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ハシマ9 交渉開始! な件

 笠を船首にかざした和船が、残る4隻に先んじてグッと近づいてくる。

 指揮官らしいお侍が立ち上がって腰の大刀を抜き、頭上でクルクルと回転させた。自分が交渉役であるという合図だ。

 残りの鉄砲足軽は種子島の照準を外して待機している。彼らの表情はお侍の陰になるので僕からは見えない。


 僕も装甲艇の船首で笠を結んだ竿を振り、攻撃する意図が無いのを示す。

 そして船橋の防弾板を開けてこちらを注視している大井艇長殿に「微速前進、お願いします!」と指示を叫ぶ。


 交渉役の乗った和船と装甲艇とはジリジリと前進し、互いに1隻ずつで横付けとなって、両軍の中央位置に止まった。

 和船のお侍は装甲艇の外観に驚いているようなんだけど、平静さを保って中国語で何かを語りかけてきた。たぶん「お前ら、何者だ?」とか「異国船は立ち去れ。」なんていう内容なのだろうけど、漢字で書いてあるプラカードならともかく、話し言葉でこられると今イチ僕には聞き取れない。

 こんな事になるんだったら、雛竜先生か英玉さんから『初歩の明国語会話~挨拶編』くらい受けておけば良かったよ……。


 僕がオドオドしていて中国語が分からないとみるや、交渉役のお侍は、今度はドイツ語っぽい言語で話し掛けてきた。かなりセッカチな人みたい。

 この場でドイツ語はナイだろうから、オランダ語なんだろう。出島のある長崎近辺には、いわゆる南蛮船もやってくるわけだからね。

 しかし、見るからに東洋人の小僧相手にオランダ語かよ……。


 「イッヒ シュプレッヒェ ニヒト ネーデルランデ。……あの~、日本語でお願いできませんか?」

 僕は仕方なく、怪しいドイツ語でオランダ語が話せないのを説明してから、日本語で会話を行ってくれるよう、お侍にお願いする。お侍さんから緊張感がヒシヒシと伝わってくるから、それに引きずられて、こっちも頓珍漢とんちんかんな応対になっちゃったんだよ。

 ドイツ語とオランダ語とは非常に似ていて方言の違いみたいなもんだ、というのをどこかで読んだ気がするからで、もしかしたら通じるかもとの窮余の一策だ。だけど先方のオランダ語を聞いても、僕にはチンプンカンプンなんだから、僕が実験室で放線菌の培養操作するついでに中谷先生から稽古を付けてもらった、カタカナ発音の似非えせドイツ語が通用するとは思えないんだけどね……。

 長崎(というか佐賀の飛び地)遠征なのに、初手が中国語やらオランダ語やらでの会話になるなんて、全くの想定外なのだもの。


 「なんとっ! やまと言葉を解するのか?!」

 お侍は大げさ(に見える感じ)に驚いてバランスを崩し、和船が大きく揺れる。同乗の鉄砲足軽の皆さんが慌ててお侍の身体を支えたから、大事には至らなかったけど。

 小舟の上で急に片方に重心をかけるのはアカンことくらい、承知してなきゃなんないだろうに。

 「はあ。生まれも育ちも佐賀の学生です。基本、日本語以外は話せません。」


 「学僧なのか? その出で立ち、まるで僧侶には見えぬが。」

 セッカチな交渉役のお侍は『学生』を『学僧』と聞き間違えたみたい。ちょっと交渉役としてはメンドクサイ人だ。


 「えーと、学僧ではなく学生、高等学校という学問所で……」

 「なに! 僧籍にあらず、また士分でもない者が出て来たのか? そのほうら、我らを愚弄ぐろうしておるのか!」

 交渉役のお侍は、僕の説明を訊き終えずに途中からツッコミを入れてきて、しかも逆上している。

 ホントなんなんだよ、このヒト。佐賀藩は何でこんなポンコツを送って来たのだろうか。


 「士分ではありませんが、帝国陸軍船舶部隊の『お雇い』です。」

 僕は背筋を伸ばして相手をにらみつけると、威厳を感じさせるような発声で自分の身分の説明をする。(口調は奥村少佐殿のモノマネだ。)

みかどを頂点にいただく皇国の軍勢に奉職している者に対し、ワタクシの役職を訊ねもせず、一方的に士分でないことを理由に馬鹿にするとは、天朝様に対して不敬というものでありましょう。その方、朝廷に従わぬ逆賊のか? 朝敵の一味であると申すか!」

 数字の上だけだけど軍から俸給も貰っているし、配給も受けているんだから一応ウソは言っていない。ちょっと話を盛ってはいるけど。

 時代は三代将軍家光の時だから、権力は徳川家が掌握しているのだけれど、権威は朝廷の方が上であることは教養人なら知識としては承知しているはず。織田・豊臣政権期に、そのコンセンサスは日本全国的に再確認されたのだから。

 この人、中国語もオランダ語もしゃべれるんだから、教養はあるはずなんだよ。


 案のじょう、僕の尋問に交渉役は面喰めんくらったみたいで

「そっ、その方が、偽官軍にせかんぐんでないという証拠は?」

と、急に勢いを失った。焦ってる、焦ってる!

 まあ、そうなるだろうね。こんなド田舎の無人島に、京の朝廷が巨船を派遣する可能性なんて、考えてもみないだろうからね。

 せいぜい明国や朝鮮国、それにオランダあたりの密輸船ないしは遭難船が、「間違って」漂着や停泊するくらいの想像しかしていなかっただろうから。

 たぶん『皇国』とか『帝国陸軍』とか、聞いたことのない単語に戸惑ってはいるに違いないんだけど、『逆賊』とか『朝敵』という単語には滅茶苦茶インパクトが有ったのに違いない。

 『朝敵』認定されれば、江戸幕府からも各藩をこぞった追討ついとうの大軍勢が出されちゃうかも知れないわけで。

 それに彼が知らないであろう『帝国陸軍』という単語をえて使ったのは、知識人・教養人である「はず」の彼に、僕を「自分が知らない知識を有している人物である」と認識させてプレッシャーを与えるためだ。

 皮肉なことに「知識人ほど未知の知識を披露されるとひるんでしまう」傾向がある。全員がではないよ。一般的に、だ。

 自分の事を無知・無学と自任している人物ならば「知らねえよ、そんなモン!」で済ませてしまえるような事でも、知識人にはプライドが邪魔をして、簡単に「そんなん、知らんがな。」とは言い辛くなってしまうのが普通だ。

 (そう考えると、御蔵島で出会った人たちや、雛竜先生・藤左ヱ門さんが、並みの知識人・教養人とは段違いに「凄みのある」クレバーな人物であることが良く分かる。)


 「かの旗を御覧あれ。」と、僕は海津丸のマストを指差す。「官軍の御印みじるし、畏れ多くも錦旗きんきにて御座います。」

 海津丸には、陣の浜の館跡から出土した旗のコピーが翻っている。

 発掘品は、南北朝時代の南朝側か、後南朝の有力者が室町幕府追討のために密かに用意した『非公認』のものなのだろうと推測しているんだけど、単なる昨日今日製作されたレプリカとはモノが違う。それなりに歴史を感じさせる逸品だ。

 そのまま船のマストに掲げるのは、畏れ多いのと棄損したらマズいという理由から、衣料廠が複製を手掛けていたんだけれども、今回の遠征までには刺繍が間に合わなくて、結局電算室のコピー機でカラーコピーを作り絹布に貼り付けるという方法で作成したものである。だから遠目には、新品レプリカよりも古びた感じが出ていて、きらびやかさは無いけど時を経た威厳が出ているように見えるんだ。――まあ少なくとも、僕はそんな風に感じている。


 足軽たちは、逆賊とか朝敵というセリフにザワついてパニック寸前なんだけど

「むう……何やら有り難そうな……。しかし、この距離ではよく分からぬ。」

と、お侍は、目を細めて錦旗のカラーコピーを凝視し、そんな感想を呟いた。

 ――ふぅん。このお侍、ただの軽躁なポンコツってわけではないみたい。

 考えてみれば、この異常なシチュエーションでも自分を保つことができ、先陣を切って正体不明の異邦人相手に交渉に出て来ようというくらいの人物なのだから、単に知識人というだけではなくて肝も据わっている人なんだ。


 「あ、見えにくいですか? これ、使って下さい。」

と、僕は首から下げていた双眼鏡を渡す。

 お侍はオッカナビックリ双眼鏡を受け取ると「ややっ! 双眼の遠眼鏡とおめがねか。」といじくり回してみたが、外筒を伸縮させてピントを調整する望遠鏡とは勝手かってが違って上手く扱えない模様もよう

 「まず、双眼鏡を顔の幅に伸縮させてから、中央のツマミを回転させて焦点を合わせてください。右目と左目の視力が違って像が見えにくい場合には、左レンズの手元側に調整ツマミがあるから……そう、そう。それで良く見えるようになったはずです。脇を締めて、視界がブレないようにして。ハイ! どうです?」

 僕は細かな指示を出して、お侍に双眼鏡の使い方をレクチャーする。

 お侍も「フム、フム。複雑なカラクリなれど、よう出来ておるではないか! まるで手に取るかのように、遠方の細かなものが見える、見えるぞ!」と野母崎の方を眺めて、軍用双眼鏡の威力を確認した。「やあ、野次馬が集まっておるなぁ!」


 「野次馬見物は後にして、錦旗の確認からお願いしますよ。」

 僕は、双眼鏡の性能を(立場を忘れて)楽しんでいるお侍に、元来の目的を喚起する。このヒト、当初予想したより好奇心旺盛な人物であるようだ。


 「これは失礼つかまつった。拙者、珍奇なカラクリに目が無いものでな。」

 お侍は良い顔でニッと笑うと、海津丸へと双眼鏡を向けた。「むむっ。確かに、かの旗には菊の御紋が見て取れる。」

 「でしょう。我々に下賜かし下された、官軍のあかしです。これでもまだ、お疑いになりますか?」


 僕はファースト・コンタクトの成功を確信し

「それでは互いの身分と立場を明かして、今後の話を始めませんか? お願いしたい事なども有りますので。」

と交渉に移ろうとした。

 けれど、お侍は「待て。」と僕の言葉を制すると

「確かに、かの旗は錦旗なのやも知れぬが、それならば何故なにゆえ官軍の船に異人が乗っておるのだ?」

と顔色を変えた。

 「ええっ!」僕は驚いてお侍から双眼鏡を奪い返し、慌てて海津丸を見る。


 なんと海津丸の前方甲板から手すりにもたれて身を乗り出し、こっちに向かって暢気に手を振っているのはスミス准尉じゃないか!

 長い脚を剥き出しにした船内着姿で、目立つ金髪を潮風になびかせているっていう……。


 さて、どう言い抜ける?


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