御蔵島沖遭遇戦 1
艇長の小林は、湾内に胡麻粒の様に散らばっている他の小型舟艇群に注意しながら、高速艇甲「104号艇」を操っていた。
舟艇群は、御蔵港及び御蔵湾の測深を行っているのだ。
表面上は、島が瀬戸内海に有った時と同じように見える海面だが、島が支那沿岸にまで移動してしまった以上、海底にも異変が起きて、未知の暗礁が存在しているかも知れない。
中・小型船舶はともかく、舟艇母船や油槽船など、喫水の深い船を運用するためには必要不可欠な作業と言えた。
幸いにも、小林の乗る高速艇甲には自動測深器が備えられているが、自動測深器の無い小発を操っている兵は、目盛り付きの紐に結んだ錘を投げ込む昔ながらの方法で測鉛を繰り返している。
今のところ、暗礁の存在は確認されていない。
海は凪いでいるが、付近を航行する大型船は無い。
時折、御蔵空港から飛び立った偵察機が哨戒飛行をしているのを見かけるだけで、御蔵島だけが世界から「置いてけぼり」を食らった様な感覚を覚える。
「艇長殿、司令部から連絡です。」
通信士がメモを携えて報告にやってきた。
高速艇甲には、元々はマルコーニ式通信機が装備されていたが、エンジンを動かしていると受信が出来ないという欠陥品であったため、アメリカ陸軍式のVRC送受信機に換装されている。
「報告しろ。」
「『御蔵島北西方面から、所属未確認の帆船7隻が接近しつつあり。偶数番の高速艇甲は臨検を行い、帆船の詳細を確認されたし。』です。島の北西方面で哨戒中の装甲艇10号が、不審船接近の連絡を寄こした模様。」
「ああ、『104号艇、了解。測深作業を中断し、臨検に急行す。』だな。」
「了解。司令部に返信します。『104号艇、了解。測深作業を中断し、臨検に急行す。』」
「よし。」
高速艇甲は定員4名の小型艇だ。
艇長、機関士、通信士、甲板員各1名の小所帯だから、普通はこんな形式張ったやり取りを行う事は無い。もっと気の置けない物言いをするのが常態だ。
異常事態のせいで、皆、緊張しているようだな、と小林は感じた。
「おーい。島の北西方面に、所属不明の船が接近中だ。作業を中断して臨検に向かう。」
小林は、操舵室から顔を出して大声を上げた。
「うぉーい!」
甲板で衝突防止の見張りを行っていた、甲板員と機関士が了解の返事をよこす。
小林は、そろそろと102号艇の舳先を湾外に向けた。
周囲を見渡すと、102号、106号、108号、110号と、偶数番の高速艇甲が湾外に移動し始めている。
臨時編成の5隻の高速艇隊は、一時的に艇番の若い102号艇の指揮下に入る。
小発や高速艇乙は、そのまま測深作業を続ける模様だ。
港内の混雑から抜け出すと、高速艇甲は本来の能力を発揮して、高速滑走に入った。
小林の104号艇は、102号艇を追尾する。
35ノットで滑走する艇の後ろに海水が沸き上がり、長い航跡を残す。
乗員は、それぞれ自分の武器の点検を行っている。
高速艇甲には、固有武装は無い。
武器は各人が持っている小火器のみだ。
艇長の小林は、ト式機関短銃を装備しているが、他の者は使い慣れた38式騎銃を持ちこんでいる。
38式騎銃は軽くて扱い易く命中率も良いが、38式小銃と同じくボルトアクションの小銃だ。
速射性は、米式装備のM1小銃やM1カービンに劣る。
機関短銃は、至近距離での制圧力は大きいが、拳銃弾を使用するために遠距離での命中率に難が有る。
小林は、乗員にはM1小銃を持たせておくか、軽機を持ち込んでおくべきであったかと、ちらりと思った。
「左舷前方の島から煙!」
装備の点検を終えて見張りに戻った機関士が声を上げる。
先ほどから、煙が立ち上っているのを、小林も気付いていた。
風が無いから、煙はほぼ垂直に登っている。
「何だろう? 火事かな。それとも、狼煙でも上げてるんでしょうか?」
甲板員が不審げな声を漏らす。
島の漁船相手にだとしても、狼煙のような環境に左右されやすい非合理的な方法で、合図を送る事など考えられない。
それとも支那の漁村では、未だに無線を使わずに、昔ながらの方法で合図を送っているのだろうか?
確かに日本でも、老漁師が一人二人で操るような、沿岸漁業の伝馬船には無線機を載せてはいない。
「前方の島からも、狼煙!」
甲板員が大声で報告する。
前方の小島からも、黒い煙が上がっている。
これで、島から上がる煙が狼煙であることは、ほぼ間違いが無くなった。
御蔵島周辺の島々には、何の目的かは不明だが、監視が配置されていて、狼煙台で連携を取っている。
島に中華民国政府の権限が及んでいれば、交渉が成り立つかもしれないが、匪賊や海賊の類であれば、敵対行為を取ってくるかもしれない。
5隻の高速艇隊は、哨戒位置から装甲艇10号の元に向かっていると思しき装甲艇3号の横を通過した。
装甲艇3号も狼煙に気付いており、後部砲塔と銃塔を横に回して島の方に向けながら、警戒しつつ前進している。
装甲艇の甲板で見張りをしている兵が、こちらに向かって大きく手を振る。
104号艇の甲板でも、手を振り返す。
高速艇甲と装甲艇では、速度にして50㎞/hほども差が有るから、高速艇群はたちまち装甲艇3号を追い抜いて、装甲艇10号との会合地点を目指して前進して行った。
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登場機材
高速艇甲(HB-K)
日本陸軍の偵察・連絡用舟艇 木製モーターボート
速度 37ノット(69㎞/h) ガソリンエンジン
艇長 14.4m
重量 7.2t
乗員 4名 (兵8名乗船可)
固有武装 無し
高速艇乙(HB-O)
日本陸軍の連絡用舟艇
速度 16.5ノット(31㎞/h) ディーゼルエンジン
艇長 11m
重量 5t
乗員 4名 (兵10名乗船可)
固有武装 軽機関銃×1(艇首)
重機関銃×1(非常設 屋上に増設可)
装甲艇(AB艇)
日本陸軍の上陸支援艇 6㎜厚の装甲で覆われている
艇上の銃・砲塔は計3 初期型は砲塔×1 銃塔×2
本作品登場分は、砲塔×2 銃塔×1の後期型とする
速度 11.5ノット(21㎞/h) ディーゼルエンジン
艇長 15.5m
重量 17.5t
乗員 13名
固有武装 57㎜砲×2(97式中戦車「チハ」の搭載砲と同等)
機銃×1
38式歩兵銃
口径 6.5㎜
全長 128㎝ 着剣時 166.6㎝
重量 3.95㎏
射程 3,000m
装弾数 5発
38式騎銃
口径 6.5㎜
全長 97㎝
重量 3.4㎏
射程 2,000m
装弾数 5発




