ハシマ11 高島上陸が、てんやわんやの大騒ぎになりそうである件
「片山殿は、本当にこの国の者なのか?」
江里口さんは、オイルライターを神器でも取り扱うかのように、恐る恐る押し頂いた。「かような火熾しは、南蛮からの渡来品にもござらぬぞ。」
「渡来品にも無いのであれば、逆に渡来人ではない証拠でしょう。」と僕は話をワザとややこしくする。「オランダ人しか持っていない物ならば、オランダ人である可能性もあるのでしょうけどね。」
「それは通理至極な言い分ではあるが……。」と、このクレバーなお役人は、僕の屁理屈を認めざるを得なかった。「しかし、蜃気楼でも目の当たりにしているかのような巨船といい、この珍妙不可思議な火熾しといい……まるで狐にでも化かされているかのような……。」
「キツネは人を化かしはしませんよ。頭の良い獣ですけどね。化かすなら猫でしょう。」
と応じると、江里口さんは「猫が人を化かすなど、聞いたことがござらぬが?」と怪訝そうな顔をした。
――おっと。『鍋島の化け猫騒動』が芝居で大当たりになるのは1800年代のことだから、江里口さんは知らなくてアタリマエなんだ。
「いえ肥後の言い伝えに、齢を経た猫は阿蘇の根子岳に登って化け猫の修行を積むって言うじゃないですか。」と、僕はとっさに取り繕う。
『龍造寺氏が支配する佐賀』の再興に失敗した龍造寺氏の伯庵(龍造寺高房の子)が会津に、主膳(高房の弟)が大和郡山藩の御預けになったのが1642年で、まだ佐賀藩にとっては生々しい話だからね。危ない、アブナイ。
「ほほう。肥後にはその様な言い伝えが。同じ九州なれど、土地土地で化ける獣も替わりましょうか。」
「ええ。四国阿波では、圧倒的に狸です。陸奥だと、猿や狼が変化して『猿の経立』『御犬の経立』なんて呼ばれるみたいです。ま、いずれにせよ生物学的根拠に基づかない民間伝承に過ぎないわけですが。」
妖怪変化は昆虫・恐竜と並んで、男子たる者、一度は必ず通る道だからね。このアタリの知識は試験勉強に関係無く誰しもが持っている。(深入りの程度は、個人差があるとしてもね。)元の世界なら、本やネットで情報にはアクセスし放題だし。
「なんと片山殿は、その若さで本邦各地の言い伝えにも精通しておられるのか!」と江里口さんは魂消たという顔をする。「いや、そうでなくては軍使の重責は務まりますまい。これは御見逸れしておりました。ご無礼の儀、お許し召されい。」
頭を垂れた江里口さんに「頭をお上げ下さい。頓狂な顔をしている私の方が悪いのです。どうも軽輩の哀しさ、軍使の任に不可欠な、威厳みたいなモノが身につかない性質でして。」と僕は急いで話題を変える。
「その火熾し――ライターという名を持つ道具なのですが――何の不思議もありません。鉄の小箱の中には油を含んだ布が詰められていて、布に差し込んだ細紐が油を吸い上げているだけなのです。火口にある細かな火打石で、油の滲みた細紐に火花を飛ばせば、火が着くのは――まあ、モノの道理というわけでして。実に普通の原理原則の組み合わせで成り立っている、単純な道具に過ぎません。」
見た目はちょっと変わっているかも知れませんけどね、と僕は一頻りライターに関する説明を捲し立てる。
「なんとのぅ。カラクリの種明かしをしてもらえば、如何ほどにも疑問が残らぬ。新工夫の火打石に過ぎぬことは分かり申したが。」
江里口さんは、蓋を閉めて火を消したオイルライターの臭いを嗅いでみて「まこと、油の匂いが致し申す。」と僕の解説を確認した。「なれども、実に巧妙な細工物。こしらえ上げた細工師は、さぞや名の有る名人上手に違いござりますまい。」
「最初にそれを創った人物は、名工だったのに違いありません。」
僕は彼の感想に同意してから「けれども今では、普及品。王侯貴族や大商人ばかりでなく、町衆が普通に店で買える道具なわけで。」
町衆が気軽に買える、と聞いて江里口さんは仰天した。
「何処にて、この『らいた』なる火熾しを購うことが出来申すのか、是非に御教授賜りたい。!」
「御蔵の街ですよ。天領に当たるんでしょうけどね。そこでは、こんな火熾しも扱っています。」
僕は燐寸を学生服のポケットから取り出すと、ライターを見せたときと同様に使用方法を実演した。「この爪楊枝みたいな棒の先に、少量付けてあるのは火薬です。この火薬を箱の横の紙やすりで擦ると火が着きます。……まあ、この燐寸は防水・耐風タイプですから火薬の量も多めだし、火薬の上に薄い蝋のコーティングがなされている分、普通の燐寸よりも若干値が張りますけどね。燐寸はライターより安いんで、煮炊きなんかには燐寸を使う人のほうが多いのですけど。」
次にビニール袋を取り出し、燐寸を中に入れてから江里口さんに渡す。「煙草とライターも、その袋の中にしまっておけば、波しぶきが掛かっても濡れなくて便利ですよ。口を堅く縛っておけば、海に浸けても平気です。」
ポリエチレンの製造には、まだ到達出来ていないからポリ袋は貴重品なんだけど、塩化ビニルの方は生田さんが量産に乗り出しているから、ビニール袋は(使い捨て出来るほどあるわけじゃあないけれど)江里口さんに一枚くらい献上しても惜しくはない。むしろ透明な防水袋の存在は、彼や彼の上司に未知の素材がもたらすインパクトを与える有効な小道具であるだろう。
優れた「民生用雑貨」は時に、一点豪華主義の卓越した兵器よりも、彼我の技術力の差をまざまざと実感させるのだから。
呆然自失状態の江里口さんを乗せた艀は、他の4隻と合流すると、慌ただしく高島に向けて漕ぎ去った。
たぶん警固番の番屋は、ライターと燐寸、それにビニール袋で大騒ぎになるだろう。
夕潮に戻って会見の首尾を皆に報告すると「やはり片山君には、ハッタリの才能が漲っているねぇ。」と変な褒め言葉で労ってくれたのが早良中尉殿。「いや僕も乙型艇から注視していたのだけど、交渉役の――江里口氏か――顔色が赤くなったり青くなったりしているのが、良く見えたもの。ああ順調にカマシているなぁ、とニヤニヤ笑いが止まらなかったよ。」
「それじゃあ、鉄は熱い内に、で高島に乗り込みますか?」と、早くも椅子から腰を浮かせたのが、甲型艇の小林艇長殿。腰の軽い人だ。「先方が混乱して、方針が定まらない内に、二の矢、三の矢を。」
「そうですね。小林さんは甲型艇で高島の周りを周回し、手漕ぎの和船とモーターボートの性能の差を見せつけて下さい。」瞬時に早良中尉殿は小林艇長殿の提案を採用すると、乙型艇の篠原艇長殿には「篠原さんの船には、米を3俵とCレーションを2ケース、それにビールとオイル洋灯を積み込んでもらいましょうか。」と依頼した。
篠原艇長殿は「それならば石油コンロも持って行きましょう。Cレーションのオカズ缶は、温めなければ今一つ美味いとは言い難い代物ですから。」と承知し「粉末味噌も用意しますか? 見たところ、根魚が多そうな地形だし、島には漁師も居るでしょうからね。獲物を買い上げれば浜鍋が作れるでしょう。」と提案した。
「中尉殿、今度は私も連れて行って下さい!」
セーラー服に着替えた岸峰さんが、教室で先生に発言機会を求める時のように、挙手して承諾を要求する。「和平交渉なんですから危険は少ないし、それに殿方ばかりで上陸するよりも、相手側が安心すると思います。」
「我もお願い致しまする。」と婦人部隊スーツの雪ちゃんも、同行を希望。「憧れの日ノ本に第一歩を刻みとうございます。」
「ああ、うーん。」と中尉殿は唸ったが「それでは、お二方は装甲艇で来て貰いましょうか。」と上陸を容認。「どうも海津丸からはスミス准尉が高島に向かうみたいですからね。岸峰さんと小倉さんには、スミス准尉の暴走を食い止める役回りをお願いします。彼女、張り切っちゃってて、奥村少佐殿も頭を抱えているみたいなのですよ。和装の着付けをするとかで、石田君がアッチに呼ばれて行ってます。」
あああ! 准尉殿らしいや。奥村少佐殿の苦虫を噛み潰したような顔が目に浮かぶよ。少佐殿も(オモテの階級が准尉に過ぎないとしても)米軍情報部の大物らしいスミス准尉殿からの要望を、無下には出来ないだろうし。
「それでね」早良中尉殿は真剣味を感じさせる声で、僕に語りかけてくる。「片山君には、急ぎ高島に向かって、先方の役人に根回しをして欲しいんだよ。」
――でも、中尉殿。声は真面目でも、目が笑っちゃってるよ~!
「こちらから、貴人ではあるんだけど、ジャジャ馬の姫君が上陸を熱望しているってね。」
「分かりました。それでは小林艇長殿に同行いたします。」
なんだか予想していたのとは違う展開になりそうなんだけど、こうなったら否応ナシだ!
「え~っとね、高速艇ではなく、片山君には派手派手しく空から乗り込んでもらおうと思っているんだ。」
中尉殿のアイデアに、僕は「はあ?」としか声を出せなかった。
「夕潮の後甲板に載せている水偵を出す。江里口さんは――ま、他のお役人もだけど――君が空から降りて来たら、普通に船で行くよりもチョットばかし驚くだろうと思うんだよ。」




