ハシマ10 通辞役筆頭の江里口彦馬氏を丸め込んだ件
――絶対、わざとだ! そうでなきゃ、今、准尉殿が目立つ場所に出て来ている必然性が全く無い。
僕は頭をフル回転させて、その理由を考えてみた。でも……
――分かるわけないだろう。打ち合わせも、やってないってのに! なんとかして誤魔化さなくちゃイカン。
「そうそう。警固番様は、信長公が供まわりに異人を加えていたのを御存じですか?」
僕は焦りが声に出ない様に気をつけながら、何気ない感じで話を繋ぐ。考えながら会話する時間稼ぎのために、口調はスローモーだ。
小瀬甫庵が『信長記』という歴史読物を書いたのが1622年。太田牛一の『信長公記』に比べて歴史書としての価値(正確性)は低いとされているみたいなんだけど、読物としては面白いので、江戸初期から広く普及していた。この警固番役のお侍なら、それを読んだことが有るかも知れない。
もし未読だったとしても、織田信長が黒人の部下を士分に取り立てていたというのは有名だから、噂話くらいなら知っている可能性は高い。
「存じており申す。」
お侍の僕に対する言葉遣いが、ちょっとだけ丁寧になった。警戒感を高めたのか、あるいは内容に興味があるのかは、まだ判断が付かないけれど。「たしか弥助という名を頂戴しておったとか。忠に厚く、膂力に秀でた武士であった、と伝わっておりまするな。」
「神君家康公も、三浦按針――ウィリアム・アダムス――というエゲレス人を旗本に取り立て、外交顧問として重用しておられましたし、異人であっても才ある者は厚く遇するのが、我が国の古よりの習いでありますよね? なにせ奈良の廬舎那仏の開眼供養に招かれたのは天竺出身の菩提僧正様です。それに、ほら、筑前の雷山千如寺を開山した清賀上人様もインド――ええっと天竺――のお坊様であられましたし。」
僕はとっさに思い出せる海外出身有名人を羅列した。極東勢から選出しなかったのは、モンゴロイド系だと見た目の差が無いからで、スミス准尉の存在についての説明にはならないだろうという観点からだ。
またキリスト教禁止令が出ていることも考慮して、フランシスコ・ザビエルやルイス・フロイスみたいなイエズス会宣教師の系統は避けている。この警固番のお侍に、不必要な警戒感を起こさせるわけにはいかないから。
さて、そこでだ。沈黙は金かもしれないが、雄弁にだって銀の価値がある。お侍を煙に巻くためには、受験勉強の成果をフルに活かして口を動かし続けなければならない。
「第一、元亀天正の大乱よりこのかた、本邦に来国した異人の数は膨大なものになります。女色を絶っていた宗教関係者を除けば、我が国に子種を残した南蛮人の数は数えきれないほどなのです。――見た目が異人のようであっても、異人であるとは限りませんよ。人を見かけで判断してはイケマセン。」
「ううむ。確かに、それは理屈だな。長崎の街にも、親御がイスパニア人であったという医者殿がおられ申す。見た目は南蛮人そのものなのだが、話しをすれば丸っきり肥前者の話しぶりよ。」
この返事から考えるに、お侍の心の中の天秤は、同意方向に傾きつつある、と見てよいだろう。
「流石は異国船警固番の御役目に就かれている御武家様。常人には無い、幅広い見聞をお持ちでいらっしゃる。そうでなければ、大役務める事、適いますまい。」と、僕は手放しでヨイショする。
けれどもこれは単なる「お追従」ではない。このお侍が『見た目が異人のようであっても日本生まれの日本人は居る』というレアケースの具体例を既知だったことに対する称賛だ。
だって、この先、色々と「御相談して御理解」いただかなくちゃならないんだから。
物事には例外事項がある、というのを知識として持っている頭の柔らかい人物を、一人でも早く味方に付けるのは、今後スムーズに作戦を遂行するのに極めて重要だからね。
だから僕は、この好奇心旺盛なお侍の知識欲を更に喚起させるために、もう一つの別の可能性も指摘しておく。(藪蛇にならなきゃ良いんだけど。)
「可能性として考えれば、異人の血が全く入っていない場合でも、異人のように肌や髪の色の薄い者が生まれることだってあります。アルビノと呼ぶのですが、先天的にメラニン合成系の遺伝子に欠損がある個体です。」
「あるびの? めら……にんごうせいけい?」
お侍は聞き慣れない単語の洪水に、戸惑いを見せた。
「ああ、え~っと。アオダイショウの子供なのに、真っ白な白蛇様って生まれることがあるじゃないですか。瑞兆とされたりしますよね?」
僕の追加説明に、お侍は「貴殿の申される『あるびの』とは、白子の事か。」と、彼が知っている言葉に置き換えて理解を示した。「確かに、そのような吉兆があると、耳にすることはありますな。」
「はい。そしてそのアルビノという現象は、ヒトの身に起こることもあるのです。その原因が、肌や髪の色を司る遺伝子というモノの働きぶりに依る現象なのです。」
「貴殿、諸事に明るいのぅ。まるで学者様と話をしているようじゃ。」
お侍が僕の説明を理解出来たのかどうかは、ちょっと怪しい気もするんだけど、取りあえずスミス准尉の外見については韜晦し切るのに成功したみたいだ。
「はあ。初めに申し上げました通り、学者ではありませんが学生の身分ですから。」
僕は最初に明かした自分の身元を、もう一度強調してから「電算室長……電算室頭の片山修一と申す学生です。以後、お見知りおき下さい。」と自己紹介する。
お侍も僕の自己紹介に釣られて
「異国船警固番、通辞役筆頭の江里口彦馬と申す。よしなに。」
と会釈を返してきた。
よし! こっちのペースに巻き込んだぞ。
「それでは改めて江里口様、御用件をお伺い致します。」
「おお! そうであったな。」江里口さんは、促されて来訪の理由を思い出したらしく「この地は余人の立ち入ってよい場所ではない。早々に立ち去れぃ……と言いに来たのであるが……。」と言葉を濁した。
そして「何やら妙な調子じゃの。片山殿は佐賀の者だと言うておるし、見た事も無い巨船には錦旗が掲げられておるし。一体、どうしたものであろうか?」と、逆に訊ねてくる始末。
「そうですねぇ。」と、僕は勿体ぶって一度考え込んで見せてから
「一旦、高島にお戻りになられた方が良いのではないですか。鉄砲衆の方々が、火縄を波に濡らすまいと大変そうですから。それに、是非とも御相談したい秘事に関わる話もありますので、人を選んで、あの船にお乗り頂きたく思います。」
と、僕は夕潮を指差した。「直ぐに、こちらから御迎えに上がりますので。」
「どうしたものかな。」と思案顔の江里口さんに、「急にそんな提案させても困っちゃいますか?」と僕は煙草の箱を差し出す。
片山君は実に上手に煙草を”使う”よね、と前以て早良中尉殿から渡されていた敷島だ。ここが使い所だろう。
「何かな? これは。」と江里口さんが敷島の箱をいじくる。
「煙草ですよ。一息入れられたらどうです?」と、僕はパッケージを開けて見せて「煙管が要らないよう、紙巻にしてあるのです。」と説明する。
「紙巻か、初めて見るのぅ。」と一本咥えた江里口さんが、足軽から火種を借りようとするタイミングで、僕は「これ、使ってみて下さい。非常に使い勝手のよい火熾しですから。」とオイルライターを点火して見せた。
手の中から瞬時に上がった炎を目にして、江里口さんが咥えている敷島がポロリと落ちる。




