ハシマ22 大尉殿の授業は唐突な上にハードである件
『ゴンゲンヤマ アオ。
(権現山 青。)
ハシマ ニテ サイクツ ヲ カイシ ス。
(端島にて採掘を開始す。)
レキセイタン ノ ダイキボ ロシュツコウショウ アリ。
(瀝青炭の大規模露出鉱床あり。)
タカシマ ニテ サガハン ゲンチセキニンシャ ト コウショウ ヲ モテリ。
(高島にて佐賀藩の現地責任者と交渉を持てり。)
セントウ ハ オコナワレズ。
(戦闘は行われず。)
ミョウニチ ナガサキ ブギョウショ ノ カンケイシャ ニ タイシ ハシマ ニテ セキタン サイクツ ノ ゲンチ ケンガク ヲ ジッシ ス。
(明日、長崎奉行所の関係者に対し、端島にて石炭採掘の現地見学を実施す。)
ゲンジテン デノ トラブル ハ ナシ。
(現時点でのトラブルは無し。)』
これがミッチェル大尉殿からOKを貰った、御蔵司令部宛電文の原稿デアル。
冒頭の『ゴンゲンヤマ アオ』は、TF-H1出発前から予め決めてあった暗号で、『アオ』ならば順調、『アカ』ならば何らかの戦闘が起きた状態か一触即発の状態、『キイロ』であれば戦闘こそ行われていないが交渉に於いてトラブル発生を意味する。(ちなみに「権現山」は高島の高地で標高最高地点だね。)
いってみれば『トラトラトラ』=「我 奇襲ニ成功セリ」みたいなモノだ。
今回の場合、佐賀藩や長崎奉行所に通信を傍受される可能性は皆無だし、符号を決めておく必要は通信を短く済ませられる以上には利点が無いんだから、わざわざ200字の電文を組まなくても、『ゴンゲンヤマ アオ』だけで御蔵司令部との間で意思の疎通は付くという予定だったんだけど……。端島に高品質瀝青炭があるってのは、既知の情報なんだし。
結局、45分ほど掛かって、三度目の正直で「ハイ、ご苦労さん。」と大尉殿から許可を貰った時にはグッタリと疲れていた。
通信室の船舶電話をオフにすると「ひゃあ、お疲れ。なかなかキビシイね。」と通信士さんが労ってくれたんだけど
「海津丸からは、既に御蔵に向けて電文が打たれているのにねぇ。」
と種明かしをしてくれた。
なんでも『権現山 青。番頭 武富。 通訳 江里口。 長崎との交渉は明日。端島にて。』という内容なんだそうだ。
「え~! ホントですか?」と僕が訊き返すと、通信士さんは「片山君をカツイだって意味ないだろ?」と噴き出した。「大尉殿の、キミに勉強させてやろうっていう親心なんだろ。」
そして「じゃあ、モールス信号に組んで、実際に打電してみようか。」と電信機の椅子を譲ってきた。「そこまでやり終えて、今日の授業は終了だってさ。」
精根尽き果てて僕が船室の寝台に引っくり返っていたら
「学生服のママじゃん。一張羅が痛むよ。」
と岸峰さんと雪ちゃんが、賑やかしく入ってきた。「塩抜きくらい、しておかないと!」
「や、今日はリアルで疲れちゃったんだよ。交渉もそうだったけど、夕潮に戻ってからも、スミス姐さんに用事を言い付けられちゃって。」
僕は身体を起こして寝台に座ると、電文の一件を説明する。「通信士さんから教わりながらの作業だったけど、マジモノの報告電だったから打ち間違えは御法度だし、肩も首も背中もガチガチに成っつちゃった。」
「そりゃタイヘンだ。でも一瞬だけ外に出てるから、とりあえず船内着には着替えなよ。」
と岸峰さんは、まるで母親か何かのように、腕組みして見下ろしてくる。「キミの着替えが終わったら、アタシたちも着替えたいんだからさ。さ、とっとと起きた、起きた。」
グレーの短パンTシャツ姿に着替え終えてドアを開けると
「それでは師匠、お早く詰襟服の洗濯を済ませてしまわれませ。甲板に真水が置いてありまする。」
と雪ちゃんが教えてくれた。
「え? 真水、使って良いの?」船内では真水は貴重品なのに。
その問には岸峰さんが即座に答えてくれて、「高島の井戸で汲ませてもらったんだよ。」とのこと。「だけどね、井戸水には、ちょっとばかし塩っ気があるんだ。御蔵の井戸に比べたら、明らかにだいぶ濃ゆいくらいの。木綿の作業着を洗うくらいなら、気にならない程度に、なんだけど。」
御蔵島の洗濯場で使っている汲み上げ井戸水は、予め注意されていれば、わずかに塩っ気を感じる事が出来る。高島の井戸の水は、それよりは濃いんだ。
「それじゃあ、洗濯しても塩分は残っちゃうね。」
僕がそう渋い顔をすると、岸峰さんは
「だから先ず井戸水で下洗いして、その後で夕潮の真水タンクの水で塩抜きしなさいな。洗面器に一杯分ずつ特別配給してもらえるから。」
「了解。」と僕は脱いだ服を抱える。「でも、塩分の多い水ばかりだと、高島住みの人は血圧高そうだねぇ。」
「湯茶を沸かすには、雨水を貯めておるのだそうで。」と教えてくれたのは雪ちゃんだ。「それに、舟にて対岸の蚊焼村にまで渡れば、良き水があるそうでございますぞ。」
僕の後に洗濯をしに行った岸峰さんと雪ちゃんは、戻って来ると船室内に堂々と洗濯物を吊るした。
念のために指摘しておくと、彼女たちが吊るしたのはセーラー服ばかりではない。
彼女たちが僕をどう思っているのかは別として、共用の洗濯場や甲板なんかに、洗いあげた女性物の下着をヒラヒラさせておくのも問題アリだろうから、これはこれで仕方が無い。
僕らが三人が(というよりも彼女たち二人が)一等個室に隔離されたのは、これもその原因の一つなんだろう。
岸峰さんは、雪ちゃんが撮影した写真をスマホからパソコンに移し、取捨選択しながら残す写真のサイズを落としている。記録するメディア容量に限りがあるから、こんな作業をした上で圧縮ファイルに入れておくのだ。
御蔵島に帰ったら、写真ニュースとして食堂兼講堂で、投影公開するためだね。
時代が違うとはいえ、日本の風景を懐かしく思う人は多いだろう。
それでその間、僕が船室で何をしているかというと、寝台に俯せになって、雪ちゃんに背中から肩のあたりを踏んでもらっているのである。
初めは岸峰さんが「ちょっと片山くん、ほんとキツそうだねぇ。」と肩を揉んでくれようとしていたんだけど「こりゃあカチカチだ。私の指じゃ何ともならないよ。」と諦めてしまった。
そして「足で体重をかけるのが良いかもね。タイ式マッサージみたく。」と、ズシズシっと踏んでいてくれたんだけど、長身ナイスバディの健康優良児は流石に重く、僕が寝台をタップしてギブアップした。
「交代いたしましょう。姉さまでは師匠が潰れてしまいます。」
見かねた雪ちゃんが、岸峰さんに代わって僕の背中に乗っかると
「クソぅ。アタシも華奢に生まれたかったよ。」
とブ~垂れながら、岸峰さんは僕の頭を殴ってきた。(軽くだけどね。)
僕は岸峰さんに「いや、アリガト。ゴッチゴチだったのが、ちょっと楽になった気がする。」と礼を言い、雪ちゃんには「雪ちゃんも疲れているのに、済まないねぇ。」
……なんだか時代劇で「よくある」シチュエーションの、年老いた病弱な父親が、かいがいしく看病してくれる孝行ムスメにお礼を言うシーンみたいだ。
「なんの、これしきばかりのこと。」と雪ちゃんは、体重を掛け過ぎる事のないよう、片足だけで静々と首から脊椎あたりをマッサージ。全体重で勝負をかけてきた岸峰さんのソレ比べて、これは大変気持ちが良い。
思わず「はあぁ……」とタメ息を漏らすと、それを聞きつけた岸峰さんが地道に画像編集作業を続けながら
「ううん……。そんな風にすれば良かったのか。やるな、雪ちゃん。」
と雪ちゃんを褒めた。「まるっきり初めて、と云う訳ではなさそうだね。」
「時おり、父に頼まれておりました故。」というのが、雪ちゃんの答えだった。「ただし、父は『もっと強う、もっと強う』とばかり、言うておりましたが。」
「お父さん、筋肉質だもんねェ。」と岸峰さんが頷く。「片山クンみたいに、ヒョロヒョロじゃなくて。」
――なんでコッチに、流れ弾が跳んで来るかな……。 岸峰さん、僕がギブしたのが面白くないってか。
「姉さまは、ボン・キュッ・ボンでございますから。……雪めは、いつも羨ましゅう思うております。」
「ボン・キュッ・ボン?! 雪ちゃん、どこでそんな言葉覚えたの?」
明らかに狼狽して岸峰さんが訊き返す。僕から彼女の顔は見えないんだけど、絶対真っ赤になっている声だ。この調子じゃあ。
「江藤様でございますよ。航空司令の。」雪ちゃんが不思議そうに言う。「使うてはならぬコトバなのでございましょうか? 江藤様は、雪めが『岸峰さまの”すたいる”が羨ましゅうございます』と申しましたら、『ありゃあアメリカナイズされているからね。小倉くんも今から肉を食って、乳製品もドンドン摂れば、ボン・キュッ・ボンに成ること間違い無し。』とお教え下さいまして。」
そして「如何でございましょう? 我も姉さまの様に育てましょうか。」と問い返した。
「どうだろうね。お父さんが大柄だから、遺伝的には有り得るとは思うけど。」岸峰さんは、そう返すと
「でもね雪ちゃん、女の子は華奢なのが、正義。」と付け加えた。「育ったら育ったで、面倒も多いから。ホントウを言うとね、アタシは、ちっちゃく可愛らしく生まれたかったよ。」
――それは岸峰さんの個人的な感想なのではあるまいか? 育ちたいという雪ちゃんに、話すことでもあるまいに……。それにしても江藤さん、雪ちゃんに変なコト教えないで欲しい。
「しかし雪ちゃん、その江藤大尉殿との会話、どんな文脈で出てきたの?」
岸峰さんの質問に、雪ちゃんは「はあ……その……操縦手見習いに、志願者があったというお話でございまして……。」と答える。
航空隊は随時入隊者募集中だから、江藤さんにとっては願ったり叶ったりだろうけど、雪ちゃんの歯切れが悪いのは何故なのだろう? まあ岸峰さんの方だったら、航空隊のアイドルみたいな処はあるんだけど。
岸峰さんも同じ事を考えたみたいで「へえ。大尉殿は嬉しいだろうね。でも、それがボン・キュッ・ボンと、何か関係してくるのかなぁ?」と不思議そうな声を出した。「飛行服を着たら、スーツや運動衣袴を着た時よりも凹凸は目立たなくなるのに。」
雪ちゃんはマッサージを止めると、寝台に座り込んでしまって
「江藤様のおっしゃるには、なんでも志願者の中に友清君と小郷君が居りますそうで。」と消え入るような声になる。「此度の出発前に、不意に教えて頂きました。」
友清君はオートバイ伝令で、ラジオ放送が始まる前には、食堂と新町湯の間をVHSテープを持って行き来してくれていた少年兵。
小郷君は司令部棟前で、よく立哨していた司令部付きの少年兵。
共にそこそこ電算室の面々とは、知らない仲ではないと云うか、むしろ仲が良い。
僕は俯せ状態から起き上がって、寝台の上に胡坐をかく。「おや、あの二人、航空隊に?」
鈍感な僕に比べて、岸峰さんは察しが良い。
「ははぁ。その二人、雪ちゃんに良い処を見せたくて、パイロットに成ろうと考えたんだね! で、江藤大尉がコッソリそれを雪ちゃんに教えてくれたという。」
雪ちゃんは真っ赤になって頷いた。「我など……修行中の小僧っ子。殿方に……その……憎からず想われるなど、……その……。それに、師匠から様々学ばせて頂いております身分で……その……未だその様なこと、考えたことも無く……。ボン・キュッ・ボンでも、ございませぬのに。」
雪ちゃんの年頃ならば、江戸時代なら嫁入りしていた人もいるだろうし、許嫁が居たっておかしくはないんだろうけど、短期間だとしても御蔵島で『現代生活』に触れてしまったせいで、早婚に疑問が生じたっていう事なんだろうか。
先進国社会の晩婚化の例を見れば、頷けない話ではないんだけど。
僕の祖父なんかは、お盆に帰省したときに、たまたま流れていた最近の人口減少を嘆く番組を見ながら
「なんだかなぁ。高度成長期の――そう、オイルショックで『狂乱物価』って言われていた頃だよ――日本は国土が狭いから一億人なんて人口は多過ぎで、せいぜい8,000万人くらいの人口が丁度良いんだ、なんて議論があったモノだけどねぇ。社会科学者なんて、その時その場のノリで社会の文句を言うばかりで、実の処は何にも真面目にモノを考えていないんだろうねェ。自分の無責任な発言が、未来にどう影響を与えるのかなんて本当は”どうでも”良くって、ただその時に悪目立ちして注目を集められさえすれば、自分にチョロい仕事が回って来て楽してメシが食えるってしか脳ミソが働かないんだろう。自然科学と同じ『科学』って単語では括ってはイケナイ分野なんだろうね。」
と達観したようにグチっていたのを思い出した。
その高度成長期の時代というのは、ちょうど日本を含めた世界中で『赤軍』がテロを多発させていたころで、『赤い旅団(Le Brigate Rosse)』なんで自称して殺人を繰り返していたテロリストも存在していたみたい。初期の『仮面ライダー』の敵が”アジト(アジティティング・ポイント)”を次々に作ってテロを繰り返すのは、赤軍のパロディなんだそうだ。
僕は晩婚化に関する「よしなしごと(由無し事)」をボンヤリ考え込んでいたせいで、岸峰さんが雪ちゃんに発したアドバイスを聞き逃した。
「…………なんだよ。だから、まあ、雪ちゃんが気に病むこと無いよ。だよね、片山クン?」
僕はキイテイマセンデシタと言うわけにもいかないから、「そう……かな。江藤大尉殿だったら、二人を立派にヒトカドの漢になるよう、仕込んでくれるのは間違い無いね。」と当たり障りのない対応をする。「操縦訓練も整備演習も事故の無いよう、細心の注意も払ってくれるだろうし。」
「そっちか?! キミの心配事は。」と岸峰さんが噴き出す。「まあ”無事コレ名馬”は、何事にも基本だけどさ。ここは可愛い妹分のために、父兄代わりとして––あるいは兄・姉代わりとして––何か一言、モテる女の子の心得を教授すべき処かってハナシなんだけど。」
「モテる女の子の心得なら、キミにしか教えられないじゃないか。」僕は淡々と指摘する。「ボクがモテない、しかも、男の子だって事を、忘れちゃいけない。」
「賢者モードかよ!」というのが彼女の反応だったのだけど、岸峰さんは『賢者モード』という用語の用法を間違って認識している(ようだ)。
「まあ、それはそれとしてだね、モテる女の子である私たちは、実は早良中尉殿から”ある任務”を託されていたんだ。」
ね~雪ちゃん、と岸峰さんは雪ちゃんに同意を求める。「大女––これは、この時代に於ける認識としてはという意味においてだけど――で、あるワタクシよりも、可愛らしい雪ちゃんに相応しい仕事だったのだけどね。」
「へえ? どんな任務だったの?」と当然ながら興味が湧く。と、いうか現代知識系師匠の身としては、雪ちゃんを巡る友清くんと小郷くんの競争よりも会話に参加し易い。
「ハイ。江里口さまから、佐賀藩の――それも高島遠見番の位置付けを––聞き出して欲しいという御依頼でありまして。」
ミッチェル大尉殿と早良中尉殿が、油断のならない武富さんを足止めしている間に、岸峰さんと雪ちゃんとが、焼酎ソーダで良い気分になった江里口さんから収集した情報は、要約するとこんな感じ。
○高島や対岸の蚊焼村を含む本土側の佐賀藩飛び地を領有するのは、深堀鍋島家6,000石。
○地理上の位置により、否応無く外事を担当することになるので、深堀家当主は要職に就く。
○深堀鍋島家当主の「鍋島安芸守」は佐賀藩家老職にある。
○鍋島安芸守は、代々の深堀家の血筋ではなく、石井家からの養子。
○石井家は、鍋島本家の古くからの与党で、現当主は佐賀藩筆頭家老で藩主の右腕。
こういった人脈から『遠見番頭(武富さん)』→『鍋島安芸守』→『筆頭家老』→『藩主』と、スムーズに情報が伝達される仕組みになっているらしい。
道理で武富さんみたいな『食えない狸』(念のために強調しておくと、これは褒め言葉だよ)が、吹けば飛ぶような小島に駐留しているワケだ。
同時に、あっちこっち他藩や幕府領とも繋を持っているというのは、見栄や強がりから出た言葉ではなく、リアルな事実なのだろう。
僕が「スゴイ! 二人ともヤルなぁ。よくそんな微妙な情報まで聞き出せたね。」と驚くと、岸峰さんは「いやぁ、私はドンドンお酒を注いでいただけ。」と照れた。「『それは御立派でございますな!』って相槌を入れる雪ちゃんが可愛いいんで、江里口さんが嬉しくなって次々話が止まらなくなっちゃったんだ。」
「たまたまでございます。」と雪ちゃんは謙遜するけど、「いや、雪ちゃんが聞き出した話を、中尉殿に帰りの船の中で報告したら、中尉殿も雪ちゃんを褒めてたよ。」と岸峰さん。「深堀鍋島家から許可を貰えたら、野母半島側でポンプ式の深井戸が掘れるだろうって。そうすれば真水の節約を考えなくても済むようになるし。」
「それにね」と岸峰さんは含み笑いをすると「帰りがけに、おばあさんが『宴に呼んでもらったお礼に、何か欲しい物はないか』って、雪ちゃんに訊ねてきたの。遠くから遊びに来た孫娘みたいに思えたんじゃないかなぁ。……雪ちゃんが、なんって答えたと思う?」
「いえ、言うて下さいますな。今、思い返すと恥ずかしうございます。」
――なんだろう? 前に雪ちゃんは『雪が見たい』って言ってた事はあったけど。
「テングサが欲しい、って答えたのよ。御蔵島に居る、とても偉い先生が心太を食べたがっているから、って。」
戻りの特大発には、チハを覆い隠すほどの乾燥テングサが、山と積まれたのだそうだ。




