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それぞれの思惑(温州軍)4

 顧炎武とは反りが合わなかった関仁だが、何故だか黄宗義とは馬が合った。

 詩人でありながら黄宗義が、峻烈しゅんれつな理想主義者の顧炎武よりも、より現実主義であったからだろう。


 黄宗義は関仁との間で考え方に差がある場合でも、『○○で、あらねばならぬ』と頭ごなしに否定するのではなく、『なるほど、物の見方にはその様な考え方もあるのか。それは面白い』と、その差異に興じた上でゆるゆると議論した。

 これには動物的な直感での戦闘指揮に秀でた関仁も感じ入ってしまい、歴代王朝の歴史や大陸の地史を黄宗義から学びながら、ついには彼をを先生と呼ぶようになった。


 このような事態になった理由は、寧海で鄭芝龍軍と合流した後、泰化への行軍中は彼らが陣中にあるとは思えぬほど戦闘に参加できなかったからだ。要は、ひまだったのである。

 別に鄭芝龍から冷遇されていたわけではない。

 御蔵勢と連携している福州水軍は、その手配りの抜け目の無さから、陸上部隊の進軍速度を上回る快速で、清国側拠点を次々と抜いてしまっていた。しかも宿営地となる場所には、陸路を辿る部隊のために飯を用意しておく手際てぎわの良さ。

 重い兵糧を担いで進む必要も無く、戦場の村から里人を脅して米麦を徴発する必要も無い。

 馬上で、遠く御蔵の凧が蒼空を飛翔するのを目にしたり、船から放たれたとおぼしき炸裂弾によって轟音と共に火柱が天中に沸き立つのを目にする事はあっても、関仁たちがその場に至った時には既に戦が終わってしまっているばかり。

 敵兵と干戈かんかを交えることもなく、歩いては飯を食って寝る。そしてまた歩く、の繰り返しであった。


 「なるほど。これが大海商の戦ぶりでございますなぁ。いや実に面白い。戦となれば民から絞ることしかしなかった歴代の明の将軍とは、あきらかに違うておりますぞ。」

 黄宗義は鄭芝龍をそのように評した。「商人」という評価は、専業の武官とは違っているという肯定的な気分の表れであろう。

 「車騎将軍の手腕は誠に見事とは感じますが」と関仁には少しばかり不満な所もある。「敵地の民や降兵に、ちょっと甘過ぎではありますまいか? 明に叛いて清に降った者どもでありましょうに。」

 「うむ、うむ。たしかに、そう云った考え方も出来ますなぁ。」黄宗義は、頭の中で相手の意見を多方面から検討してみる作業を先ずは進めてみるから、初めに返す言葉は肯定とも否定ともつかぬ慎重なものになる。そして「まあ、そむかれるには背かれる理由が無ければ、相手も好んで背くような事はしないだろう、と考えることも出来ましょう。」と考えるヒントを提示する。

 一見、茫洋ぼうようとした発言のように見えるのだが、黄宗義の脳は激しく回転しているのである。

 すると関仁も「ああ、そう言われてみれば、明国の治世は上に緩く下に厳しい、クソ面白くもない世の中でありましたか。それに民を守らねばならぬはずの上の者が、民を置き捨てて逃げたり、率先して清に寝返ったりしたのでござったな。……たしかに民や降兵を責めるわけにもいきますまいな。」と思い当たる。「楽しく励みのある世であれば、命に代えても守らねば、と皆が腹もくくりましょうが。」

 「関将軍のお考えは、ごもっともだと自分には思えます。……で、あるならば、明国再興の後には、民が楽しく働けるよう、世を変えていかなくばならないであろうと考えることも出来ますなぁ。二度と失うことの無い、と皆が心に誓うような。」

 誘導による意識付け、を黄宗義は用いた。矯正や強要臭が無いだけに、黄宗義の言葉は関仁の胸に響いた。


 泰化に達した関仁の隊は、福州軍(鄭芝龍軍)と共に包囲戦に参加する事となったが、車騎将軍が力攻めを嫌ったために、戦場に居るとは思えぬ、割と平穏な日々を過ごしていた。

 船を介して補給品は潤沢に届けられるので、対陣に汲々としたところは無い。むしろ後続兵団が陸続りくぞくと到着して包囲軍の士気は弥増いやますばかりであった。

 そのためか、黄宗義も関仁に連れられて鄭将軍に拝謁し、高名でありながら気さくな将軍から親しく言葉を掛けて貰う機会に恵まれた。

 黄宗義は自分が義兵を挙げた時から『日本国に使いし、清国打倒の助力を乞う』という腹案を秘めていたのだが、予想よりも早くにその事が達成されているのを車騎将軍に寿ことほいだ。

 だが将軍からの返答は微苦笑混じりの意外なもので

「我らは確かに御蔵勢から強力な助力を得ているのだが、御蔵勢は徳川将軍が寄こした軍勢ではないようなのだ。」

というものだった。「意外にも”新倭寇”という――我が国を侵す賊だという見方としては誤った見方なのだが――命名が、事の本質を捉えているように見受けられる。彼らは、なんというか『異質』な集団なのだ。」

 鄭芝龍は黄宗義に翠光丸すいこうまるに乗船した経験を詳細に話すと

「これほどまでに新しい世界に興奮した経験は今まで無かった。」

と結んだ。

 聴いていた黄宗義と関仁にも、その感激は正しく伝染したのである。


 城を囲んで数日後、泰化の守将は門扉を開き明に降伏した。

 御蔵の凧が空から撒いた『寧波城消滅』の宣伝文を読み、抵抗の無意味さを悟ったからである。

 入城した車騎将軍は、降将をねぎらい、一支隊を寧波に向けて進発させると全軍に再編成と一時休養を命じた。

 その間、黄宗義は鄭芝龍に乞われてその元におもむくと、鄭隆配下の文官と協力して泰化と象山の民政をるよう要請されている。

 黄宗義の暫定的な上役(であり実質的には門下生となっていた)関仁も

「先生の目指す世を作る、これは第一歩になると思しき実験ではありますまいか。」

と熱心に薦めたから、黄宗義はその申し入れを受け、郷党を率いて任にあたった。


 寧波に派遣した支隊が帰陣し、鄭芝龍が進発することになると、黄宗義の手腕を認めた芝龍は彼に戦場ではなく民政の場で力を振るうことを勧め、鄭隆隊の典隊長を補佐して民を安んずるよう話を持ち掛けた。

 落ち着きつつある泰化・象山に加え、寧海まで面倒を見て欲しい、と云うのである。

 関仁は短い間ではあったが濃厚な時を過ごした『師』との別れを惜しんだが

――先生の手腕は、戦場にあるよりも平時でより大きく発揮出来るであろう。また戦場に居れば、思わぬ流れ矢に遭うことだって考えられる。先生が戦の最中さなかに命を失うようなことがあってはならぬ。

と考えたから、車騎将軍の申し入れを受けるよう熱心に口説くどいた。


 黄宗義は寧波を降した後に、天台から上虞に進軍するであろう魯王軍(と顧炎武)に再び合流する未来を思い描いていたのだが、自分に好意的な二人の実力者の勧めを最終的には受諾した。

 関仁は「戦が終われば、自分は武の道を離れて先生の弟子になります。鋤鍬すきくわ担いで、先生の御供を致したく。そのときには、宜しくお願い致します。」と別れを惜しみながら去って行った。


 新たに黄宗義と組むこととなった典という武官は、関将軍と同じくいかつい見かけながら、関仁よりも教養のある人物だった。

 彼が師事している鄭隆という切れ者は、車騎将軍の縁続きながら、それを表に出す事の無い慎み深い若者らしい。

 聞けば、弘光帝を陥落寸前の応天府から逃したのも、御蔵勢との同盟を結んだのも、魯王と唐王との仲を取り持ったのも、この「雛竜先生」あればこその快挙なのだそうだ。

 あまりの辣腕らつわんぶりに、とても本当の事だとは思えないが、典の話しぶりからは誇張は感じられない、と黄宗義は判断した。(確証も傍証も無いから、印象だけではあるのだが。)

 ただし肝心の鄭隆は、肺を病んでいるらしい。

 「それは天下の一大事ではありませんか!」と黄宗義が驚くと、典隊長は「大事ござらぬ。御蔵には労咳を治すすべがありまして。」と微笑した。「我も”つべるくりん”なるじゅつを施されて、労咳のえきからは守られておることを、確認してもらっております。」

 典隊長の語る御蔵の技の新しさに、黄宗義は愕然としたが、恐怖を感ずるよりもむしろ痛快さがまさった。


 「そうそう。是非とも黄宗義殿に面倒を見て頂きたい少年が居るのです。」

 典隊長が連れて来たのは、万斯大ばんしだい万斯同ばんしどうという兄弟であった。

 ともに十歳に満たない少年である。寧波からの帰り道で、困窮していたのを典が拾ったとのこと。

 「二人とも利発この上なく、出来れば雛竜先生に仕えさせたい才の持ち主なのですが、雛竜先生が御蔵で療養中でありますゆえ、正しい師となる人士を探しておりました。黄殿なれば、間違いありますまい。」


 その後、黄宗義は二人の少年を手元に置いて己が仕事を身近に見せながら、実地教育込みで少年たちを導いた。


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