪の匪賊が暗躍している可能性は、限りなく低いのだ。
海賊たちは、更に理解に苦しむ行動を取り始めた。
木製の盾を、舳先を中心に船縁に並べ始めたのだ。
楯は鉄の薄板を表面に貼り付けるでもなく、本当に只の木の板にしか見えない。
あれでは機銃弾はもとより、小銃弾も防げないだろう。せいぜい拳銃弾の中距離射撃に耐えられるかどうかという代物だ。
敵は現代戦の火力というものを、全く分かっていないようにしか思えない。
肉眼で敵海賊個人の目が分かる距離、即ち、およそ100mの距離から、海賊側の発砲が始まった。
ジャンク船の楯の陰から、次々に白煙が上がると、装甲艇の防弾板に敵弾が命中した鋭い金属音が聞こえる。
しかし、防弾板は全ての敵弾を弾き返し、装甲艇に被害は出ない。
海賊からの計20発程の射撃が終了すると、次は山なりの軌道を描いて矢が打ち込まれてきた。
予想通り、敵の主武装は火縄銃であったのだが、次弾装填までの時間稼ぎには、信じられない事に弓矢を使うという時代錯誤の戦法を採ってきたのだ。
「撃ち方始め。」
大井艇長は満を持して反撃を命じると、司令部に防御戦闘に突入した事を連絡した。
機銃塔の重機関銃が唸りを上げると、敵4番船の盾は簡単に弾け飛び、次々に海賊が海へと転げ落ちる。
重機関銃が怖いのは、一丁の銃が一度に多くの弾を発射する事だけではない。
一発一発の弾の威力が大きいから、貫通力が高いのだ。
敵指揮官船は、一瞬の内に無力化された。
前部砲塔、後部砲塔も負けじと射撃を始める。
前部砲塔の砲手は、敵1番船めがけて57㎜砲を放った。
低初速の榴弾砲とはいえ、ノモンハン帰りのベテランが、100mを切ろうかという近距離での低速移動目標を外す事は無かった。
砲手は山なりの弾道で、木造船の船底をぶち破る心算だったのだが、57㎜砲弾は海賊船の中央マストを直撃した。
着発信管が作動して、砲弾の金属片と木っ端微塵になったマストの木片が、死の嵐となって船上を荒れ狂う。
漕ぎ手という推進力を失った1番船は、直ぐに動きを止めた。
後部砲塔の砲手は、目論見通りに7番船の船底に着弾させた。
7番船は中央部で激しい爆炎を上げると、二つに折れて沈み始めた。
短時間の内に仲間3隻を失った海賊は、恐慌状態に陥り、統制が取れなくなっているようだった。
残った4隻は、櫂を操るにも手間取って、進む事も退く事も出来なかった。
ただ降伏する心算は皆無らしく、装甲艇に向けて火縄銃と弓矢を再び放ってきた。
海賊行為には厳罰が適用されるのが常法だから、降伏という概念が頭に存在しないのかも知れない。
その時、左舷で戦闘海域と反対方向の見張りを行っていた兵が「友軍機!」と声を上げた。
大井艇長が左舷上空に目をやると、2機の98式直共偵察機が押っ取り刀で駆けつけて来る処だった。
また、水上には高速艇隊が波を蹴立てて、こちらに向かって来ている。
大井艇長は、「撃ち方止め。」の命令を下すかどうか、一瞬判断に迷った。
海賊は、未だ降伏の意思を示さず、微力ながら反撃を行っているからだ。
しかし、彼が戦闘中止の判断に躊躇している間に、前部砲塔と後部砲塔が次弾を発射して戦闘にケリを着けた。
敵2番船と6番船が轟沈し、弾倉を代えた機銃塔が3番船を掃射すると、唯一無傷で生き残っている5番船の海賊は、楯と武器を海に投げ込み、呆けた様に座り込んだ。
大井艇長が「撃ち方止め。」の命令を下した時、装甲艇10号の上を、偵察機が機体を左右に大きくバンクさせながら飛び越えて行った。
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参考機材
チェッコ機銃
正式名称 ブルーノZB26軽機関銃
チェコ・スロバキア製
口径 7.92㎜
外貨獲得のために多くの国に輸出された
国民党政府も大量に購入し、国府軍の主力機関銃となる
装甲艇 機銃塔
搭載機銃 テ4×1
距離100mで11㎜の鋼板を貫通




