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ハシマ29 対馬藩氏の懸念の件

 「自分が端島開発隊の責任者、奥村です。」

 少佐殿がイカツイ顔に笑みを浮かべて敬礼する。「石炭の島へ、ようこそ。」


 少佐殿は精一杯親しみやすい表情を作ろうとしたのだろうけど、時代劇で出てくる”悪巧みをしている悪漢”のよう……。さもなくば、腕利きだけど癖の強い用心棒、か?

 少佐殿の後ろで、各種重機が『ぐおおおお! ごああああ!』と土煙を上げていることも相まって、見方によっては怪物を手下に、余裕の笑みを浮かべる魔王か鬼神のように見えなくもない。

(ホコリの舞い上がりが酷いのは晴天続きで地面が乾燥しているためで、工事そのものは散水機が水を撒いて、出来るだけ土埃が上がらないよう、気を付けて作業が進められているのは、僕たち「未来から来た者」たちには一目瞭然、良く分かっちゃいるんだけどね。)

 少佐殿は無理に笑顔を作らずに、ただ苦虫を噛み潰したような顔をしていた方が、むしろ平穏だったんじゃないだろうか……。

 ちょっとだけ前には「もっとニコヤカに!」なんて考えていたことを棚に上げ、僕は心の底からそう思う。なんだか少佐殿の愛想笑いというヤツは、慣れないせいか、その……凶悪に見えるんだよ……。


 長崎役人氏が、小さく「うぉ」と声を出し、立花少尉殿の陰に逃げる。

 与力の二人も、ジリッジリッと後ずさりしながら足元を固めている。(腰に寸鉄帯びていないのが、心細いのかもしれない。)

 この三人、先ほどまでは立花少尉殿に対してもビビっていたみたいだったのだけれど、”少佐殿の微笑み”は、そのインパクトを上回ったらしい。

 立花さんも、ちょっと優しい口調で「平気ですよ。見かけほど怖いヒトじゃないですから。」なんてフォロー入れているけど。


 ツアー参加者側からは、誰が最初に口を開くのかな~? やっぱり豪傑肌の一任様か、それとも古狸の武富さん? なんてことを考えながら事態の推移を眺めていたら、意外にも対馬藩氏が口火を切った。

「やっ、やっ! お初にお目にかかり申す。拙者、対馬藩に籍を置く小役人でござる。」

なんて具合に。


 対馬藩士と言わずに、対馬藩に籍を置くって言い方をしているところを見ると、対馬藩氏は代々禄を食んでいるお武家じゃなくて、一代限りの”お雇い”なのかも。(いや、勝手な推測なんだけどね。でも対馬藩では実際に職能系の雇人が多かったというから、あながち間違ってはいないかも。)

 そして対馬藩氏は

「片山殿に御伺いしたのでございますが、少佐殿は南蛮船を指一本で打ち払うほどの力をお持ちであるとか。」

なんて事を言い出す。

 まあ確かに、そんな説明をしたことはしたよ?


 奥村少佐殿は、更に凄い笑顔になって「ほう? 片山が、そんな事を?」と問い返す。

 うわ、ちょっと待ってよ。対馬藩氏、なんで僕を巻き込むかな……。


 「ご存じの事とは思いますが、我が藩は微妙な場所に位置しておりまして。」

 対馬藩氏は少佐殿の”微笑み”にも怯むことなく、話を続ける。

 「対馬の北方、釜山の地には『倭館わかん』という交易所がございます。朝鮮国からは、『清国と早うよしみを通ずべし』との助言が参っておるのです。」


 ふむ。対馬藩氏が言っているのは豆毛浦倭館の事らしい。歴史の参考書に出てくる通称「旧倭館」って施設だ。


 もともとクーデターで高麗王朝を打倒して成立した朝鮮国は、明に国名を決めてもらったことからも明らかなように、明の冊封国だった。

 豊臣秀吉の『唐入り』では、日本勢の大陸への通過を認めず主戦場となったが、秀吉の死去により日本勢は撤退。

 両国間の終戦処理は、1603年に征夷大将軍となった徳川家康との間で、1605年から和議交渉が始まっている。(和議の成立は1607年で、2代将軍の徳川秀忠の時。まあ通信使の交換なんかで時間が掛かったわけだ。)

 通商なんかの交流が軌道に乗るのは、1609年ころ。倭館が出来たのも、たぶんこのあたり。

 日本~朝鮮間では戦争が終わったわけだけど、日本でも朝鮮でも直ぐに別の戦争が始まる。


 まず日本だが、豊臣・徳川間の最終決戦である『大坂の陣』。(冬の陣が1614年で、夏の陣が1615年。)


 次に朝鮮の方では、明対後金(清)の戦争だ。1618~19年の『サルフの戦』である。

 このサルフの戦というのは、明が後金攻略を目指したいくつかの戦闘を含んだ戦争の総称であって、代表的な戦闘がサルフ山近郊で行われた戦闘ね。

 明軍の同盟軍としてこの戦争に参加した朝鮮軍は、姜弘立が率いる10,000の遠征部隊。フチャという場所に陣を張っていたのだけど、損害を受けて後金(清)に降伏している。


 で、この姜弘立という将軍なんだけど、後に清国軍の先導となって朝鮮に攻め込む。

 1627年の『丁卯胡乱』がそれだ。”胡乱”というのは朝鮮側のこの戦争の呼び名。(清国側が自分のことを”えびす”呼ばわりするわけはないからね。)

 丁卯胡乱で半島に進撃した後金側総兵力は30,000と少な目。動員兵力が中途半端なのは、後金は明との戦争を継続中だから、対半島戦に大きな兵力を割くことが難しかったからだ。そんな背景があるのにも関わらず、朝鮮は国王が江華島に逃亡した上、漢城(現ソウル)を占領されて降伏。明との同盟・冊封関係を断つことを約束させられる。


 丁卯胡乱で「後金を兄、朝鮮は弟」であることを約束させられた朝鮮王朝だが、その後も明と清の間で日和見的な立場を採用。今をトキメク「ツー・トラック外交」のハシリってやつでしょうか。けれども1635~36年ころに宮廷内の政争によって親明勢力が実権を掌握。反清政策を採り始める。


 当然、清のホンタイジは激怒。1636年から対朝鮮進攻準備を始め、37年初頭に128,000の兵力で攻略戦をスタートする。動員兵力は前回の4倍以上。これが『丙子胡乱』と呼ばれる戦争だ。

 朝鮮国の親明政権は、対清戦争に備えて徳川幕府に援軍を要請しようという動きもあったみたいなのだけど、これは実現しなかった。仮に正式要請があったとしても、1636年といったら長崎に出島が完成して鎖国体制が完成しつつあった時期だから、対外戦争への援兵要請には、幕府は応じなかっただろう。37年末からは、江戸時代最大級の反乱である「島原の乱」も起こっているような国内情勢だし。

 (ただ、明朝復興を目指す南明が、日本乞師の使者を送って来た時には、徳川宗家は乗り気ではなかったが、紀州徳川家をはじめとする御三家や、薩摩藩は興味を示したし同情的でもあった。これは単に同情だけから来るものではなく、戦国の世が終わって国内にダブついている”浪人”という名の戦闘経験者の雇用対策となるとも考えられたからだ。だから丙子胡乱の前に、朝鮮国が正式に援兵要請をしていればワンチャンスは有ったのかも知れない。)

 朝鮮国が迎撃態勢を構築しようとマゴついている間に、清国軍は早くも開城(ケソン=高麗朝当時の首都)の防衛ラインを突破。前回の戦役では江華島に退避した朝鮮国王だが、今度は避難する間も無く漢城が陥落し、朝鮮国は清に降伏して冊封下に編入されてしまう。


 だから江戸幕府としては、明国冊封下の朝鮮国と講和して通商関係を結んでいたのにも関わらず、相手がいきなり清国の冊封国に変わっちゃったわけだ。で、江戸幕府と清の間には国交が無い。朝鮮側から清と国交を結ぶよう助言(?)されても、外交上の決定を下すのには圧倒的に情報が質量ともに足りない。

 しかも通商関係が回復していた明国は、1644年に順から首都を占拠された上に清の猛攻を受けて、残存勢力が辛うじて温州以南に割拠しているという状況だし……。

 頼みのオランダ船経由の情報も、遅いし大陸北方の情勢に関しては不確実だしね。

 (実は御蔵勢と福州・温州軍によって、南明朝が寧波まで清国勢力を押し返しているなんて情報は、日本どころか朝鮮国にだって伝わってはいないんだ。対馬藩が倭館経由で朝鮮側から情報を仕入れ、その主張をどう中央政府に伝達するかについて苦慮しているのかは、想像に難くない。朝鮮国内では、親明勢力は粛清されてしまっているわけだし。仮に対馬に亡命者が来ていたにしろ、彼らから得られる情報は、一方的な主観に満ちた情報であるのは疑いが無いだろうから。)


 「倭館の者たちの話を聞く限り、明は最早もはや滅んだも同然。朝鮮国の者の申すには、女真の民は剽悍ひょうかんこの上無き、とのこと。早よう清国と何らかの約定を結ばねば、三度みたびの元寇に見舞われるやも知れませぬ。」

 対馬藩氏は、こう述べると「いや、次に有るとすれば元寇ではなく、清寇ということになりますか。」と薄く笑ってみせた。「清の軍勢が博多にまで達すれば、如何に剽悍と言えども、西国諸藩の軍勢によって返り討ちでござろうが、通り道に当たる対馬は酷い目に遭いましょうからなぁ。」


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