ハシマ25 端島見学ツアー開始前にもかかわらず、いろいろとヤヤコシイ事が重なる件
「それでは皆様方、お召し物を脱いで、こちらに御用意いたしました服と履物とにお着換え願います。大きさの合わない方がいらっしゃいましたら、遠慮無くお申し出下さい。特に足袋は、サイズが合わない場合には足指を痛める元となりますので。」
高島に接岸した特大発の歩板が下りると、作業衣袴姿の岸峰さんが姿を現し、見学会参加者に呼びかける。
見学会参加者は、総勢20名。
特大発には人間――完全武装兵――なら120人は詰め込める設計なのだけれど、一度に120人も連れて行ってしまうと、端島の採掘現場が混乱するかも知れない。
(どんなトコロにでも、注意事項を守らないでウロウロしだす、野次馬精神旺盛で御茶目な人物って混じっているものだからねェ。)
だからツア・コン役を引き受けてもらったキレイドコロ四人衆、岸峰さん・石田さん・立花少尉殿・雪ちゃんが、それぞれ5人ずつを担当できるとして参加総数を算出している。
(混ぜると危険! なスミス准尉=ミッチェル大尉=須美さまには、当然のことながら御遠慮願っているのは言うまでもない。大尉殿の知能・知識・統率力・処理力の高さは疑うべくもないんだけど、敢えてトリックスターに御登場願うまでもない――どちらかというと穏やかに何事も無く粛々と進めたい場面――であるからだ。)
ちなみに、先ほど唐突に僕が発砲してみせたのも、計算ずくの事である。
隠れ里に住まう『さるやんごとなき御方』の秘密の侍従(僕だ)や侍女ならば、大刀など物ともしない不思議系武器を身に着けていることを、目にもの見せつけてやるのが、頭の固い幕府役人の度肝を抜くのに宜しかろう――というのが”チェシャ猫”武富さんのアイデアだったからだ。
まあ、そんな前提が有っての、これ見よがしな土下座だったというわけだ。
どのタイミングで発砲してみせるのが良いのかは、「ま、流れを見た上で。」と詰めるところまでは行っていなかったわけだが、あの後「どんピシャ。」と江里口さんがコッソリ耳打ちしてくれたので、間違いではなかったみたい。
キレイドコロ四人衆の作業服の腰には、拳銃のホルスターが吊ってあるから、ツアー参加者が彼女らの美しさにクラクラきたとしても、セクハラほか無礼な行為には出ないだろう。
「選に漏れた方々は、番所と寺とに分かれて、暫しお寛ぎ下されぃ。茶など用意致しましたゆえ。」
江里口さんが遠見番所の役人と共に、千石船から上陸した一群を、桟橋から村落部へ誘導する。
お茶うけは、まだこの時代の長崎では一般的でないサツマイモのボイルだ。
焼き芋にしたかったところなんだけど、アルミホイルが無いと熾火に埋めても黒焦げになりやすい。砂利石を焼いて中で遠赤外線処理する所謂「石焼芋」にするのも、何回かは経験してからでないとコツが分からずに失敗し勝ち。
その点、大鍋で茹で上げてしまえば間違いが無いし、冷めても美味しいからね。軽く粗塩を振って召し上がってもらおうという段取りである。
サツマイモは昨日の宴会の残りなのだけど、甘くてホクホク美味しいからイモ自体のPRも兼ねている。種芋を欲しがる人も出てくるのは間違いない。
去り際に江里口さんは、キッチリと僕に敬礼を寄こしてニッと笑った。
福岡藩大老 黒田三左衛門(黒田一任)殿は、興味深げな表情で特大発に足を踏み入れると、思い切りよく下帯ひとつの裸になって作業衣袴の上下を身に着けた。
それから特大発の床に胡坐をかいて地下足袋を履く。
安全のためには皮の軍靴の方が上なんだけど、編み上げの靴紐の結び方を学んでもらうヒマが無い。
同様にゲートル巻きも省略だ。
普通なら小姓か配下か下僕かが付き切りで世話をするのだろうけど、「お手伝いいたしましょう。」という岸峰さんの申し出を
「なんの。戦場に出れば、自分のことは自分でやらねば不覚を取るもの。夜駆けに遭うて、下奴がおらんで武具も身に着けれず、首を獲られたではハナシにもならぬ。」
と歴戦の猛者らしく、笑って断った。「初めて目にする衣服ゆえ、多少の戸惑いがあるのは確かじゃが、うむ、悪くない。動き良うて、存分の働きが出来そうじゃ。」
やっぱり修羅場をくぐったことのあるベテランって、なにかと恰好が良い。
大老殿は脱いだ着物も自分でたたみ、用意されていた厚紙の箱にそれを仕舞うと、腰のベルトに大小を差し込んだ。
次いで両足をタンタンッと踏み鳴らし「なんと良い履き心地じゃ! これならば千里の道でも歩けそうじゃのぉ。」とゴム張りの地下足袋にも満足いただけたようだ。
VIPであり実際に一番槍の軍功に輝いたことのある黒田家大老が”こう”だから、これまで戦場に出たことがない他のお侍たちもウルサイことを言えなくなっちゃったみたいで、みんな黙々と着替えを進めている。
若いころに「常在戦場」の心得を叩き込まれているせいか、年配の人ほど、むしろ新奇な衣服に対しての馴染みが早い。
お侍って保守的なイメージが(僕の中では)強いんだけど、そうと決めつけたものでもないようだ。
考えてみれば、雪ちゃんの親父さんの小倉藤左ヱ門さんも、進取の気概に富んだ人傑だったし、サムライという職種は『古きを尋ねて』ばかりでは取り残されてしまうばかりなんだろう。
逆に言えば、新しい戦争を回避(というか阻止?)するために、江戸幕府が新規技術の開発を禁止するのだけど、それ以前は信長にしても他の戦国武将にしても、大きく領土を広げた勢力というのは武装であるとか戦法であるとか、何かしら革新的な部分を持っていたのは疑いのない処ではあるわけだし。
ただ皆が次々に着替えを済ませていく中で、奉行所調役下役の、本所さんという若い旗本さんがどうにもブキッチョみたいで、雪ちゃんが付き切りで服を着せボタンをはめてやっている。
可愛い雪ちゃんが身を接するように「ここは、こうなさいませ。」と至近距離で手伝っているものだから、血気盛んな”お年頃”である本所さんがパニクっている可能性も無くはないけど。
真面目人間である調役ボスの牛込氏がその不甲斐なさに、横からアアセイ・コウセイと本所さんに言うものだから、可哀そうに顔が真っ赤だ。
慣れないこと・初めてのことに戸惑うのは、特に恥でもなんでもない、と思うんだけど。(ただし本所さんが、仮に雪ちゃんに手を出そうとしたら、保護者権限で介入させてもらう心算だけどね。)
見かねた鍋島安芸守さまが
「いやさ調役殿、初見ゆえ物慣れぬことはござろう。」
と割って入ると、さすがに牛込氏も言い過ぎたと感じたのか
「これは、お見苦しいところを。」
と安芸守さまに頭を下げた。
で、話題と場の空気とを変えようとするような感じで、腰の大小を外すと石田さんに
「これより向かう端島の”現場”とやらは、剣など通用せぬ場所、と見受け申した。お預かり頂きたい。」
と手渡した。
――なんだ、牛込氏。頭が固いヒトかと思ってたら、実はスゲェ解っている人じゃん!
石田さんは「お預かりいたします。」と両手で刀を頂くと、絹布の長風呂敷に包んでリヤカー上の大箱に載せる。
すると武富さんが「やあ、これは思い切った御決断。しかしナルホド、言われてみればその通り。拙者も習い申す。」と石田さんに同じく大小を手渡す。
その流れにウンウンと頷いて、黒田大老さまと安芸守さまも続いたので、牛込さんは面目を施したようだ。
「一足先に行ってるよ。こっちでの事は、途中、無線で中尉殿に知らせておくから。」
篠原艇長殿はそう言い残すと、乙型艇で先発した。
高島の浜に乗り上げている特大発は、歩板を上げた後に両側の錨も巻き上げなくちゃならないから、逆進をかけて海に乗り出すまでには高速艇より手間が掛かる。
その間を利用して、僕はツアー参加者に救命胴衣の装着をお願いするという段取りだ。
「え~皆様。この救命胴衣という装備は、万が一、誤って水に落ちた時や船が沈んだ時などに、身体が水に沈むのを防ぐ浮きの役割をする胴着です。これから船で端島に向かいますので、念のための保険として身に着けて下さい。」
僕がここまで喋ったところで、鉄板の歩板が上がり始めた。ごいんごいん、ガリガリと結構ウルサイ。
次いで錨の巻き上げも開始されたみたいで、特大発艇の後尾からもガラガラ・ガラガラっと騒音が響きはじめた。
ツアー参加のお侍たちは、何事ナランと色めき立って、中には既に外している腰の刀(が有った場所)に手を遣っている人もいる。
牛込さんが先頭に立って、皆が刀を預けていてくれて助かった!
「皆様、落ち着いて下さい。艇長が機械を操作して、歩板と錨の巻き上げが始まっただけですから。」
僕が慌てて説明すると、立ち上がって周りをキョロキョロ見回していた安芸守さまが
「なんと! 水夫や人足を使わずして、重き錨が上がるのか。」
と投錨機のモーターが回っているのを見つけた。
「はい。轆轤を回して重い物を持ち上げるのは同じなのですが、轆轤を回す作業をカラクリに命じているという寸法です。」
「う~む。」と首を捻ったのが牛込さん。「して、そのカラクリは、どのような力で動いておるのか、お教え願えないだろうか。」
「儂も訊きたいのう。」と牛込さんに同調したのが大老さま。「牛馬が引いているわけでもなさそうであるし。」
「電気というイカズチの気により、轆轤を回しております。」
僕は以前、北門島で藤左ヱ門に説明した時と同じく、電気の基礎の基礎について説明する。
だけど時間が限られているものだから、いきおい端折った説明にならざるを得ない。
まあ、電池と懐中電灯という『現物』を見てもらって、何となく”そういう力”が存在はするんだな、という一点は納得してもらえたみたいではあるんだけど……どこまで本音で信じてもらえたのかどうかは分からない。
だからイカズチの気の説明を終えて、本題である救命胴衣の装着方法について解説を再開する時には、特大発は既に座礁状態を脱して海原を快調に飛ばしていた。




