合流4
「車騎将軍様、これを。」
武官が鄭芝龍に手渡したのは、先ほど『凧』が奉化城にバラ撒いた文の一枚で、読むと
『寧波の守将が、何度も寧波城と寧波港に兵を送り込んで来るので、その度に我が勢の反撃により清国兵が大勢戦死して不憫である。それで兵を送り込むことが出来ないように、寧波城は消してしまった。それ故、諸君らが寧波港で我が勢に降伏しようとしても、誠に恐縮なことに我らには諸君らを収容する余裕が無い。よって降伏の意思あらば、速やかに明国車騎将軍閣下に対して降伏の意を示されたい。なお、奉化城から寧波市街までの道のりは、遠くはないが近くもないので、充分に休養を取ってから出発されるのが宜しかろう。老婆心ながら御忠告まで。』
とフザケた内容が認めてある。
武官が「寧波城を消した、とありますが……御蔵勢は何をやったのでございましょうな?」と問いかけると、鄭芝龍は今にも噴き出しそうな表情で
「消したと言うからには、本当に消してしまったのであろうよ。コケ脅しなどではあるまい。……さて、城の接収の準備でも整えるか。奉化の守将も、さすがに度肝を抜かれたであろうしな。」
と、攻城側の主だった者を集めに伝令を走らせた。
奉化城の城門が開いて、降伏の軍使が姿を見せるまでに、そう時間は掛からなかった。
奉化で全軍に休養を与えた鄭芝龍が、寧波に向けての出発を命じたのは2日後のことである。
その間、象山と寧海から、御蔵勢の鉄船が荷物の受け取りに到着した、との早馬が到着している。
清国勢力が降伏して、流賊・匪賊も続々と南明朝に忠誠を誓って傘下に駆け付けている状態だから、各都市間の連絡網(早馬による駅伝)も順調に回復してきているのだ。
それでも芝龍は「御蔵勢の連絡の速さの足元にも及ばない。」と云う事を知っている。
何しろ寧波港へ使いに出した騎馬隊が、ようやっと首尾の報告に戻って来たばかり、という状況なのだ。
寧波港の御蔵勢は、使いに出した鄭隆配下の者と会見するなり、即座に無線電信で鉄船の派遣を手配したのだろう。
船の速度の差もさることながら、その連絡の早さこそが御蔵勢の力を際立ったものにしているのだ。
ただ使者に出した典隊長の帰還が遅れたのには、芝龍が訊いてみて、それなりに尤もだと納得できる理由が無いわけではなかった。
騎乗兵ばかり120騎ほどで出発したはずの典隊長だったが、戻って来た時には兵が1,000ほどにまで膨れ上がっていた上、山中に避難していた民を2,700人ほど伴っていたからだ。
増えた員数は、行き場を失って野山に隠れていた者たちで、初めに清国と御蔵勢との戦いが始まった場所だから、その人数も多かったのだ。
典の一行が掲げた『明』や『鄭』の旗や幟を見て、「地獄に仏」とばかりに縋ってきた者たちだったから、典は今後同地を明国領として固めるためには同行を断れなかった。
直ぐに車騎将軍様の軍がこの地に入り治安も回復するから、と説諭しても「それでも」と重ねて嘆願された者には、それ以上の強い拒絶が出来なかったのである。
彼は――面構えこそ鍾馗様のように厳ついが――基本的に優しい漢なのである。
往路の時は趙がいて「任務優先」で、同じく避難民と遭遇しても、脚が遅くなる騎馬でない者の同行を断ったのだが、復路は典が全指揮権を握っている。
同行していた趙は、手下を連れて寧波市街の情報を探りに潜入していたし、小倉藤左ヱ門は舟山に赴いて、温州・台州と苦楽を共にし肝胆相照らした加山将軍と、寧波攻めの協議をしていた。
典は痩せ細った避難者をそのままには捨て置けず、当座の手当に手持ちの糧食などを分け与え、不足分は寧波港まで早馬を出して、御蔵勢に避難民あての糧食を乞うことまで試みている。
快諾した御蔵勢は、自動貨車で穀物など食糧を運ぶとともに、戻り車では幼い子供を持つ親子連れの避難民を引き取っていったから、乳幼児を連れ回さずに済んだことにだけは典もホッとしていた。
鄭芝龍は典の採った行動を褒め「奉化で難民を安んじて共にしばらく休養を取り、難民の回復を待って後を追うように。急ぐ必要は無し。」と典に命じた。
この様に差配しておけば、芝龍が寧波に進軍する間に出会うであろう民衆には、「奉化の典将軍を頼れ。」と指示するだけでよいから、芝龍隊にとっては行動を制約されることが無くなり、前進が楽になる。
――難民の世話役を典に押し付けることになるが、鄭隆にも同じように甘い処があるから、典はあまり機嫌を悪くしないだろう。
そんな事を考えた上での鄭芝龍の措置である。
事実、奉化の「治世安楽」は流民の間に瞬く間に広がり、避難民を続々と吸収しながら地域一帯の治安向上に寄与する事となった。
「何だか妙な事になった。」と典は頭を抱えたが、鄭隆隊の文官の助けもあり、奉化は戦乱以前の繁栄を取り戻したのだった。
寧波港で車騎将軍を待っていたのは、すっかり変わってしまった港の風景と、大量の補給品である。
凧が撒いた文に記してあったように城塞は姿を消し、港には巨大桟橋が出来ている。
商人船も多数出入りしているようだった。
商人船は温州・台州の商人の物だろう。借り掛けの店舗も既に営業を始めているようだ。
鄭芝龍は諸将に更に兵を進めて寧波市を囲むように命じると、御蔵勢の「前進司令部」天幕に入室した。
二人の紅毛人将軍は車騎将軍に丁寧に礼をすると、早速軍議に入った。軍議には芝龍の腹心の他に、寧波市の偵察から戻った趙と、舟山から帰還した小倉藤左ヱ門も参加している。
「車騎将軍様、寧波の守将は呉三桂にございます。『壁』の守りに失敗した将は、更迭されて応天府(南京)で首になったとの事。」
趙の報告を聞いて、芝龍の部下の間にザワッとした空気が流れた。
「それは大物だ。」鄭芝龍は、そう意外な事ではあるまい、という様に微笑んだ。「台州を失い、また今正に寧波も失おうとしている。清国が切り札を切って来るのは当然であろう。ドド将軍が出て来てもおかしくは無い場面なのだから。」
呉三桂は山海関を守って清の南下を阻止していた明の名将である。
だが李自成の反乱軍が順天府(北京)を陥落させ、順を建国したことで最前線で孤軍となり、清のドルゴンに降伏した。
その後ドルゴンと共に順天府に突入して李自成を敗走させている。
南明朝から見れば、清に寝返った将軍であると共に、明国を滅ぼした順を北京から追い払って「仇を討った」将軍でもあるのである。
「呉将軍を帰服させる芽は有ると思うか?」
鄭芝龍の問い掛けに、趙は即座に「無かろう、と存じます。」と答えた。
「寧波では、呉三桂の指揮で徹底した内通者狩りが行われております。――疑いのある者は即座に捕らえられ、弁明を訊く事も無く首を刎ねられます。」
趙配下の手練れも一人がその網にかかり、脱獄させる間も無く処断されたという。
「流石は、山海関にその人あり、と言われた呉将軍だな。守城戦の要諦を知悉している。」
城というものは、如何に堅固な造りであっても内側からなら容易く陥落する。
内通者や反逆者を出さないことが、防衛の肝であるのだ。
「いや惜しい。実に惜しい。」
鄭芝龍が呉三桂という人材を惜しむこと、尋常では無かった。




