寧海作戦(翠光丸と鄭芝龍)
象山上陸を果たした福州兵(鄭隆隊・小倉隊・先遣水軍隊)は、『朝潮』『夕潮』及び舟山空港航空隊の対地支援の下、数に勝る清国兵を圧倒しながら半島を制圧しつつあった。
装備する倭銃の数に差がある上に、士気の差もまた大きかったのがこの結果を生んでいる。
清国兵は海岸要塞防衛戦で喰らった75㎜野砲や150㎜迫撃砲の猛威に恐れおののいていたし、航空機にとっては指呼の距離にある舟山空港から飛来する偵察機が、砂利弾やソーダ水爆弾のイヤガラセを継続しており、失った士気が回復する要素は見当たらなかった。
清国軍守備隊は形ばかりの抵抗を示すとズルズルと後退を重ね、象山城も放棄して半島の付け根が福州軍の手に落ちない内に脱出するべく撤退戦を演じていたのだ。
「敵伝令10騎が通ります。」
清国軍象山守備隊主力の背後に潜入している趙は、配下から報告を受けた。
伝令に10騎、20騎と纏まった兵数を派遣するのは、2騎程度の少数だと街道脇に潜伏する匪賊にたちまち喰われてしまうからで、寧波以南の清国軍では常態化していた。
「手出しはするなよ。通してやれ。」
趙はト式機関短銃を肩に吊っていたし、配下の手勢も38式騎兵銃を装備している。
10騎ばかりの騎馬伝令を相手にするのは雑作も無かった。
けれども機関短銃や騎兵銃の弾の手持ちを撃ち尽くしてしまえば、補給するには舟山島か北門島の御蔵軍の基地か台州飛行場まで出向かねば不可能だから、こんな場面で無駄遣いしたくはなかったのだ。
運良く朝潮・夕潮もしくは武装漁船と合流できればその限りでは無いが、有るか無いかが予測不能な幸運を期待して行動する心算は趙にはなかった。
――大将首なら狙わんでもないが。雑魚相手では、な。
趙は伝令が向かう先は、寧海ではなく奉化であろうと見当を付けている。
何故なら昼間に清国軍守備隊向けに撒かれたビラを拾っていたからだ。
台州飛行場から飛来したと思しき偵察機が撒いたビラには
『今関羽が大兵を率いて臨海を出陣。寧海の清賊討伐に向かう。象山の将兵は白旗を掲げて明に下れ。』
と書いてあった。
寧海に援軍を要請しても、寧海の将兵は象山に援兵を出せる状態ではないだろう。
象山から敗走中の守備隊にしても、寧海に向かえば寧海~象山間で雪隠詰めに遭うのは分かり切っているから、脱出するとしたら奉化へ向かわざるを得ない。
奉化の先の寧波が、「新倭寇」に荒らされているとしても、だ。
けれども趙は、臨海を陥落させた温州軍陸上部隊の主力が、次の攻略目標を天台に定めているのを知っている。
臨海から寧海に向かう「今関羽」の兵5,000と、臨海から山道を西に向かって永康へ向かう兵5,000は支隊なのだ。
(臨海から永康を目指す部隊は、台州で御蔵勢から受け取った倭銃を福松将軍へ運ぶ「補給+増援」目的の部隊で、97式手榴弾100発も追加補充する。手榴弾の代金は台州に到着した車騎将軍 鄭芝龍が福州軍の取り分の銀で支払った。なお鄭芝龍将軍は、自身が率いる福州軍本隊分として更に100発の手榴弾を購入している。)
実を言うと、寧海占領を実施するのは車騎将軍率いる福州軍本隊で、指揮下の軍船が最寄りの海岸へと殺到しつつあった。
鄭芝龍将軍は海岸で戦闘が起きる可能性を考慮して、先頭を進むバートルや艀には銃兵の他に97式手榴弾を装備した擲弾兵を乗せていたのだが、寧海守備隊は「今関羽」の温州軍支隊を警戒するあまりに海岸線はガラ空きであり、一切抵抗を受ける事無く無血上陸を果たした。
僅かな数の敵騎兵隊(哨戒部隊であろうと思われる)も、漕ぎ寄せる軍船の多さに肝を潰したのか、寧海目指して慌てて後退して行った。
逃げ去る清国騎兵を、貨物船『翠光丸』の船橋から、船長からプレゼントされた双眼鏡で観察した鄭芝龍は、苦笑いしながら左右の側近に上陸して兵をまとめるよう指示を出した。
翠光丸は、馬祖島に展開していた福州軍本隊(水軍)が北上するのをエスコートするために派遣された船で、無線で北門島気象観測分隊と連絡し合って洞頭列島付近の気象状態を福州軍に通知する他、翠光丸自身にも気圧計や湿度計を積んでいた。
霞浦沖で福州水軍と接触した翠光丸は、デリックで福州軍先鋒隊の将校が乗った艀を降ろすと鄭芝龍と交渉にあたらせた。
すると驚いた事に、車騎将軍自らが豪奢な座乗艦を配下に任せて、副官や数人の美妃を引き連れ、翠光丸に乗り込んで来たのだった。
もっとも翠光丸は長さ117m×幅15.5mと、鄭芝龍の80m級座乗艦の1.5倍ほどの大きさがあるから、サイズ的に見劣りする事はない。
排水量5,860t、貨物積載重量9,100tで、逓信省標準船A型(排水量6,400t)よりは小さいが、B型(排水量4,500t)よりは大きい。
喫水は8.3mで、貨物の積み込み・積み下ろし用に、5tデリック×6と30tデリック×1を持っている。
巡航速度は10.5ノット(約19㎞/h)で、乗組員は船長以下38名。それに加えて通訳が2名と先鋒隊将校2名に鄭隆隊の文官2名が客人として乗船していた。
割と大きな船なのだが、貨客船ではなく貨物船だから賓客が泊まる部屋は無い。
船長は船長室を南明朝の貴人に明け渡さざるを得なかった。
(ちなみに御蔵湾内に停泊しているアメリカ貨物船群は、石炭燃料の旧式船を除けば11,000tを超える排水量であり、排水量9,500tの舟艇母船よりも巨大な船なので、現在のところ港湾設備の整った御蔵港以外の何処にも接岸出来ない。僅かに浚渫工事が終わって台船式浮桟橋を設置した舟山港向けならば、限定的な運用が可能である。こういった制約から、アメリカ船籍の貨物船やタンカーは、同国の石炭燃料旧式船に比べて稼働状態がはるかに劣るという皮肉な現象が起きている。)
船長以下翠光丸乗組員にとって幸運だったのは、鄭芝龍は車騎将軍という高位にありながら尊大ぶった所の無い快活な人物で、日本語が話せたことだ。
彼は石油を燃やして走る帆の無い船を非常に面白がり、無線室や機関室を子供の様に目を輝かせて探索して回った。
ついには煌びやかな絹の衣装を脱ぎ去り、貨物船の船員服に着替えてクレーンの操作に興じたりもしている。
温州沖で台州からリヤカーを運んで来た福州軍船と合流した時には、将軍自らがデリックを操作して艀ごとリヤカーを翠光丸に積み込んだ。
台州からリヤカーを運んで来た福州軍の輜重担当武官は、機械を操作している船員服の男が自分の遥か雲の上の上官である事に、しばらく気付かなかったくらいである。
鄭芝龍は武官からの説明を受けつつリヤカーの性能を検証すると、即決でゴムの購入を命じた。
「5隻ほど連れて、オランダ商館から有りっ丈のゴムを買って来るのだ。用途を訊かれたら、艀の隙間に詰めて水漏れを防ぐとか、船の敷物に使ってみるとか、適当に説明しておくのだ。上手くやれよ。」
そして「ついでに、これを売ってこい。」と武官に荷物の入った10箱ほどの木箱を託した。
木箱の中身は、車騎将軍への同盟の贈り物として用意されていた『焼酎のソーダ水割り瓶詰』『カタクチイワシの塩煮缶詰』『鯨の大和煮缶詰』『チョコレート』『ランタンと洋ロウソク』『婦人服試作品』『ビタミンCの顆粒(Cレーションで厄介物扱いされているヤツ)』である。
鄭芝龍はこれらの珍品を高く評価し、最初に試してみた時から、自分たちで消費するよりも南蛮人に売るか取引材料にする方が賢いやり方だろうと考えていた。
特に鄭芝龍が武官に対して強調したのが『ビタミンCの顆粒』で
「これは長い航海の間に、船乗りの血が腐る病気の特効薬だと言うことだ。効果が分かれば、オランダ人は対価はいくらでも支払うだろう。ただ直ぐには信じないだろうから、初めはタダでやってしまっても良い。」
と木箱を叩いた。
「さて、と。それでは名残惜しいが、我もそろそろ下船せねばならぬようですな。ここまでお送りいただいた件、礼を言いますぞ。」
車騎将軍からのお礼の言葉に、船長は恐縮して最敬礼した。
「滅相もございません。色々行き届かぬ点が有った事、平にお詫び申し上げます。何卒お許し下さいませ。」
「なんの。我とて同じ船乗り。元は商人。船長殿の腕前、しかと学ばせて頂いた。今後とも御蔵の殿様とは、良きお付き合いをさせて頂きたく思う、とお伝えください。」
こうして鄭芝龍は翠光丸を後にした。
上陸した鄭芝龍は主だった将を集めると軍を二つに分け、一隊は自らが率いて寧海に向かい、もう一隊の方は象山・奉化ルートに進ませた。
袋のネズミとなった寧海の清国軍が降参するのは時間の問題であったし、象山の戦いに早くケリを着けたかったからだ。
象山から半島を後退している清国軍も、退路を塞がれたと知れば白旗を上げるであろう。
寧波までの道は、あとわずかである。




