寧波攻略戦3
まだ東の空が白み始めたばかりという時間であるのだが、舟山空港は既に活気に包まれていた。
滑走路に並ぶ8機の98式直接共同偵察機の周りには、整備兵が取り付いて250㎏爆弾の搭載とエンジンの最終チェックが行われていたからだ。
幸い日頃から念入りに整備されている機体には、全機ともに異常が認められず脱落機は皆無。
念のためにと用意されていた予備機3機には出撃機会は無い。
「どうする? せっかく持って来た機体だ。残り3機も連れて行くかい?」
加山少佐は攻撃隊を率いる江藤大尉に意向を確認してみた。
「連れて行ったら、搭載する25番(250㎏爆弾)は落としてこなきゃなりません。なかなか無い機会なんで、搭乗員に経験させてやりたい気持ちはあるんですが、値が張る25番が勿体無くない、と言えばウソになります。」
江藤大尉は飛行帽を外すと頭を掻いて「一次攻撃隊からは外します。二次攻撃の必要ありと判断した場合にのみ、要請を出しますから飛ばしてやって下さい。」と結論した。「これが砂利弾やソーダ水なら惜しくはないのですが。」
「うん、分かった。」
加山少佐も大尉の決断に理解を示し、一時攻撃隊は予定通り8機の編隊で寧波の政庁社殿を急襲するのに同意した。
寧波市街南方に野戦陣を張った「今関羽」こと関仁将軍は、夜明け直ぐから望楼の建設現場を視察していた。
市街と郊外を隔てる外濠兼小運河からは4里(1,600m)ほど離れた位置である。
寧波市攻略用に築く付城にしては、いささか距離を開け過ぎた縄張りのようにも思えるが、御蔵勢の先導は、この場所を指定してきたのだ。
まだ柱を組むための土塁を固めている状態だから、工事現場には人手こそ多く出ているが望楼そのものは影も形も無い。
物見櫓の建築用木材は御蔵勢が自走荷車で運んでくるとかで、まだ調達出来ていないから建設現場に存在するのは今のところ単なる土盛りの小山である。
昨日目にした寧波港の工事現場では、御蔵勢の『ぶるどーざー』や『ばっくほう』なる鉄獣が、人に替わって盛んに土砂を押し退け・盛り上げしていたが、南明軍にはその様な便利至極の使役獣は居ないので、全てを人力で行わなくてはならない。人海戦術でモッコに土を盛り、担ぎ上げるしか方法が無いから篝火を盛んに焚いて夜間作業を行っていたのだ。
辺りが少しずつ明るくなってくる中、篝火の数も減りつつある。
車騎将軍様からは、『作業は交代制で行い、無理をせず充分に休憩を採りながら進めるように』という指示が、無線なるカラクリを通じて伝達されてはいたが、そのカラクリの仕組みもよく分からないものなのだ。
なるほどその後に、無線による指示より大幅に遅れて日没後に到着した騎馬伝令は、同じ内容の文書を携えていたのだが、早馬より何倍も早く命令が届くというのは、あたかも神仙が使う秘技のようにさえ思える。
今度の寧波攻めは、今までの臨海攻めや奉化攻めとは違い、呉三桂という難敵相手の『城攻め』だから、容易に開城の誘いに乗るとも思えず、正攻法での攻撃方法を採らざるを得ないのだろう。車騎将軍様は腰を据えての攻略を試みられるようだ。
但し、今は鳴りを潜めて壁の向こうに閉じこもっている敵守兵だが、何時、扉を開いて飛び出してくるのかは見当も付かない。
また上虞から出撃した清国の援兵が、寧波に迫っているやも知れないという可能性が、市街南側で寧波と対陣する関仁らにとっては懸念材料だった。
仮に西から清国軍の援兵が寄せてくれば、守兵もそれに呼応して、この陣を西と北から挟撃するであろう。
それで付城建設を「急がずともよい」と指示されていても、将兵共に交代にでも寝る気にもなれないのであった。
――皆、夜を徹して頑張ってはいるが、遅々として進んでおらんようにしか見えん。
関仁には、その様な感想を持つことすらが、実は自軍や配下に対しての不当な評価であることくらい解ってはいる。
御蔵勢の所有している『機械化力』というモノ自体が、丸でこの世のものではない神仙や化け物の操る魔術のようなモノで、自軍にも清国軍にも手に入れるのが不可能なチカラなのだ。
――とにかく、御蔵勢が南明に味方してくれていて良かった!
猛将「今関羽」にも、仮に御蔵勢と敵対することになった場合には、どのように戦えば良いのか見当も付かなかったのだった。
「関将軍様! 車騎将軍様から、新たな指示が届きました!」
馬を飛ばして関仁のもとに駆け付けてきたのは、御蔵勢の「通信隊」という小班に属している通辞役だ。
この戦役が始まってから早くに御蔵勢と行動を共にしている明国人で、「蓬莱兵」なる隊に属している者の一人だ。出自は舟山群島に割拠していた海賊であると聞いている。
関仁も鄭芝龍軍(その前は監国率いる温州兵軍団)に投降する以前には、一時的にとはいえ山賊の真似事をやっていた過去が有るから、この通辞役に含む処は無い。
「車騎将軍様は何と?」
関仁の問い掛けに、通辞役は日本文字で書かれた紙を取り出すと
「『市中で騒ぎが起きようと、別命有るまで静観すべし』との事です。」
と復命した。
――何やら意味有り気な指示である事よ。
指示を伝えに来た通辞役も、同じ感想を持ったものらしい。関仁の顔に浮かんだ表情を見て取って
「近々、大きな動きがある、という意味でしょう。――それに惑わされるな、軽挙は慎め、という念押しか、と。」
と意見を述べた。
「よし分かった。徹底させよう。主だった者を集めて、車騎将軍様からの命令を徹底する。」
関仁は伝令を散らして、配下の諸将を呼びに行かせた。
だが『動き』は唐突にやってきた。
次々に舟山空港を離陸した98式直接共同偵察機は、舟山島上空を旋回しながら江藤機を先頭に菱形の編隊を組んだ。
そして東の水平線から上がる太陽を背に甬江河口に達すると、低い飛行高度を保って河を西へと辿った。
市街北側に達した処で、江藤は編隊を南向きに変針させる。
甬江運河が眼下から消え、爆撃隊は一気に寧波市街と郊外とを隔てる壁を越えた。
市街北側で守りを固めていた清国兵が狼狽えている姿が、一瞬だけ大尉の目に映ったが、彼らは時速349㎞の最大戦速で飛行している爆撃隊相手に有効な反撃手段を持っていない。
防空効果が見込める可能性のある、砂利弾を一度に空へ放つための防空カタパルト群を、呉三桂将軍が市の北側ではなく西門付近に、東の空へ向けて配備しているのは既に偵察済みなのだ。
仮に清国軍が、鏃に毒を塗った火箭(ロケット矢)を多連装発射筒で乱射してきても、座席が風防に覆われている98式に搭乗している限り脅威にはならない。火薬推進式の火箭は、飛翔距離こそ長いものの貫通力は通常のロングボウより遥かに劣るからだ。
江藤大尉の目が、市街中央の内濠で隔てられた一角を捉えた。
贅を尽くした宮殿風の建造物が、その中央に位置している。
寧波の心臓部、呉三桂が籠る政庁である。
「宣候、宣候。」
大尉は無線に呟きながら間を詰める。編隊は一糸乱れず江藤機に追従している。
この襲撃に高高度からの緩降下爆撃を選ばなかったのは、政庁社殿の中に居る者たちに、避難の余裕を与えず確実に仕留めるため。
海軍の雷撃ほど低空を飛ぶわけではないが、250㎏爆弾が爆弾架を離れて地表に達するまでの時間を短くするためだ。
「用意!」
江藤大尉が編隊に爆弾投下準備の号令をかける。爆撃用の照準器は使わない。
投下された25番が地面に落下するまでの水平方向への慣性移動距離は、熟練者の勘である。
「てっ!」
投下命令を発すると同時に、投下ハンドルを引く。
8機の98式から、腹に抱いた250㎏爆弾が同時に投射される。
編隊は爆弾の重みから解放されて、そのまま一気に内濠に守られた一角を飛び越える。
市街南側の壁と外濠とが迫って来た時、江藤大尉は背後から腹に響く爆発の轟音を感じた。
「見事なものだ。あそこに居て、無事に済んだ者はおらんだろうな。」
趙は94式偵察機の偵察席から、機長の轟中尉に語りかけた。
彼らは効果判定のために、寧波滑走路から出撃して上空待機していたのだ。
8機の98式から水平投下された爆弾は、編隊の隊形そのままに政庁社区画に着弾し、空に達する爆炎を噴き上げた。
土煙の中に、脆くも崩れ落ちた宮殿の残骸が見える。
爆圧は付帯する建造物や、区画内にある東屋のような物まで破壊し尽し、寧波防衛部隊の頭脳を切り落としてしまったのは明らかだった。
「作戦は成功と踏んで間違い無い?」
中尉の質問に趙は「まず、十中八九。」と答える。「ただし政庁社から離れた場所で、美妓とヨロシクやっていた、などと云う事が無いとは限らない。……まあ、軍律に厳しい呉三桂だ。車騎将軍の軍勢に囲まれている最中に、指揮権を他人に預けるようなマネはしないとは思うがね。」
「よし。それでは市街の上を飛ぶから、後席からビラを撒いてくれ。」
轟は市街の中へ94式偵察機を進入させると、趙に降伏勧告文の散布を依頼した。
「呉将軍が健在ならば、清国軍は抵抗の意思を堅持したままだろうが、指揮を執れない状態になっていれば、降伏なり退却なりの動きを見せるはずだ。」




