パラ19 現有兵力について議論する件
「それでも御蔵島には、独立混成船舶工兵連隊と、蘭印進駐に向かうオーストラリア陸軍部隊が居るわけですよね? インドネシア全土を押さえるとしたら、蘭印軍の抵抗がほとんど無いと考えても、少なくとも攻略部隊には一個師団の兵を充てても、少なすぎるぐらいだと思いますが。」
僕はその点を質してみずにはいられなかった。
オランダ本国が、既にドイツに降伏しているから、インドネシアのオランダ兵が、オーストラリア軍に向かって死に物狂いの抵抗をするとは思えない。
抵抗があったとしても軽微なものだろう。
けれど、希望的観測で軍事行動を起こす事は、御法度なのだ。
史実では、主要防御拠点のバンドン要塞だけにでも35,000名のオランダ兵が立て籠もっていた。
旅順要塞の6倍の規模を誇るバンドン要塞に拠った、1.5師団分のオランダ兵が消極的にでも抵抗するのであれば、一個師団の全力を挙げて攻撃を行っても、占領は厳しい。
いや、厳しいどころの話では無い。
普通だったら、攻略には数個師団を集中するところだ。
僕たちの知っている歴史では、この要塞は東海林支隊4,000名の攻撃を受けて一週間程度で降伏してしまったから、何となく弱っちい印象が有るけれど、東南アジアのオランダ領全体に睨みを効かせてきた大要塞なのだ。
東海林支隊の攻撃を受けた時にも、カーデン・ロイドM1936「ダッチマン」軽戦車を繰り出して、反撃を試みている。
何と言うか、日本軍の攻撃の方が、無謀で常識外れな訳だ。
ただ、この頃の日本軍は、中国大陸での戦闘で毎度毎度10倍くらいの中国軍と、戦っては追い散らしを繰り返していたから、決死の覚悟ではあっても、心底からは無謀とは思っていなかったのかも知れない。
もっとも、バンドン要塞強襲は、作戦開始前にバダビヤ沖海戦で、第16軍司令部の通信機を積んだ輸送艦が沈没するというアクシデントが有り、東海林支隊が16軍と連絡が取れなくなってしまったために強行したわけで、バダビヤ沖海戦が無かったら、異なる経緯を辿っていたのは間違いない。
しかし、それは「僕たちの」歴史での話であって、こちらの世界の日本軍がそれを「知っている」事は有り得ない。
また、「こちらの世界」の蘭印進駐計画は、日本軍独自の作戦ではなく、オーストラリア軍が主体で日本軍は支援する立場だから、作戦立案には米・豪・日が関わっているはずなので、アメリカ軍式の合理主義に基づいた物量作戦が立てられているのが常識的なところだと思うのだが……。
もしかすると、インドネシアのオランダ軍とは、開戦即時降伏の密約が出来ている状況なのか?
質問に対する江藤大尉の説明は、僕の予想とは全く異なるものだった。
「豪州兵はフイリッピンに居るのだ。ダバオ近郊で、密林戦の習熟演習中でな。帝国海軍の支援戦隊はトラックからパラオに移動して、合流を待っている。御蔵島から出撃する船団は、資材や補給品は載せて行くのだが、兵員はダバオで拾う予定なのだよ。だから、御蔵島にはアメリカ西海岸から大圏航路で送られて来た物資が、山になって呻っているが、兵がいないのだ。」
「なんで、そんな面倒な手順になっているのです?」
「マッカーサーは、仏印進駐と、香港・シンガポールの英国兵のエジプト輸送に、手持ちの船を総動員しなけりゃならんから、蘭印にまで手が回らん。だいたい、ジャワ・スマトラを押さえるのには、マレーとシンガポールの英印兵を使えば一等早いのだが、チャーチルは英国本土防衛で手一杯だから、エジプト経由の兵力で地中海とジブラルタルを確保したいのだ。だから、蘭印作戦が終了したら、チャーチルは北アフリカにも兵をよこせと言ってくるだろうな。アメリカ太平洋艦隊は、主力を大西洋に廻航させるから、ここをインド洋経由での英国支援の兵站基地にする心算だったのだろう。」
「豪州兵が居なくても、ここには独立混成船舶工兵連隊の一個連隊は居るわけでしょう?」
「現在の御蔵島にいる人数というだけなら、師団規模の人数は居るぞ。見ての通りの港湾都市だからな。」
大尉は言葉を切ると、ひとつ大きな溜息を吐いた。
師団規模の兵が居るのであれば、充分なのではないのだろうか?
「『軍港』というのは海軍施設に当たるから、ここは陸軍駐屯地の港湾という建前だが、設備としては海軍工廠並みになっている。それだけに、島にいるのは技術者や工員といった軍属が多い。それに、海軍では艦を操るのは兵だが、陸軍で輸送船の操船を行うのは、兵ではなく軍属の船員なのだ。また、船舶工兵も仕事内容は整備・輸送・揚陸・へん水・管理が主だ。小型艇の操船も行うし、輸送船の自衛火器の操作も行いはするが。」
……2万人ほどの人口の基地だけれど、戦闘任務が専門の人は少ないって事か……。
「『へん水』って、どういう仕事なのですか?」
ここまで大人しく話を聞いていた岸峰さんが、疑問を挿んできた。
「大発みたいな舟艇を、母船から降ろす作業だな。」
大尉の返答に岸峰さんは首を傾げると
「じゃあ、所謂純粋に『歩兵』にあたる人って、何人くらいいらっしゃるのでしょう?」
と質問を続ける。
「そうだな……。陸上で物資の警備を担当する『陸上勤務中隊』の者と、水上の貨物を警備する『水上勤務中隊』の人数くらいが、貴女の言う『歩兵』に相当するのだろうな。他に兵科の人間としては、輸送部隊の対空・対潜を受け持つ『輸送監視隊』や『船舶砲兵』も加えれば、一個大隊半かニ個大隊にはなるかな。……ただし、各部署や船毎に分散している頭数を、全部かき集めての事だが。」
「兵科って言うのが、戦闘の専門職の人ですよね?」と、僕が訊ねると、大尉は「そうだ。」と即答した。
「兵科以外の人でも、全く銃を扱えないという事ではないのでしょう?」
「それは、その通りだ。輸送や整備に携わる『段列』の兵は、銃器や機材の扱いに習熟している者ばかりだよ。そうで無ければ、整備なぞ出来ないから。しかし、戦闘訓練は受けているにしろ、古参の熟とは、弾の下を潜った経験が違うのだ。前線で生きて任務を全うするのには、経験がモノを言う所が有るものなのだよ。」
段々と島の状況が読めてきた。
普通であれば、瀬戸内海の呉や宇品に近い場所なので、警備は限定的で済むのだろうが、現在位置すら分からないと言う事になれば……。
「貴公らも薄々は気が付いているのだろうが、御蔵島は現在どことも連絡が付かず、孤立している状態だ。……自分が飛行偵察を行った際においても、汽船一隻見かけなかった。信じられるか? 海に浮かんでいたのは帆船だけだぞ。無線の電波すら飛んでいない。まるで、場所だけでなく、時代まで他所の場所に引越しをしてしまった様なのだ。不測の事態に備えるのには、兵科以外の兵も武装させ、兵以外の軍属にも銃を執ってもらう事になるだろう。」
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参考 日本陸軍歩兵師団の師団・旅団・連隊の構成人数の目安
四単位常備甲師団の場合
一個師団 約2万5千 (二個旅団+9千8百)
一個旅団 約7千6百 (二個連隊+2百)
一個連隊 約3千7百 (三個大隊+4百)
一個大隊 約1千1百 (四個中隊+3百)
一個中隊 約2百
三単位の場合
一個師団 約1万4千7百(三個連隊+5千4百)
一個連隊 約3千1百 (三個大隊+1百)
一個大隊 約1千 (四個中隊+2百)
一個中隊 約2百
参考機材
カーデン・ロイドM1936軽戦車「ダッチマン」
オランダ領東インド諸島向け輸出用カーデン・ロイド軽戦車
イギリス製
オープントップのMk.VIとは異なり、一人用銃塔がある
乗員 2名
1.5t
武装 機銃×1(×2の車両も存在した)
装甲 9㎜
速度 45.0㎞/h




