寧波攻略戦1
前進司令部での会談を終えた鄭芝龍は、ハミルトンの勧めもあって舟山まで足を伸ばしてみることとなった。
移動手段は航空機である。台州から移動してきた轟中尉が、その任にあたるのだ。
轟中尉の飛行隊は、台州飛行場で若輩者の訓練も兼ねて臨海・天台などの哨戒を行っていたのだが、奉化を鄭芝龍が、そして天台を魯王の軍が占領した事により、ほぼその役目を終えた。
それで予定よりも早かったが、基地を畳むことになったのだった。
滑走路跡のスペースは馬や山羊の放牧場として利用する。再度航空機が進出する必要が生じれば、それらの家畜を移動させるだけでよいから、合理的な有効利用である。
機材や基地要員、守備隊は船で引き揚げるが、航空機は空路で移動する方が雑作も無い。それで轟中尉以下のパイロットは、車騎将軍に先回りして寧波飛行場に到着していたのだった。
寧波飛行場でスタンバイしていた機体は、鄭芝龍が見慣れた優雅な二枚羽根の『凧』ではなく、キャノピーの輝きに精悍さを感じさせる単葉機――98式直接共同偵察機――だった。
軽爆弾しか積めない94式偵察機とは違い、25番(250㎏爆弾)も搭載可能な、偵察兼対地攻撃用複座機である。
轟と鄭とは、すでに台州で顔を合わせていたから簡単な挨拶を交わすと、直ぐに支度に入った。
「閣下、この飛行衣にお着換え下さい。」
轟が鄭芝龍に差し出したのは、陸軍航空隊の飛行服と飛行帽である。
「あちらには、負傷して捕らえられた清国人が大勢いる状態でありまして。まさか閣下を狙うようなことは無いかと思いますが、日本軍の飛行衣に着替えていた方が、よもやの危険は少ないでしょう。閣下は日本語を流暢に話されますから、閣下であると気付かれる心配も少なかろうと考えます。」
「なるほど。『凧』の操り手として、お国の兵に紛れるわけですか。それならば、舟山のどこを自由に出歩いていても不審がられることが無さそうだ。……面白い趣向ですな。」
貨物船でデリックの操作に興じたこともある鄭芝龍は、飛行士の格好で舟山島に乗り込むことに、解放感と愉快さとを感じていたのだ。
寧波飛行場から舟山空港までは、98式直協機では20分も掛からない。
鄭芝龍は離陸してから空の旅を充分に堪能する暇も無く、気が付けば機は着陸態勢に入っている。
着陸する直前には、見た事も無い巨大な砲が2門、丘の上で西の方角を睨んでいるのが見えた。
空港には儀仗兵の整列などこそ無かったが、鄭芝龍を高坂中佐自らが待ち構えていた。
「車騎将軍閣下、お目にかかれて光栄です。……その……明国の言葉を使えないものですから、日本語で失礼いたします。」
挙手の礼で出迎えた中佐に、芝龍は右手を差し出した。近頃覚えた『しぇいくはんど』の礼で応えるためだ。
「御蔵勢の総帥、高坂中佐閣下であられますな。御雷名は、かねがねお伺いしております。平戸で長く暮らしていましたから、日本の言葉は分かります。そのままで結構ですよ。」
現明国車騎将軍は如才ない。「この世のものとは思えないほどの恐るべき軍勢を、自在に統率しておいでの総大将だ。この度の援明御助力には、言葉に尽くせないほど感謝しております。」
「恐縮です。一応、御蔵軍の代表をしてはおりますが、自分は経理担当の事務屋に過ぎません。部下に恵まれているだけです。」
「経理担当の事務屋?」聞き慣れない単語に芝龍が首を傾げる。
中佐は「ああ、失礼いたしました。」と頭を下げると「商家の番頭のようなもの、とご理解下さい。」と付け足す。
「なるほど。それで決断が早くていらっしゃる訳だ。」気さくな車騎将軍は破顔した。「いや自分も長らく商人をやっておりましたから、機を掴むには流れを失ってはならぬというのは存じております。」
そして意味有り気に「……それと、相手との信義が重要という事も。」と付け加える。
「御説のとおり。」中佐は車騎将軍をジープに誘った。
鄭芝龍を助手席に座らせると、ハンドルは自分で握る。「寧波攻めの段取りを詰めましょう。」
前後を側車付自動二輪が護衛するという簡素な隊列で、両将が乗るジープは旧清朝屋敷に到着した。
会談の場に充てられたのは二階の客室で、加山少佐と江藤大尉、それに早良中尉も同席している。
壁には引き伸ばされた寧波市街の写真が掛かっていた。
高坂中佐が車騎将軍を主賓席にエスコートすると、紅茶と軽食が運ばれてきた。
イタリア系米国人が焼いたピザと、日本式塩むすびにクラブハウス・サンドイッチといった、会話を続けながら手で摘めるメニューである。
給仕役を務めるのは、滋養亭の女給制服に身を包んだ石田准尉。
「それでは始めます。」
写真の前に立った早良中尉が、車騎将軍に深々と一礼してから話を切り出す。
「趙大人の報告から、守将は呉三桂将軍であることが判明しております。市内では徹底した反乱分子の摘発が行われており、台州で用いたような降伏勧告による無血開城を期待するには難しい状況です。」
そして現在の清朝側の兵力配置を説明する。
「ご覧いただくと判るように、現在は港側に厚く兵を置いているようですが、他方面の備えにも手を拱いてはいません。ただ市街北側や西側の兵は装備も悪く、正規兵ではなく動員された民兵である可能性があります。また騎兵戦力は、先日の突出攻撃で大きな被害を出したために500騎ほどに減っており、市街中央の政庁社殿付近に集結させているようです。戦闘が始まれば、遊軍として苦戦中の戦域に投入するためでしょう。」
「呉三桂……。死なすには惜しい男なのだが、取り除かねば両軍共に、多くの血を流さねばなりますまい。」
鄭芝龍は慎重に言葉を選んで意見を述べる。「御蔵勢がお持ちの手榴弾を、凧を使って空から呉三桂の籠る政庁社殿に投げ入れることが出来れば、犠牲が少なくて済みましょう。彼奴さえ居なくなれば、籠城側には長く持ち堪える気力も尽きましょうから。……ただ問題は、呉三桂が社殿の奥深くに籠っておれば、手榴弾の爆裂で屠れるかどうかが難しかろうという事です。」
「私も同意見です。呉将軍に退場いただかねば、戦いは長く続き貴重な人命が多数失われることでしょう。」高坂中佐も、呉三桂をピンポイントで狙うという、鄭芝龍の提案を支持する。「これには航空爆弾というものを使ってみれば、何とかなるだろうと考えます。」
「ほう。航空爆弾?」鄭芝龍が訊き返す。「それを使えば、窓から室内奥深くにまで、破裂の威力が上手く伝わるのですかな?」
「建屋ごと吹き飛ばします。」
この疑問に回答したのは江藤大尉だ。
「98式25番陸用爆弾は炸薬量が96.6㎏。97式手榴弾の炸薬量65gの、およそ1,500倍です。また爆弾自体の重量も242㎏あり、降下時の運動エネルギーも威力に加算されますから、40㎝厚のベトン――ええと、1尺5寸の厚みのある鉄筋入り石板――をブチ抜いてしまう威力です。」
「閣下が先ほどお乗りになった98式直協機には、この航空爆弾が一発ずつ積み込めます。」
高坂中佐が後を続ける。「この機を、8機出撃させます。呉三桂将軍が社殿に籠っていたなら、今後相対する事は無いでしょう。」
鄭芝龍は軍議にも、また初めて食べたピザの味にも、至極満足したようだった。




