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ハシマ7 ハシマ作戦TF-H1参加船舶と作戦の目論見の件

 昼食を終えて船室に戻っても、まだ寝るわけにはいかない。

 船の運航は軍属のプロの船員さんたちが担当してくれているし、両舷の見張り任務は免除されているのだけれど、出航間際になって「やっぱり佐賀鍋島藩の旗は作っておいた方が良いね。」と早良中尉殿が言い出していたからだ。

 「御蔵神社の土中に収められていた錦旗きんきは、文字通りに僕たちの『にしき御旗みはた』であるとしてもだ、高島に詰めている佐賀藩の外国船警固番役が錦旗の何たるかを解しているかどうかは不明だよね。なんといっても、まだ徳川三代将軍の時代なんだからねぇ。――それだったら、佐賀藩の人間に先制攻撃を躊躇ためらわさせるためには、佐賀藩の旗を用意しておいた方が良いと考えた方が良くないかい?」


 今回の遠征では、早良中尉殿が(運行系を除く)夕潮の作戦・戦闘部隊長を務める。神出鬼没しんしゅつきぼつの中尉殿はいつの間にか舟山島から戻ってきていたんだ。

 これは石田さんも一緒で、「お久しぶりです。お元気そうで何より。」と真面目な顔で再会の挨拶をしてくれた後、「お久しぶり、と言うのは変ですね。そう日も経っていないのに。」と顔をほころばせた。

 まあ飛行機だと、御蔵島と舟山島はちょっとの距離しかないから、急に姿を現しても不思議でもなんでもない。

 石田さんは早良中尉殿付きで仕事をするという事だけど、見慣れた婦人部隊員スーツではなく、彼女も例の『船内着』を着用しているから、短パンから長い脚をニュッと突き出しているのが色っぽく見えて、なかなか面映おもはゆい。

(岸峰さんや雪ちゃん、座敷童の古賀さんが電算室で寝る時の服装は見慣れているから、それよりもキワドイのかと問われたら、そうでもないのだけれど――ホラ、なんだ……刺激には慣れがあるっていうか、ね?)


 ちなみに夕潮の砲兵長はウィンゲート少尉殿で、主に重火器の105㎜砲と20㎜機関砲、それに150㎜迫撃砲を指揮する。

 50口径M2や重擲弾筒、それに僕らの水島軽機関銃小隊を統合指揮するのが、軍曹に昇進した尾形さん。沈着冷静なベテランだかし、転移当初からお世話になっいる関係もあって、なんとも心強い。

 水上偵察機を操るのは笠原少尉殿だ。(顔なじみの池永少尉殿は、立花少尉殿と一緒に舟艇母船の海津丸に乗っている。端島や高島では会う機会もあるだろう。)

 夕潮搭載の、高速艇甲型104号艇の艇長は小林艇長殿。

 同じく装甲艇(AB艇)艇長は大井艇長殿。

 お二方とも「御蔵島沖遭遇戦」以来、多くの作戦に参加されて乗組員ともども経験豊富な方々だ。岸峰さんは初めて彼らに挨拶をしたのだけれど、僕は北門島作戦の時にお会いしていたから、既に面識は有った。

 高速艇乙型O-22号艇の艇長が篠原艇長殿。「水上交通遮断作戦」以降、ずっと杭州湾を駆け回っていらした猛者で、今回初めてお会いしたのだけど「陸に上がっるたびに、むさぼるように新聞映像を読むのが楽しみでしたよ。」と愉快そうに挨拶してもらえた。


 今回の端島遠征は、当初の仮称『石炭ドロボウ作戦』ではあまりに人聞きが悪いという理由で、『ハシマ作戦』と命名され、参加するのは夕潮の他に舟艇母船「海津丸」で、その海津丸が旗艦となる。(陸軍船なんで厳密にいえば『艦』ではないのだけれど、フラッグ・シップという意味だ。)

 艦隊司令というべきか提督というべきか、遠征隊司令の任務に就くのは奥村少佐殿。

 池永少尉殿と立花少尉殿が海津丸に乗っていらっしゃるのは前述したけれど、あちらにはオキモト少尉殿やスミス准尉殿もおられるとのことだ。

 日系人で見た目に(たぶん高島の役人にも)違和感が無いオキモト少尉殿はともかく、金髪のスミス准尉殿は(日本語ペラペラだけど)上陸したら凄く目立ってしまいそうな気がする……。


 海津丸に載せている車両はブルドーザーやバックホウ、ダンプトラックが主体で、武装した装甲車両は排土板付チハと履帯式被牽引車を牽引するテケだけと採掘任務に徹底している。

 掘り出した石炭は、後から合流するバルク積みの輸送船に積み込む予定だ。

 だから端島遠征船団TF-H1は、先行する海津丸と夕潮に、合流予定の武装フェリー早瀬(498t)にバルク積み輸送船を加えた計4隻という事になる。

 採掘が順調に進めば、早瀬と同型の音戸が別の輸送船や油槽船を率いて更に合流する計画だから、隻数が増える予定ではある。


 一度にそれらの船舶を全投入しなかったのは、仮に深刻な対立が現地の『お役人様』との間で発生した時に、貴重な備蓄燃料が無駄にならないとも限らないからで、そんな場合にはターゲットを福岡藩の姪浜めいのはま炭田や西戸崎さいとざき炭田に変更する代案もあるからだ。

 海の中道にある西戸崎炭田には、直ぐ近くに和白わじろの砂鉄鉱山も存在するから、最初からそちらを開発した方が良いのではという意見もあったんだ。


 けれども佐賀藩は36万石弱の大藩なのに、複雑な内部事情から鍋島本家の所領が実質6万石くらいしかないという状況なので、52万石を丸々固めている黒田氏の福岡藩より「くみし易い」のではないかという読みからターゲットに選ばれたというわけだ。

 ブッチャケた話をすると、江戸時代前期の佐賀藩は幕末の鍋島本家がガッチリ藩内を掌握していた時とは違い

●鍋島本家

●支藩(蓮池・小城おぎ・鹿島)

●庶流(白石・川久保・村田・久保田)

が、藩内での発言力を高めるために半ば独自に幕府や朝廷に工作を行っていたという裏事情がある上、旧宗家だった龍造寺りゅうぞうじ家も4派に分かれて影響力を行使していたというね……。

(ちなみに龍造寺4分家というのが多久たく武雄たけお諫早いさはや・須古の4家。)


 そのために『鍋島の化け猫騒動』なる怪談仕立ての御家騒動が発生したりしたんだ。

 リアル御家騒動だと、藩取り潰しや国替えみたいな「誰も勝者の無いバッドエンド」で終わるリスクが高いから、恥を忍んで「これは妖怪がらみの怪しい出来事なんですよ~!」と収めたわけで。


 こんな状態だから、佐賀藩領に佐賀藩御用船を名乗る謎の巨船が現れたら、現場で対応せざるを得ない行政職の役人も「後ろに控えているのが何者なのか、判明するまでは下手に手出しが出来ない!」って、取りあえず模様眺めに逃げそうなモンでしょうからね。

 で、上の方へ問い合わせやら、各派閥の長に探りを入れている間に、ガンガン既成事実化を進めてしまうというコン・ゲームみたいなハシマ作戦発動に至ったのでありますな。




 鍋島家の家紋は『杏葉』という、丸に歪んだソフトクリーム(あるいは曲がったタケノコ)が二本並んだような紋。

 これを厚紙に鉛筆書きしてから、切り出し小刀で切り抜いてマスク部分を作り、旗材の白布の上に置いてから霧吹きで墨汁を噴きつける。


 一応、遠目で見たらそれっぽく見えるであろう旗印の完成だけど、一枚だけで終わりじゃない。

 大小の杏葉旗を作りながら、岸峰さんが

「これ、『丸に十の字』だったら楽なのに!」

とコボした愚痴はもっともだけど、端島に薩摩藩旗を掲げて乗り込むわけにはいくまいしねぇ……。


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