ハシマ30 ポルトガル船の襲来(予定)を骨の髄まで利用する件
「朝鮮国への返事は、急がなくとも大丈夫ですよ。」というのが、少佐の答えだった。
「揚子江の南で、鄭芝龍将軍の軍勢が、清国勢を押し上げて寧波を奪還し、南京を窺う勢いを示していますから。清国もそちらを放置して、朝鮮国経由で対馬に攻め入る余裕はありますまい。それに女真族の国である清は陸兵の国。海を挟んでの水上戦が必須となれば、対馬には食指が動きますまい。ただ、倭館からは女子供は退避させておくほうが良いでしょう。詰めさせておくのは、身軽に動ける男手の、それも必要最小限にまで減らしておくべきかと愚考いたしますな。」
それを聞いた武富さんが「それは初耳!」と驚く。「鄭将軍といえば明の遺臣で、しばらく平戸にも住まわれていた武将であらせられますな。」
平戸藩氏も「我が藩では、かの御方を知らぬ者はおりませんぞ。御子を成されたのも、我が藩に住んでおられた時でありますし。」
鄭芝龍は鎖国体制が進行する以前の、まだ平戸が対外貿易バリバリだった時代に、平戸藩士の田川七左衛門の娘マツとの間に、福松と次郎左衛門という二人の子供を作っている。
福松は父と一緒に大陸に渡って「鄭成功」になるんだけど、弟の次郎左衛門は平戸藩士になり、爺ちゃんの名を継いで田川七左衛門と改名している。
だから平戸藩の長崎番の人が鄭芝龍を知っているのは、不思議でもなんでもない。
ちなみに平戸藩と言えば、なんだか領地が平戸島と生月島限定の小さな藩みたいに思えるかもしれないけど、実際には長崎県北部の松浦半島方面や、五島列島の上五島の一部もその領地で、コメの石高こそ大きくはないが面積的には狭くない。(領地がアッチコッチに”とっ散らかって”いるから「支配」は面倒くさそうだけどね。でも海運は縦横無尽に行えるから、内陸の海無し藩より有利な面も有っただろう。)
ついでに対馬藩にも触れておくと、こちらの藩も島だけでなく筑後平野の鳥栖・基山付近や唐津平野の浜玉町付近に飛び地を領している。とっ散らかりぶりでは、対馬藩の方が上かも?
で、壱岐・対馬と一括りにされる事の多い壱岐島の所属はというと、対馬藩ではなく平戸藩なんだ。ややこしい!
だから対馬藩の「対半島政策」には、平戸藩も無関心ではいられない。半島からの日本侵攻がある場合には、対馬の次にターゲットとされるのは壱岐島であるのが、元寇や刀伊の入寇に見られるように歴史的事実だからね。
「平戸生まれの福松様でしたら立派に成長されまして、将軍格で一官先生(鄭芝龍)の右腕としてご活躍ですよ。」
早良中尉が眼鏡を押し上げながら補足する。「今では福州の唐王からも、覚えが目出度きご様子で。」
黒田一任様が、飄々とした早良中尉殿の発言を不思議に思ったようで、僕の横にスイと近づいて来ると
「あの御仁は?」
と耳打ちしてきた。
僕は、技術中尉の早良ですよ、と答えてから「奥村少佐の軍師みたいな知恵者ですね。柔らかな人当りで、声を荒げるような事は無い方なのですが、カミソリみたいに切れる人物です。」と付け加えた。
興味深げな顔で「技術中尉とは?」とヒソヒソ話に参加してきたのが鍋島安芸守さま。
「はあ、機械――カラクリのことですね――やなんかの新たな工夫を考案する部署、の組頭みたいな感じでしょうか?」
僕は技術科将校の役割を、そんな風に解説した。「まあ早良の場合には、それに止まらず、広範な知恵や工夫に関与しているようではありますが。」
「みってる様の懐刀でも、あられるようですしなぁ。」
武富さんがニヤニヤしながら感想を挟み込む。「御蔵の方々には、曲者が揃うておられる。」
安芸守さまは、予め武富さんから”みってる様”の事を聞いていたみたいなんだけど、一任様は初耳だったらしく「みってる様?」と怪訝そうな顔をした。
「やんごとなき御身分の白子の姫らしい、と耳にしておりますぞ。」と安芸守さまが一任様にヒソヒソ話。「見目麗しき姫なれど、賢き上に激しきご気性であらせられるとか。」
「ホウ、それはそれは。」と黒田家大老一任様は目玉を大きく見開くと「是非とも御目にかかりたいものじゃなあ!」と唸った。
僕が「大老様、もしかして太平の世になって、少しばかり御退屈しておられるのですか?」と耳打ちすると、一任様は微苦笑して「いやいや……世の中、なんというても太平が肝要。」と首を振った。
そして「片山殿、そう堅苦しゅうされずに『三左衛門』で結構ですぞ。この先、教えを乞うことが多かろうと存じますで、な。茶席にあるがごとく、平らかな主客のお付き合いを願いたいものじゃ。」とニンマリ笑った。
――ど、どうしよう?
この時、奉行所調役の牛込氏が居住まいを正して
「少々、確かめたき儀がござる。」
と気張った声を上げた。「御蔵様御一同は、何故そのように外国の事情に通じておられるのか。清国の動静は、長崎におれば漏れ伝え聞くこともございますが、明国が清国を押し返しておるなど、オランダ船のカピタンも申しておりませぬ。奉行所の誰一人として知らぬ話。」
そして”ねめつける”ような眼力で奥村少佐殿を見据えると
「まさか、外国と通じておられるのでは、ありますまいな?」
と短刀直入に切り込んできた。
職務に忠実な人である。
少佐殿は、真面目で職務に忠実な人間が大好きなヒトだから、猛獣が微笑むような顔になると
「ごもっとも、ごもっとも。奉行所で重職にあられるならば、当然の疑問でありますなぁ!」
と大きく頷いた。「但し、目の前の情報だけでは、この国を守る事は出来ませんぞ。ありとあらゆる手を弄して、裏の裏まで探らねば。」
そうして「早良くん、お話してあげなさい。」と中尉殿に意味ありげな目配せ。
早良中尉は軽く頷くと
「少佐殿から許可が下りましたので、ポルトガルに起きた政変の件、お伝えいたします。……これから語る事は重大な秘密を含んでおります故、なにとぞ慎重にお取り扱い下さいませ。」
と淡々と言葉を紡ぎ始めた。
「まず、長崎と対馬を経由する外国の情報は、長崎奉行所がそのほぼ全てを扼していると考えて良うございましょうが、それ以外にも琉球国を経由する情報と蝦夷の地より伝わり来るものがございます。」
これを聞いて薩摩藩氏がビクッと反応した。密貿易で莫大な利益を出しているという”噂”が絶えない藩だから、当然の反応かも知れない。
早良中尉殿は「いえ、ご安心下さい。貴藩に御迷惑が掛かるような事例ではありません。雲の上の方々が御心配めされているのは、我が国に仇なすやも知れない、遠くポルトガルとイスパニヤの争いの話なのです。」と薩摩藩氏を安心させると「今から数えて4年前、長らくイスパニア王の下に雌伏していたポルトガルが、イスパニア貴族を国から追い払い、新しくポルトガル王を立てるに至りました。」と続けた。
1637年のマヌエリーニョ反乱に始まる、1640年の『喝采革命』だ。この時からポルトガルは再独立を果たしプラガンサ朝ポルトガルとなる。
「その新ポルトガル王国なのですが、国力が充実してきた今、再び船を日本に差し向けようと動いております。そう、2年か3年の内に、必ずやポルトガル船は長崎までやって参りましょう。」
ポルトガルが日本との交易で手に入れたい物品は、金銀と日本人奴隷だ。
太閤秀吉がポルトガルとの交易で激怒するに至ったのは、キリシタン大名が日本の土地を寄進したこともあるけれど、ポルトガル船が日本女性を奴隷として購入していたのが大きい。
だから秀吉ー家康ラインで、新教徒のオランダとの貿易は残したのにも関わらず、ポルトガル船は日本から追放となった。
その後、ポルトガルが貿易再開の使者を差し向けて来た時には、一部の(船がマカオに戻るに必要な)船員を除いて使節団を処刑している。(1640年)
この次に彼らが長崎に姿を現すのは――歴史通りに物事が動くのならば――1647年の『予定』だ。
「この秘事を知悉しておるのは、天朝様と幕閣の最上位にある者のみ。」
少佐殿は生真面目な顔に戻ると「長崎奉行所では、そう……御奉行の山崎殿でさえ、ご存じないかも分かりませんなぁ。」と現長崎奉行 山崎正信の名前を出して、念を押した。「お疑いであるならば、急ぎ江戸に確認の使者を出すのが宜しいでしょう。」
長崎奉行は遠国奉行最上位であるとはいえ、刑事事件に関する決定権は、非常に限られている。
何事も老中への報告が必要で、独断専行することは許されていない。死罪に相当する犯罪者を捕縛しても、江戸へ問い合わせてその”お沙汰”が下らぬ限り、執行は出来ないのである。
使者の往復には3ヶ月ほどは必要で、その間、仮に犯罪者が病死してしまったとしても、死体を塩漬けにして「生きたもの」として保存し、埋葬も火葬も出来なかったという笑えないハナシが有るくらいだ。
「ただ、それでは急場の役には立ちませぬ故、予想より早くにポルトガルの軍船が来襲するのに備えて、我々御蔵勢が遣わされたのです。我が火砲を以てすれば、ポルトガルの軍船なぞ赤子の手を捻るようなものでありますから。」
早良中尉殿が眼鏡を押し上げながら、淡々と述べる。
その驕らない淡々とした口調が、余程の凄みを感じさせたらしく、牛込さんはゾクっと背筋を震わせた。
「いやいや、ただ待って、無駄飯を食っているだけでは詰まりませんからナ!」
奥村少佐殿は空気を換えるように快活な声を出すと「じゃあ、そのヒマに石炭でも掘っていようか、せっかく我が精鋭を動かすならば、と洒落ておるわけですよ。……武雄神社の御神託もある事ですし!」
少佐殿の発言を受けて「石炭の採掘は、我が国を富み栄える役にも立つから、一石二鳥でもありますしね。」と早良中尉殿も頷く。
「なるほど、端島の石炭掘りは、御蔵殿にとっては余技でござるか!」
こう割り込んできたのは大老の一任様――今や僕にとっては三左衛門さんなワケだけど……。
「この石炭、我が領にもございましょうや?」




