パラ21 通商破壊への脅威判定と化学肥料の生産について考える件
「先の大戦での、エムデンの活躍は知っておるだろう?」
大尉の質問に、僕は「ええ。」と返したが、岸峰さんは「分かりません。」と答えた。
「ふむ。知らないか。」
大尉は、まあ婦女子には興味が無くとも仕方あるまい、と軽巡エムデンについて説明を始めた。
大尉は気が付いていないみたいだけれど、「婦女子」発言に、一瞬彼を睨み付けた石田さんの目が凄く怖かった。知らぬは大尉ばかり也……。
エムデンはドイツ海軍の軽巡洋艦で、第一次世界大戦の時にインド洋で通商破壊に従事した石炭蒸気エンジン艦だ。
主砲は105㎜。
大戦前には青島を母港にしていた。
艦長はカール・フォン・ミューラー中佐。騎士道精神に溢れた人物として知られている。
拿捕・撃沈した連合軍側の艦船は30隻以上。
インド亜大陸のマドラス港や、マレー半島近傍のペナン島に対して、砲撃による拠点破壊も行っている。
殊にマドラス港は、石油タンクが直撃を喰らって大炎上している。
「この様に、たかが軽巡の砲火でも、重要設備が破壊されれば被害は甚大だ。蘭印進駐が行われる地域には、パリクパパンやパンジェルマシンのように沿岸部にも油田都市がある。それらの都市に、夜陰に紛れる形で敵艦が接近した場合に、敵艦砲の砲撃精度を下げさせたいのが実験を行った理由だ。『奇襲を受けても、重要施設に被害が無ければ、大きな問題にならない』という危機管理の一つのあり方と言ってもよい。……まあ、そもそも敵の接近を許さなければ良い話ではあるのだが、戦争というのは思う様には進まないのが普通というモノなので、念には念を入れる心算だったのだが……裏目に出たな。」
「そのような背景が有るのなら、必要な実験だったのかもしれないですけれど」岸峰さんは大尉に向かって言うと、続けて僕に「ドイツ軍のレーダー技術って、都市の中の個別目標を解析出来るほど進んでいたの?」と問い掛けてきた。
「敵機や敵艦の接近を知る事が出来る位の技術水準だったと思う。方位が分かる程度じゃないかな。距離や飛行機の高度が分かる様になるのは、戦争の進展と共に技術が発達していった後期になってからの事だよ。それでも、正確な砲爆撃には、観測機を飛ばすか観測班を前進させる必要が有ったんだ。基本は目視だね。」
僕の発言を聞いて、大尉は
「そうなのか。必要以上にドイツの技術水準を過大評価しておったわけか……。」
と独り言ちた。
「多分、イギリスの持っている技術と同程度の筈ですよ。どちらの陣営も第五列が鎬を削っていますから。」
大尉の呟きに応じた僕の言葉に「第五列って?」と岸峰さんが反応する。
彼女には「ざっくり言えばスパイの事だよ。」と答えておいて、大尉に「ドイツがインド洋に通商破壊艦を出して来るという情報があったんですね?」と訊ねてみた。
大尉は頷いて「ヒッパー級重巡、若しくはドイッチュランド級巡洋戦艦という話だった。アフリカ沿岸からスエズを睨んで暴れると見せかけておいて、手薄になる南太平洋に侵入されたら厄介な事態だろう?」
確かに厄介ではあるけれど、第一次大戦の時とは時代が違う。
エア・カバーも無しに単艦で敵拠点に殴り込みを掛けるなんて、自殺行為だ。
航空機の航続距離は、艦砲の射程距離を遥かに凌駕してしまう。
例えばドイッチュランド級の主砲は280㎜で、最大射程は36.5㎞あるが、98式陸上攻撃機の航続距離は4,300㎞以上ある。
文字通り「桁が違う」のだ。
基地航空隊の98式陸攻が、800㎏魚雷を積んで殺到すれば、申し訳程度にしか対空火器を持たないドイッチュランド級では瞬く間に沈められてしまうだろう。
技術の発達は、仮に個の力が突出していても、それを集団の中に埋没させる方向へ進ませる。
個の力量に頼った英雄的行為は、困難さを増して行くのだ。
巨大戦艦ビスマルクとティルピッツ然り。プリンス・オブ・ウェールズ然り。また大和も。
全艦、航空攻撃の餌食になっている。
僕は大尉に反論するに際して、出来るだけ淡々とした口調であるように努めたが、大尉の表情は次第に険しい物に変わっていった。
大尉は反論されて怒っているのではない。
むしろ、技術の発展に後れを取る事の危険性を、危惧しているのだ。
「戦艦に対する航空機を用いた攻撃の有効性が立証されたら、自ずと、対空砲火も発展して行くのだな?」
「はい。個艦防御の性能も上がりますし、艦隊防御の陣形や戦術も発達します。高角砲から撃ちだされる弾丸には、敵機の近傍で必ず炸裂するようVT信管が取り付けられますし、後には敵機を自動追尾する噴進弾も開発されることになります。」
「飛行機乗りには難儀な世の中に成って行くわけだな。」
「はあ。しかし、攻撃機の方も接敵せずに遠方から噴進弾を発射すれば良い事になりますし、欺瞞効果のあるチャフやフレアという防御兵器を搭載して対抗出来ます。……どこまで行っても、技術力の勝負ですね。」
大尉は「そうか。」と頷くと、少しの間、未来の戦いのあり方に想いを巡らせている様子だったが「話が少し横に逸れてしまったな。」と御蔵島に兵が居ない訳の説明に、話を軌道修正した。
「まあ、大体の処は酌んでくれたものと思うが、第一に『元々、兵科の人間が少ない』のに加えて、第二に『指揮系統に大穴が空いている』のが理由だ。」
と、結論をまとめた。
石田さんが、大尉の話を受けて、先に進める。
「原隊との連携が復帰するまでは、御蔵島の人員と資材だけで、全てを賄わなければなりません。資材は豊富とは言え、徒に居食いを続けているばかりでは、速やかな帰還が叶わない限り、早晩困窮する事になるのは目に見えています。」
「何となく、分かります。……やらなければならない事が、多過ぎますね。」と、岸峰さんが頷く。
「まず防衛部隊の再編は急務だし、かと言って、食糧調達が滞れば、アウトだし。何よりも、ここがどんな所なのか現状の把握が出来なければ、食糧や物資の調達は出来っこない。……最悪、島の遊休地の開墾から始めないと……。」
「開墾に関しては、やろうと思えば、他の事よりも比較的簡単なのです。」
石田さんが岸峰さんに説明する。
「排土板を装着した装甲車で整地し、トラクタで耕してしまえば良いので。人手は節約出来ます。」
「肥料も、兵器廠で火薬生産のために稼働させている工程を応用する事が出来る。」
大尉は僕たち二人に「さて、問題だ。硝安を作るには、どうすれば良い?」と、クイズを出してきた。
「窒素ガスと水素ガスからアンモニアを作り、アンモニアを酸化させて硝酸を作る。……ですよね?」
岸峰さんが、よどみ無く答える。
窒素と水素からアンモニアを合成する過程が「ハーバー・ボッシュ法」で、触媒存在下でアンモニアを酸化して硝酸を作るのが「オストワルト法」。
受験化学の基本だから、高校生なら知っている「平時には肥料を作り、戦時には爆薬を作る。」と称された有名な化学反応に他ならない。
アンモニアと硝酸の化合物が、硝酸アンモニウム所謂「硝安」だ。
「合格!」っと声を上げた大尉は、「やはり貴公らは、航空隊に……」と、勢いよく言葉を続けかけたのだけれど、石田さんが『ぱぁん』と大きく柏手を鳴らすと、「来てくれたら、良いかなぁと……」とトーンダウンしてしまった。
石田さんは、大尉に向かってだけではなく、僕と岸峰さんにも言い聞かせるように
「岸峰さんの適正や技量は、なるほど航空隊でも生かせるかも知れません。けれど今は、必要な部門に人的資源を投入する事が求められているのです。何と言っても『現状把握』が済むまでは、各自に勝手な行動を取ってもらっては、統制が取れなくなるばかりです。」
と釘を刺してから、今度は僕たち向けに最新情勢のレクチャーを始めた。
「現在は船舶、特に大型船の航行の安全のために、湾内と島の周囲で測鉛による水路図作成を実施中です。それと、天測によって、御蔵島の現在位置は、上海や寧波に近い舟山群島である事が分かっています。ですから、群島最大の島である舟山島と、上海に、船をそれぞれ連絡と情報取集に向かわせる準備をしている処なのです。」
「上海が近いのなら、中華民国政府なり上海の領事館なりと通信が出来そうなものですけれど?」
僕の疑問に、大尉は「先ほど言っただろう。如何なる電波も飛んでおらん、と。」
この世界の日本は、中華民国と戦争状態にはないみたいだから、『本来ならば』連絡が付かないのはおかしい。
大尉も言っていたけれど、僕と岸峰さんがこの世界に飛ばされて来たように、御蔵島もまた御蔵島が刻んでいた歴史とは違う世界に異世界転移してしまっている可能性がある。
その世界は、まず間違いなく無線電信が普及する以前の世界だ。
「それでは、この時代は、何時の時代 なのでしょう? 清? 明? 元?」
岸峰さんの疑問には、誰も答える事が出来なかった。
その時、ノックも無しにドアが開くと、将校が急ぎ足で入室して来た。
「江藤大尉。不審船が御蔵島に接近中だ。偵察機で出て欲しい。」
江藤大尉は間髪を入れず立ち上がると、
「了解。武装は?」と将校に問いかけた。
将校は頷いて
「念のためだが、爆装で出てくれ。……不審船と接触した装甲艇から、厳重注意の連絡があった。」
お読み頂き有難うございます。
次話からの6更新分は、戦闘(とは言っても、小規模な遭遇戦ですが)となります。
ことさらに残酷描写はしておりませんが、不愉快に感じられるかたは、ご注意お願い申し上げます。
なお構成上、主人公の視点ではなくなりますので、ご了承下さい。




